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恋愛

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/04/28 08:12 UTC 版)

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愛の神クピードー(キューピッド)

辞書での定義

それぞれの国語辞典で恋愛という単語は、以下のように定義されている。

広辞苑』第6版では「男女が互いに相手をこいしたうこと。また、その感情。こい」と簡潔に記し、さらに「恋い慕う」は「恋しく思って追い従おうとする。恋慕する」と記す。その「恋しい」は「1 離れている人がどうしようもなく慕わしくて、せつないほどに心ひかれるさま」「2 (場所・事物などが)慕わしい。なつかしい」と歴史的用法を踏まえて説明する。

三省堂国語辞典』第7版の「恋愛」は「(おたがいに)恋(コイ)をして、愛を感じるようになること」と記す。そのうち「恋」は「人を好きになって、会いたい、いつまでも そばにいたいと思う、満たされない気持ち(を持つこと)」、「愛」は「1 〈相手/ものごと〉をたいせつに思い、つくそうとする気持ち」「2 恋(コイ)を感じた相手を、たいせつに思う気持ち」と説明する。

新明解国語辞典』は、第5版で「特定の異性に特別の愛情をいだき、高揚した気分で、二人だけで一緒にいたい、精神的な一体感を分かち合いたい、できるなら肉体的な一体感も得たいと願いながら、常にはかなえられないで、やるせない思いに駆られたり、まれにかなえられて歓喜したりする状態に身を置くこと」とした[注 1]。第6・7版では、「特定の異性に対して他の全てを犠牲にしても悔いないと思い込むような愛情をいだき、常に相手のことを思っては、二人だけでいたい、二人だけの世界を分かち合いたいと願い、それがかなえられたと言っては喜び、ちょっとでも疑念が生じれば不安になるといった状態に身を置くこと」と記している[注 2]

デジタル大辞泉』は、「特定の異性に特別の愛情を感じて恋い慕うこと。また、男女が互いにそのような感情をもつこと」 とした。 「ベネッセ表現読解国語辞典」 は 「男女間で 特定の相手をお互いに 恋い慕うこと」とした。

古代ギリシア語では、特定の異性を求めるような気持ちについては「エロス」と呼び、様々な愛、もっと上質な愛(兄弟愛、人類愛 等々)とははっきりと区別した。 現代フランス語ではAmour アムール、現代英語ではLove ラブと言うが、これは恋だけでなく、広く「」を指し示す用語である。特定の異性や特定の人に限らず、自分の性的志向にかかわらず広く人々を大切にしたり広く人々を愛することについては、の記事を参照のこと。

英語「falling in love」の訳語としても「恋愛」は用いられている。 ギリシア語でははっきりと区別されていた概念を、英語では(特にアメリカ英語では)、ごちゃまぜにして安易に「love」と呼んで済ませてしまうので、(特に、古代語などを学んだことがない米国の若者などで)異なった概念がごちゃまぜになり、結果として(自己本位な)恋までが、あたかも高級なものであるかのように扱われる傾向がある。

この記事では、「恋」(恋愛)について解説し、その関連で「愛」についても触れる。

歴史

恋愛については、古来より多くの文学哲学の主題となり、論じられてきた歴史があり、芸術作品で扱われる主題である。

恋(男女の感情、特定の人に対する感情、特定の人にだけ執着する感情)はキリスト教の伝統では、よろしくないもの、質の低いもの、避けるべきものとして扱われてきた。キリスト教で大切にされたのは、男女の恋などではなく、イエス・キリストによって示された、つまり<<神の愛>>(アガペー、神が全ての人類を公平・公正に愛し、見返りを期待しない愛)や、人間が 自分の家族・親族・民族・人種などにこだわらず、広く全ての人々を大切に思う気持ち、広く人々を慈しむ気持ち(兄弟愛・友愛、隣人愛)である。は精神生活の基本的感情であり、また倫理学史上もっとも重要な概念の一つとされ、とくにキリスト教の影響を多かれ少なかれ受けている西洋哲学においては、非常に大事な意味をもっている[1]

古代

ギリシア哲学における愛

プラトンは、究極的な愛の対象であるイデアは不死であることから、永遠不変の美のイデアへの愛と認識は神的であり、最も優れた愛であると考えた[2]

エンペドクレスは愛philotēs、storgēと憎しみneikosを宇宙生成の原理とした。万物の根である火、空気、土、水の四元を結合させる愛と、分離させる憎しみが交互に優勢支配的となり、世界史の四期が永劫にくりかえされるというのである。

