底ぬけAIR-LINE
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/02/10 23:38 UTC 版)
来歴
- 1992年、日本映画学校在籍時に古坂の声掛けでグループ結成[1]。結成時のグループ名は「よにん組」。「ハ〜イどーも!」のブリッジを挟んだスピード感溢れるショートコントや、初めにやった芝居が後に流れる音楽の歌詞と同じ動きをするという「あてぶり」というコントを得意としていた。音楽(テクノ)を駆使したコントの先駆的存在であった。日本映画学校でグループを結成した直後にプロ活動の為学校を中退。中退してプロのお笑い芸人としての活動を始めたものの、プロとしての活動の仕方がわからなかった為、エンタメ開催情報雑誌「ぴあ」に書いてあるお笑いライブイベントに片っ端に電話をしてライブに参加しその中にあった渡辺正行主催イベントをきっかけで渡辺正行が経営している事務所「なべや」に所属、その繋がりでM2カンパニーに移籍した[1]。
- 「ボキャブラ天国」シリーズには「タモリのsuperボキャブラ天国」内の「ヒットパレード」の頃から参加していた。元器械体操部である小島の特性を活かし大きなアクションを伴うネタを披露。その後、「家族そろってボキャブラ天国」まで参加した。キング(優勝)経験は無く、最高位は3位。キャッチフレーズは「きりもみ空中3回転」。村島の脱退後は「2回転」に変更された。
- 第1回爆笑オンエアバトル チャンピオン大会で「テクノ体操」というネタを披露。結果は165KBという出場者10組の中で9位という散々な結果だったが、特別審査員として参加していた立川談志から「元気があって面白かったよ」と評価され「審査員特別賞」を贈られる。その収録後に古坂と小島は談志から食事に誘われた事を明かしている。
- 2003年9月からお笑い活動を休止し、テクノグループ「ノーボトム!」の活動に専念した。
- 2005年6月、小島がゲーム開発プロデューサーへの転向に伴いノーボトム!を脱退。6月17日に行われた最後のライブには村島も客として参加し、小島自身も「ノーボトム!から依頼があれば引き受ける」といった発言をしていることから、3人は現在も交流を持っていると思われる。
小島は、2017年10月8日(関東地区放送日)の「ウチくる!?」にメインゲストの古坂の元相方として出演して、解散の真相を語った[2]。 - その後、ノーボトム!として音楽性を追求するため2005年10月11日に所属事務所のホリプロコム(M2カンパニーの後身)を退社した。
- ^ a b https://www.youtube.com/watch?v=Iio2aTUhyO8 藤井ペイジちゃんねる 辞めた芸人<元 底ぬけAIR-LINE・小島忍さん>に話を聴こう!パート1【ボキャブラ、オンバト…あの頃の話】
- ^ a b “ウチくる!? 2017/10/08(日)12:00 の放送内容 ページ2”. TVでた蔵. ワイヤーアクション (2017年10月8日). 2020年6月20日閲覧。
- ^ 『タモリのボキャブラ天国大復活祭 伝説のキャブラー大同窓会&NEWキャブラーもボキャブる3時間SP』2008年9月28日放送分。
- ^ 『アメトーーク』2018年9月20日放送分。
- ^ 前述の『ウチくる!?』内で底ぬけAIR-LINE時代の映像やグラビアが放映されていた。
固有名詞の分類
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