城 イスラム圏

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/05/08 20:05 UTC 版)

イスラム圏

古代オリエントでは、上記のヨーロッパの項目にあるように城壁で囲まれた都市国家が成立した。その後、ローマ帝国によって併合されると、やはり上記通り恒久的な要塞ではなくローマ街道による機動的な防衛により大規模な城塞は、建設されずにいた。しかしやがてイスラム勢力が台頭し、ローマ帝国の勢力が衰えるとヨーロッパとは異なる進歩を歩み始めた。

城は、軍事技術だけでなく現地の為政者と結びつく関係上、文化的な差異から逃れることは、出来なかった。イスラム教圏は、様々な地域に跨るため城の建築は、現地の文化を取り込んだり、逆に現地に影響を与えた。アルハンブラ宮殿トルヒーリョ城アンベール城ラール・キラートプカプ宮殿ルメリ・ヒサールなど広範な地域で著名な城が建設された。美術面での違いを除けば中国やヨーロッパの城と同じく火砲に備え、塔や城壁を持つ点で全体的には、似た部分も多い。

中国

明清代皇帝の居城、紫禁城

中国における城とは、本来城壁のことを意味し、都市や村など居住地全周を囲む防御施設を指すことが多い。そのため中国語では都市のことを城市といい、欧州や日本に見られるような城は城堡という。ちなみに城壁のことは城牆(じょうしょう)という。

大規模なものは、宮殿など支配者の住む場所を囲む内城と、都市全域を囲む外城に分かれており、内城は城、外城は郭と呼ばれ、併せて城郭といわれる。辺境では北方騎馬民族の侵入への備えとして万里の長城を発達させた。また、城とは呼ばれないが長大堅固な城壁を持つ要塞として、交通の要所におく「関(かん)」が重要である。

構造

城壁は当初、版築による土壁であり、長安城の城壁も全長27kmに及ぶ長大な土牆(どしょう)であった。時代が下るとさらに城壁の強度が求められ、現在中国各地に遺構として残る明代以後の城壁はその多くが堅牢な煉瓦造りである。城壁の上部は城兵が往来可能な通路となっており、城壁に取り付いた敵軍を射撃するために「」(女牆)と呼ばれるスリットの入った土塀が備えられていた。城壁は一定間隔ごとに「馬面」という突出部を持ち、これが堡塁の役目を果たして敵を側面から攻撃するのを助けた[8]

城壁には市街に出入りするための城門が設けられていた。石造りの土台をくり抜き、トンネル状として(これを「闕(けつ)」という)その上部に木造重層の楼閣が建てられ、その上には門の名称を記した「扁額」が掲げられた。城門はその多くが二重構造となっており、城門の手前に敵を食い止める目的で半円形の小郭が設けられていた。これは「甕城(おうじょう)」と呼ばれ、洋の東西を問わず普遍的に見られる防御構造であり、日本城郭では「枡形虎口」がこれに相当する。外敵が城内に攻め入るためにはまず、この甕城で足止めされることになるため、城兵は城壁や箭楼(甕城に設けられた櫓)から銃撃をしかけることができた。

中華人民共和国時代に入って、市域拡張のため、また近代化の妨げになるという批判もあり、ほとんどの都市では城壁は取り壊されたが、西安平遥のように中華人民共和国国家歴史文化名城という文化遺産保護制度で保護されているものも多い。

朝鮮半島

李氏朝鮮の城門(華城華西門〈大韓民国京畿道水原市〉)
蔚山城(蔚山倭城)(「蔚山籠城図屏風」)

朝鮮半島の城は、朝鮮固有の形式である山城の他に中国の影響を強く受けた都市城壁を持つ邑城(ウプソン)の2形式があるが時代が下るとともに邑城へと移行した。しかし山がちな地勢上、完全な邑城は少なく山城との折衷形式のものが多く見られる。文禄・慶長の役で日本軍の攻囲に耐えた延安城、また一旦は日本軍の攻撃を退けた晋州城はその折衷形式のものである。現在の韓国水原市にある水原城は、李氏朝鮮の独自性を狙った造りだともいわれる。

井上秀雄の調査によると、韓国の城郭址は、原始時代から現代に至るまでで総数1806城あり、文献と遺跡とが一致するのは381城であり、全体の21パーセントとする[9]

倭城

また文禄・慶長の役で南岸域を中心に日本軍が造った日本式の城も多く存在し、それらは「倭城」(わじょう)と呼ばれている。日本式の総石垣造りで、日本国内の城と同様に櫓や城門、塀を建て並べ、天守を上げた城もあった。


注釈

  1. ^ 城壁城砦は、ドイツ語では「Stadtmauer」と「Burg」、英語では「city wall」と「castle」、フランス語では「muraille」と「château」として区別する。
  2. ^ 市制100周年の記念事業「ふるさと創生事業」の一環として1989年に行われた企画アイデアの公募によって決まった姫路城公式ホームページ内雑学姫路城”. 2008年9月4日閲覧。

出典

  1. ^ 千田嘉博『城郭考古学の冒険』幻冬舎新書、2021年。p.3.
  2. ^ 香川元太郎『歴群[図解]マスター 城』学習研究社、2012年。
  3. ^ 西ヶ谷恭弘編著『城郭の見方・調べ方ハンドブック』東京堂出版 2008年
  4. ^ Claridge, Amanda 1998 Rome: An Oxford Archaeological Guide
  5. ^ a b c d e f g h i j k l m n o p q r s t u v w 堀越 宏一 「戦争の技術と社会」3.城と天守塔, 〜 15のテーマで学ぶ中世ヨーロッパ史 ISBN 978-4-623-06459-5
  6. ^ 西洋において石造の城が本格的に作られ始めたのは12世紀で、13世紀には主流となる。池上俊一『図説騎士の世界』(河出書房新社、2012年)pp.75-76.
  7. ^ a b c d e f g h i マルコム・ヒスロップ Dr. Malcolm Hislop 著 『歴史的古城を読み解く』(桑平幸子訳) ISBN 978-4-88282-912-6
  8. ^ 『戦略戦術兵器事典』 中国古代編、学習研究社、1994年。 
  9. ^ 井上秀雄 『倭・倭人・倭国 東アジア古代史再検討』 人文書院 1991年 p.89.
  10. ^ 日本城郭協会 昭和49年度事業 (平成4年度事業も)”. 2008年9月6日閲覧。[リンク切れ]
  11. ^ Top 10 Castles”. English Heritage. 2022年8月2日閲覧。
  12. ^ Top 10 castles” (英語). National Trust. 2022年8月2日閲覧。
  13. ^ 日本放送協会. “完全再現!黄金期のフランス古城|BS世界のドキュメンタリー|NHK BS1”. BS世界のドキュメンタリー|NHK BS1. 2022年6月22日閲覧。
  14. ^ お城に宿泊、殿様気分 愛媛・大洲城や長崎・平戸城”. 日本経済新聞 (2019年7月11日). 2022年6月22日閲覧。
  15. ^ Staff, Guardian (2009年7月31日). “How to build the perfect sandcastle” (英語). the Guardian. 2022年6月22日閲覧。
  16. ^ 砂城作りも規制…環境保護へ「禁止令の島」に 比・ボラカイ島、観光客受け入れ再開”. SankeiBiz(サンケイビズ) (2018年11月7日). 2022年6月22日閲覧。
  17. ^ Italy bans sandcastles and bikinis” (英語). the Guardian (2008年8月15日). 2022年6月22日閲覧。






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