プラトンによると愛erōsは善きものの永久の所有へ向けられたものであり、肉体的にも心霊的にも美しいもののなかに、生殖し生産することをめざす。滅ぶべきものの本性は可能なかぎり無窮不死であることを願うが、それはただ生殖によって古いものの代わりにつねに他の新しいものをのこしていくことによってのみ可能である。この愛を一つの美しい肉体からあらゆる肉体の美へ、心霊上の美へ、職業活動や制度の美へ、さらに学問的認識上の美への愛に昇華させ、ついに美そのものであるイデアの国の認識にいたることが愛の奥義である。プラトニック・ラヴはもと、このように善美な真実在としてのイデアの世界への無限な憧憬と追求であり、真理認識への哲学的衝動でもある。しかしプラトンは美しい肉体への愛を排除するものでなく、イデアに対する愛を肉体的なものへの愛と切りはなして考えてるのでもない。[3]

プラトンの恋愛は厳格に二元的である。いわゆる天上的な恋愛というものは地上的な恋愛から峻別されるのであって、いわゆる性欲の昇華として恋愛を考える考え方とまったく異なるものである。その天上的な恋愛はつぎにのべる想起説とむすびつき、人間のもっている不死なる生命が天上的な起源のものであって、われわれの肉体とむすびつけられるまえに、善美の極にあるものを想起し、それへの憧憬にみたされる場合が真の恋愛ということになる。ただこの場合においても、地上の人間は肉体にむすびつけられているから、地上的な恋愛への抵抗において、相愛する人間同士がお互いを精神的に向上させ、愛を通じて、より美しきものを生むという形で具体的な恋愛が考えられている。その点は『パイドロス』phaidorosにおいてとくにくわしい[4]

想起説は、真にものを知るということは知るもの自身の自発性にまたなければならないという考えで、プラトンの教育説の根底となっている。前述の恋愛論におけるがごときミュトスmythosがここにも考えられるが、他方においては単なる<<思いなし>>(doxa ドクサ)から真の理解、あるいは知識に到達するための過程としても考えられている。『メノン』Menonの実例に見られるように、それは問答法として発展するものである。またわれわれの精神を浄化する過程としても考えられている[5]

中世哲学における愛

アウグスティヌスは、「融合和一を求める生活が愛であり、神に対する愛が人間の最大至上の幸福である」としたが、こういう考えはアンセルムスエックハルト[要曖昧さ回避]ブルーノ[要曖昧さ回避]スピノーザライプニッツ[要曖昧さ回避]フィヒテなど多くの哲学者にも受けつがれている。そしてこれは中世哲学、カトリック教会一般を特色づけている見方である。よく知られているように、「愛の宗教」といわれるキリスト教では、愛はあらゆる徳のなかで最高のものとされ、予言より、ロゴスより、知識よりも上位におかれている。そしてそれは神の掟としてつぎの二つに要約される。すなわち神の愛と隣人愛がそれである。神の愛、つまり神を直接の目的として恩寵によって与えられる愛は愛徳chāritāsカリタスとよばれ、スコラ哲学でいう精神的愛amor intellectivus、慈善的愛amor benevolenceのうちで最上のものとされている。[6]

中世〜近代の文学作品での恋愛

薔薇物語』写本 (1420-30)、愛の神のロンド

中世フランスに起源が見られる騎士道物語においてはロマンス的愛(=ローマ風の愛。「ローマ風」とは「ラテン風」が正式なものとされるに対して「民衆的・世俗的な」という語感をもつ)が生まれ、キリスト教的愛(=アガペー。神が示す無償の愛)とは異なるもの、異風なものとして叙述されはじめた。

13世紀中世フランスにおいてギヨーム・ド・ロリスフランス語版ジャン・ド・マンフランス語版によって書かれた『薔薇物語』は恋愛作法の書として多数の写本が作られ、当時 貴婦人たちの間で大きな影響力を持っていた。

中世ドイツでは、今日一般的な恋愛関係による婚姻(恋愛婚)は9世紀教会により非合法とされたので婚姻において氏や家が重要であった(ジッペムント参照)。

命を絶つことになったロミオとジュリエット

イギリスでは16世紀にシェイクスピア1564年 - 1616年)が『ロミオとジュリエット』において、家同士の争いに引き裂かれる恋人たち、悲劇的な恋愛を描いてみせた(1595年前後初演)。不朽の名作として、バレエミュージカル映画など様々なジャンルにリメイクされている。

17世紀後半のイギリス、すなわちシェイクスピア直後の時代には、現代用いられる「身体を否定する精神だけの愛」という意味でのプラトニックラブという表現が現れたらしい[7]

シラノはロクサーヌへの恋心を隠し続けた。(『シラノ・ド・ベルジュラック』)

