孫太夫山古墳
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/09/13 14:21 UTC 版)
規模
発掘調査から、古墳の規模は以下のように推定されている[5][7]。
- 面積:2848.93 平方メートル
- 墳丘長:約65 メートル
- 後円部
- 直径:約46 メートル
- 高さ:約7.7 メートル
- 前方部
- 幅:約26 メートル
- 高さ:約2 メートル
出土品
埋葬施設、副葬品は不明だが、かつて墳頂から、土製勾玉が数個採取されたと伝わる[5]。
発掘調査により、葺石、そして濠の堆積層より小型の円筒埴輪、朝顔形埴輪などが出土した[8]。埴輪の製作時期は古墳と同時期の5世紀中頃と見られ[9]、大仙陵古墳の埴輪と特徴が似ているため、同じ頃に作られたと考えられる[5]。この事からも、大仙陵古墳の陪塚の一つと考えられている。
古墳の名称
古墳前方部西側の石碑碑文に「江戸時代、大鳥郡中筋村庄屋南孫太夫の所有であった」とある。南家に所蔵される古文書などによると、明治初期に古墳後円部の大半が南家より国に寄贈され、1968年(昭和43年)までに後円部の残りが宮内庁に、前方部と周濠が堺市に寄贈されたとされる[10]。
調査概要
- 1978年(昭和53年)に、大仙公園整備に伴う古墳整備工事計画による事前発掘調査が行われた[11]。
- 周濠埋土と段丘構成層を確認するだけで、図面、写真などの記録が残されていない。
- 1978年(昭和53年)の古墳整備工事において、特に前方部復元工事で立ち会い調査が行われたが記録が残されていない[11]。
- 1996年(平成8年)に、古墳北側歩道の下水道推進立坑掘削工事に伴う立ち会い調査が行われた[11]。
- 結果
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- 道路基盤から1.2 メートル以上掘り下げた場所で、須恵器を含む褐灰色粘質土が確認された。この層は、周濠に向かって厚くなり、段丘構成層も落ち込む状況が確認されたことから、当古墳周濠肩の北側の辺縁と考えられ、推定復元整備された当古墳周濠の範囲よりも更に北側の広い範囲に周濠が存在していた可能性が、堺市教育委員会により指摘されている。復元整備された当古墳の形状や周濠の範囲、形状などが、調査に基づく根拠が乏しく、発掘調査により変更される可能性があり、解決されるべき課題が多いことが判明した[11]。
- 2007年(平成19年)9月10日、国庫補助事業による発掘調査[12]。
- 百舌鳥古墳群史跡指定申請に伴う範囲確認を目的にする発掘調査を行うための事前調査として行われ、今後予定の発掘調査の資料として、掘削土量の把握、周濠外側の遺構などの埋蔵文化財の存在確認などを目的とし、周濠外側の東(後円部側)、西(前方部側)と南側(後円部側方)の3箇所にトレンチを配し、調査を行った[12]。
- 南側トレンチ - 段丘構成層を基盤とする溝状の遺構を確認したが、時期は不明で、遺物は含まれず、埋土や他のトレンチの状況から、当古墳に関連する遺構の可能性は低いと推測された。
- 東側トレンチ - 段丘構成層の上に旧耕作土が残るが、西トレンチ同様に、大仙公園造成時に段丘構成層上面まで削平が行われていると考えられた。
- 結果
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- 今回の発掘において、当古墳に関連する遺構、遺物は発掘されなかったが、濠底の標高は、段丘構成層よりわずかに高い位置にあり、濠埋土は遺存している可能性が高いと判明した[12]。
- 結果
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- 今回の調査で、周濠の西側、南側の周濠の縁は、現状の周濠の縁よりも内側にあったと推定された。調査区の北半分は公園造成時における建設廃材を多く含む盛土で覆われ、遺構面の残存性が悪いと考えられた。
- 平成23年11月30日 - 平成24年3月30日、 墳丘、周濠の形状を確認し、古墳の範囲を調査する目的で発掘調査が行われた[13]。
- 主に1.5 m幅で墳丘裾から周濠外へ伸びるトレンチが、古墳全周におおよそ均等な間隔で8箇所、周濠内に4箇所のトレンチを配置し、発掘調査が行われた。
- 結果
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- 遺物として埴輪、須恵器、瓦、備前産陶器、肥前産磁器などが出土したが、大半が小片のため全体像を復元するには至らなかった。埴輪の内訳として、朝顔形を含む円筒埴輪、蓋形埴輪、家型埴輪、動物形埴輪、石見型盾形埴輪などの形象埴輪が出土している[8]。
文化財
堺市指定史跡
- 孫太夫山古墳前方部および周濠 - 2017年(平成29年)2月6日指定[7]。
- ^ a b c d “孫太夫山古墳/構成資産/世界遺産/重要文化財等データーベース”. 文化庁. 2021年11月18日閲覧。
- ^ a b c d “孫太夫山古墳 【世界文化遺産 構成資産】”. 堺市役所 文化観光局 博物館 学芸課. 2021年11月18日閲覧。
- ^ a b c 古墳群の調査2 2009, p. 20.
- ^ 古墳群の調査8 2015, p. 5.
- ^ a b c d e 古墳群 2019, p. 22.
- ^ a b 古墳群の調査1 2008, p. 4.
- ^ a b c “孫太夫山古墳前方部および周濠”. 堺市文化観光局文化部文化財課. 2022年8月6日閲覧。
- ^ a b 古墳群の調査8 2015, p. 27.
- ^ 古墳群の調査8 2015, p. 43.
- ^ 古墳群の調査8 2015, pp. 3–4.
- ^ a b c d 古墳群の調査1 2008, p. 9.
- ^ a b c 古墳群の調査1 2008, p. 10.
- ^ 古墳群の調査8 2015, pp. 4–26.
- ^ “世界遺産/文化遺産オンライン”. 文化庁. 2021年11月14日閲覧。
- ^ “世界遺産/百舌鳥・古市古墳群―古代日本の墳墓群/国指定文化財等データベース”. 文化庁. 2021年11月14日閲覧。
- ^ “百舌鳥エリア古墳リスト/百舌鳥・古市古墳群”. 百舌鳥・古市古墳群世界遺産保存活用会議. 2021年11月14日閲覧。
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