干将・莫耶
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脚注
参考文献
- 陳舜臣『中国の歴史 2 大統一時代 漢王朝の光と影』平凡社、1986年4月。ISBN 978-4-582-48722-0。
関連項目
- 同時代の刀剣
荘子曰く「干越(越族)の剣を持つものは、箱に入れて使うこともなく至宝とする。」というように、干将・莫耶・欧冶子ら呉・越に住んでいた越族による刀剣は評価されていた。
- 干将・莫耶にちなむもの
- ^ 具体的には『呉越春秋』闔閭内伝、『捜神記』巻十一、『拾遺記』、『列異伝』、『博物志』といったもの。『史記』や『荀子』にも名前程度の記述がある。
- ^ 呉・楚とも春秋時代の中国南部に存在した国であり、当時のこの地域、特に東南部は優れた金属の精製技術を持っていた。20世紀半ばに出土した越王勾践の剣などが、それを証明している。ただしこの剣は青銅製である。
- ^ 写本によってはこの部分が「兵部卿宮薨御事」となっており、干将莫耶に言及されている部分が無いものもある(たとえば流布本がそれにあたる)。
- ^ これは『晋書』巻三十六列伝第六にある張華伝における話が基としてある。ただし『晋書』では発掘した雷煥が、その一振りを張華に渡した、となっており、皇帝献上云々は一切ない。また、剣には龍泉 太阿と刻まれていたとされる(どちらも『越絶書』において、干将と欧冶子の作とされる剣で、もう1本「工布」を加えて3振りとする)。その後、張華が剣文を詳しく見るとこれは干将である、とした。また、延平津における話は張華が誅殺された後の話であり、人を潜らせて探させたが剣は見えず、龍が二匹見えるだけだったとする。
- ^ 海音寺潮五郎『孫子』「干将・莫耶」の節など。なお海音寺は『呉越春秋』の記事を「莫耶が身を清め炉中に自身を投じた」としながらも、記事前段「昔吾師作冶,金鐵之類不銷,夫妻倶入冶爐中,然後成物。」から、妻が鍛冶場に入った理由は、陰陽のまじないのため夫婦の交わりをおこなうためであり、莫耶が自身を犠牲にしたという解釈は『呉越春秋』著者 趙曄のフィクションではないか、という解釈を採っている。
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