19世紀末期のフランスで、エドモン・ロスタンが戯曲『シラノ・ド・ベルジュラック』を書き、ロクサーヌという女性に恋心を抱いているにもかかわらず自分の気持ちを面と向かって伝えることができず、恋心を隠し通し、自分の恋を成就させるかわりに若くて美男子(だが見てくればかりで、頭が悪く、才能が無い)クリスチャンとロクサーヌとの恋をとりもってやる シラノという中年男の「忍ぶ恋」「切ない恋」を描いてみせた(1897年初演)。この戯曲はパリの人々を大熱狂させたといい、1897年の初演から500日間400回連続上演され、その後も今日にいたるまで世界中で上演されつづけており、映画やミュージカルに幾度もリメイクされ見続けられている。

スタンダールの『恋愛論』

スタンダール1783年 - 1842年)は『恋愛論』において、恋愛には4種類ある、とした。情熱的恋愛、趣味恋愛、肉体的恋愛、虚栄恋愛である[8]。どんなに干からびた不幸な性格の男でも、十六歳にもなれば(肉体的恋愛から)恋愛を始める。また恋は心のなかで、感嘆、自問、希望、恋の発生、第一の結晶作用、疑惑、第二の結晶作用という7階梯をたどる、とした[9]。あらゆる恋愛は6つの気質に起因し、多血質(フランス人)、胆汁質(スペイン人)、憂鬱質(ドイツ人)、粘液質(オランダ人)、神経質、力士質の、それぞれの影響が恋愛の諸相に関与する、とした[10]

近世哲学における愛

スピノザ

[11]スピノーザによると、すべてのものは<<自己保存の努力>> conatus コナトゥスをもち、人間は心身をより大なる完全性へ移すこと、すなわち喜びを欲望し、悲しみをさけ、喜びを与える外物を愛し、悲しみを与える外物を憎む。かれは欲望喜び悲しみという三つの根本感情から幾何学的にさまざまな愛と憎しみを分析する。ところでわれわれの精神が事物を永遠の相の下に、すなわち必然的連関において認識することは、精神をより完全にする喜びであり、そしてこの十全な認識は事物を(=自然=実体)の様態として認識することであるから、その喜びは外部の原因としての神の観念をともない、神への愛である。それは神を認識することと一つになっているから「神の知的愛」amor Dei intellectualisとよんだ。

カント

カントは、傾向性にもとづくpathologisch(感性的な)愛と理性的意志にもとづくpraktisch(実践的な)愛とを区別し、後者のみが道徳的とした。傾向性としての愛を命ずるわけにはいかないから、隣人への愛とは、隣人に対するすべての義務をすすんで遂行すること。そして道徳法則への尊敬が、それへの愛に変わるのが道徳的心術の最高の完成であろうとした。

ヘーゲル

ヘーゲルは、精神の統一性がそれ自身を感じているのが愛であるとする。愛は一般に、私と他人との統一の意識。愛において私は私だけで孤立せず、むしろ私の孤立的存在を放棄し、自他の統一としてみずからを知ることによってのみ、自己意識をうる愛の第一の契機は私が私だけの独立人たるを欲せず、そういう私を欠陥あり不完全なものと観ずるということ、第二の契機は私が他において自分をかちうること、すなわち私が他者に認められ同じく他者が私においてかれ自身をうるということ。したがって愛は悟性の解きえないもっとも著しい矛盾である。矛盾の産出であり同時にその解除でもある。解除として愛は人倫的結合であるという。

ショーペンハウアー

ショーペンハウアーは、あらゆる形式の愛が生への盲目的意志に人間を繋縛するものであるとの理由で、愛を断罪する。しかし、その主著には独自の「性愛の形而上学」の考察が含まれている。それによれば、愛はすべての性欲に根ざしているものであり、将来世代の生存はそれを満足させることにかかっている。けれども、この性的本能は、たとえば「客観的な賛美の念」といった、さまざまな形に姿を変えて発現することができる。性的結合は個人のためではなく、種のためのものであり、結婚は愛のためにではなく、便宜のためになされるものにほかならない。

このショーペンハウアーの性愛論には、精神分析学者フロイトの理論内容を先取りしている部分が数多くある点興味深い。フロイトは性欲のエネルギーをリビドーと名づけ、無意識の世界のダイナミズムの解明につとめたが、とくに幼児性欲の問題は従来の常識的な通念に大きな衝撃を与え、性愛の問題の現代的意味の追求への道を開いた。たとえばD.H.ロレンスの文学は、性愛のいわば現代文明論的な意味の探求を一つの中心課題としているものといってよい。

