扶安郡
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/01/03 08:54 UTC 版)
辺山・来蘇寺の蓬莱楼 | |
位置 | |
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各種表記 | |
ハングル: | 부안군 |
漢字: | 扶安郡 |
片仮名転写: | プアン=グン |
ローマ字転写 (RR): | Buan-gun |
統計(2023年) | |
面積: | 492.73 km2 |
総人口: | 49,187[1] 人 |
男子人口: | 24,496 人 |
女子人口: | 24,691 人 |
行政 | |
国: | 大韓民国 |
上位自治体: | 全羅北道 |
下位行政区画: | 1邑12面 |
行政区域分類コード: | ? |
扶安郡の木: | イチョウ |
扶安郡の花: | クロフネツツジ |
扶安郡の鳥: | ハト |
自治体公式サイト: | 扶安郡 |
地理
黄海に面しており、黄海に浮かぶ蝟島も郡域に含まれる。南部は黄海に突き出た半島(辺山半島)であり、山がちである。北部には干拓地を含む広い平野が広がる。沿岸一帯の干潟は2010年に南隣の高敞郡の干潟と共にラムサール条約登録地となった[2]。
また、郡北西部に接する海域では韓国の歴史上最大級の干拓事業であるセマングム干拓事業が進行中である。
歴史
- 昔の扶寧・保安(喜安)を李氏朝鮮時代に合併した名前である。
- 1914年4月1日 - 郡面併合により、扶安郡の一部(飛雁島)が沃溝郡に編入し、古阜郡の一部(白山面・巨麻面・徳林面)が扶安郡に編入。扶安郡に以下の面が成立(10面)。
- 扶寧面・舟山面・東津面・幸安面・保安面・山内面・白山面・上西面・下西面・乾先面
- 1931年7月1日 - 乾先面が茁浦面に改称(10面)。
- 1943年10月1日 - 扶寧面が扶安邑に昇格(1邑9面)。
- 1963年 - 全羅南道霊光郡蝟島面を編入(1邑10面)。
- 1983年2月15日(1邑12面)
- 界火出張所(東津面・幸安面・下西面の各一部を管轄)を界火面に昇格。
- 山内面の一部(鎮西出張所)を鎮西面に昇格。
- 1987年1月1日 - 山内面が辺山面に改称(1邑12面)。
- 2009年1月1日 - 白山面の一部が東津面に編入(1邑12面)。
- ^ “주민등록 인구통계 - 행정안전부”. 行政安全部. 2024年1月3日閲覧。
- ^ “Gochang and Buan Tidal Flats | Ramsar Sites Information Service”. rsis.ramsar.org (2010年12月13日). 2023年4月14日閲覧。
- ^ “우리나라 기후평년값(1991~2020) 부안(243)”. 韓国気象庁. 2021年3月25日閲覧。
- ^ “순위값 - 구역별조회 부안(243)”. 韓国気象庁. 2021年10月2日閲覧。
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