サルトルボーヴォワールらの実存主義者たちにも、人間論の中心問題としての愛、性欲の問題への立ち入った究明の試みがみられる。


  1. ^ この記述では性愛の側面を重視しており、また一方的な片思いでも恋愛は成り立つと解釈できる。
  2. ^ 第6版で性愛についての記述が削除された。
  3. ^ 結果として二人の関係は確かなものとなった。
  4. ^ 宇治拾遺物語』、『道成寺
  1. ^ 平凡社 哲学事典 P1
  2. ^ 森進一訳, 『饗宴』, 新潮文庫, 1968[要ページ番号]
  3. ^ 平凡社 哲学事典 P1
  4. ^ 平凡社 哲学事典 P1211
  5. ^ 平凡社 哲学事典 P1211~1212
  6. ^ 平凡社 哲学事典 P1
  7. ^ 永嶋哲也「愛の発明と個の誕生--思想史的な観点から--」比較思想論輯2004.6[1][2]
  8. ^ 『恋愛論』大岡昇平 訳[要ページ番号]
  9. ^ 『恋愛論』[要ページ番号]
  10. ^ なお、スタンダール自身は『恋愛論』の序文(1826年)において、「この本は成功しなかった」と述べており、論の展開は「必ずしも理由がなくはかない」と告白している。
  11. ^ この項目、平凡社 哲学事典 P1、2による
  12. ^ ユダヤの力(パワー)-ユダヤ人はなぜ頭がいいのか、なぜ成功するのか! (知的生きかた文庫) 加瀬 英明 著[要ページ番号]
  13. ^ アブラハム・カイパー著『カルヴィニズム』聖山社 p.96
  14. ^ 高木実著『生と性-創世記1-3章にみる「男と女」』いのちのことば社 p.67
  15. ^ C.S.ルイス『悪魔の手紙』中村妙子訳、平凡社[要ページ番号]
  16. ^ 高校生聖書伝道協会『クリスチャン・ライフQ&A』いのちのことば社[要ページ番号]
  17. ^ 尾山令仁『結婚の備え』いのちのことば社[要ページ番号]
  18. ^ チャールズ・スウィンドル『性といのちの問題』いのちのことば社[要ページ番号]
  19. ^ カトリック・プロライフ
  20. ^ 公教要理[要ページ番号]
  21. ^ “早すぎる恋愛”はダメ!高校の規則に「男子と女子は44cm以上離れよ」-中国
  22. ^ 哲学事典 P2
  23. ^ これは事実婚に寛容な文化を背景にしている)なので、日本のように告白を経て彼氏彼女の関係になるが、生活は別々でたまに遊園地レストランデートに出かける程度でプロポーズを経て婚約するということはない(世界SEX百科―肉体と意識、そして各国の性風俗 由良橋 勢 著[要ページ番号])。
  24. ^ a b 菅野聡美、『消費される恋愛論 大正知識人と性』p9- 青弓社, 2001 ISBN 978-4787231888
  25. ^ 揚穎, 「透谷の女性観 : 幼少年時代の透谷が女性から受けた影響」『Comparatio』 14巻 p.17-26 2010年, 九州大学大学院比較社会文化学府比較文化研究会, doi:10.15017/24627, hdl:2324/24627
  26. ^ a b c 渡邊昭五『梁塵秘抄の恋愛と庶民相』岩田書院, 2005 p.10-13
  27. ^ 加藤秀一『恋愛結婚は何をもたらしたか』ちくま書房[要ページ番号]
  28. ^ リクルート「結婚トレンド調査2006」
  29. ^ 渡部伸『中年童貞』扶桑社新書[要ページ番号]など
  30. ^ “交際相手不要…なぜ?「若者の恋愛離れ」”. 日テレNEWS24 (日本テレビ放送網). (2016年1月20日). http://www.news24.jp/articles/2016/01/20/07320362.html 2018年3月2日閲覧。 
  31. ^ “100年前の日本人が「全員結婚」できた理由”. 東洋経済オンライン (東洋経済新報社). (2018年1月2日). http://toyokeizai.net/articles/-/202863 2018年3月2日閲覧。 
  32. ^ “「草食系男子の増加」という大いなる勘違い”. 東洋経済オンライン (東洋経済新報社). (2016年12月8日). http://toyokeizai.net/articles/-/148345 2018年3月2日閲覧。 
  33. ^ 矢野優也『空回りしない恋愛のすすめ』デザインエッグ株式会社、2015年8月17日初版、6頁より引用
  34. ^ 矢野優也『空回りしない恋愛のすすめ』デザインエッグ株式会社、2015年8月17日初版、14頁より引用
  35. ^ a b c 田中秀臣 『最後の『冬ソナ』論』 太田出版、2005年、126頁。
  36. ^ 田中秀臣 『最後の『冬ソナ』論』 太田出版、2005年、129-130頁。
  37. ^ 田中秀臣 『不謹慎な経済学』 講談社〈講談社biz〉、2008年、46頁。


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