坂上二郎 ギャグ

坂上二郎

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/05/30 00:35 UTC 版)

ギャグ

飛びます、飛びます
コント55号のコント「飛行場」で、飛行機の手振り付きで用いられたフレーズ(A飛行機、B飛行機、〜)。
数あるコントの一つに過ぎないものとして長い間埋もれていたが、1980年代に入り、坂上の物まねを得意とする片岡鶴太郎が好んで多用。以後、代表的ギャグとして定着した。
また、他のギャグもイジリー岡田などにパロディーをされている。
ハプニングとアドリブ
コント55号の笑いはハプニング的な物が多かった。一応岩城未知男が書いた台本があるのだが、坂上は非常に記憶力がよく台本を読ませると完璧に覚えてしまい、全てが予定調和になってしまうため、萩本は坂上に台本を読ませなかったり、突如ステージで台本を無視して舞台上で坂上に無理難題をふっかけるなどして対処した。坂上は困惑したが、これを全て笑いに変えていった。この過程で上記のように坂上が決めゼリフを頻発し、笑いを畳み掛けた。
結局コント55号の笑いは坂上抜きには成立せず、ビートたけしをして「最高の受け役」と言わしめている。
坂上は後に「二度同じネタをやったことはなかった」と述べているが、理由は前述のアドリブのためである。
忍者ネタ
「みんなで出よう55号決定版!!(TBS)」内の忍者ネタのコーナーでは必ず全身真っ赤な忍び装束で登場し、黒装束の正統派なアクションを演じるメンバーの後にずっこけたアクションを行い笑いを取っていた。
この「赤忍者」にはテーマジングルがあり、出場・退場時双方でかかっていた。他の忍者達にも「黒忍者」という名称があり、同様にジングルがあった。
キャラクター
朴訥なキャラクターや俳優としての役柄、萩本からサディスティックな突っ込みを受けるポジションなどから不器用なタイプと誤解されがちだが、歌、踊り、動き、喋りなど芸のスキルは非常に高かった。
西条昇著『東京コメディアンの逆襲』(1996年、博美館、ISBN 978-4334725747)の中のインタビューで萩本は「これだけ力のある奴を困らすって、大変だなと思いましたねえ」と語り、西条はそれがまた萩本の異常な芸風(西条は「変な人の突っ込み」と分類し、このカテゴリには萩本一人しか属さないとしている)を引き出したと分析している。

注釈

  1. ^ 厳密には下ネタそのものを嫌うというよりも師匠である東八郎から「下ネタとダジャレは素人にあげたネタだから、プロがやっちゃいけない」と教わったのを守っているため。ただ、このスタンスを崩さなかったため、番組に対する印象は異なっており、萩本は本来の芸であるコントによる笑いで勝負させてもらえず、「野球拳」という安易な企画で視聴率を取ろうとする姿勢に納得がいかず大嫌いな番組に上げる一方で、坂上は、この番組で脚光を浴びたことから代表番組に上げている。
  2. ^ 地上波における追悼番組はなかったが、WOWOWでは2011年3月21日に坂上の追悼特番として、坂上が過去に出演した舞台公演を放送した。

出典

  1. ^ a b c “坂上二郎さんが死去…「コント55号」で国民的人気”. スポーツ報知. (2011年3月10日). オリジナルの2011年3月12日時点におけるアーカイブ。. https://web.archive.org/web/20110312034358/http://hochi.yomiuri.co.jp/entertainment/news/20110310-OHT1T00174.htm 2011年3月10日閲覧。 
  2. ^ 佐藤正弥編著 『データ・バンク にっぽん人』 現代書林、1982年、213頁。
  3. ^ 坂上二郎さん死去:「みんなの誇り」鹿児島の友人ら悼む 毎日新聞 2011年3月10日閲覧参照
  4. ^ 訃報 坂上二郎さん 3月10日死去 - ウェイバックマシン(2015年4月27日アーカイブ分)
  5. ^ コント55号(こんとごじゅうごごう)とは? 意味や使い方”. コトバンク. 2024年4月20日閲覧。 “坂上二郎は、34年鹿児島生まれ。54年、内海突破氏に弟子入りし、安藤ロールの芸名で東宝名人会に出演。”
  6. ^ すこやかに生きるために”. 三豊・観音寺市医師会. 2024年4月20日閲覧。 “坂上二郎氏紹介(中略)1954年内海突破氏に弟子入り。”
  7. ^ a b c 昭和40年男(クレタパブリッシング)2020年8月号増刊「生きざまに憧れた昭和の男たち#4 萩本欽一の永遠の相棒 坂上二郎」(38-39頁)
  8. ^ 週刊平凡1974年4月11日号154頁
  9. ^ 坂上二郎さん初ベスト盤…ジャケ写は倉庫から“発掘”、ZAKZAK、2011年6月29日(2021年2月22日閲覧)
  10. ^ “脳梗塞(1)左手の感覚がない”. 読売新聞. (2007年7月1日). http://www.yomidr.yomiuri.co.jp/page.jsp?id=24124 2011年3月10日閲覧。 
  11. ^ “脳梗塞(5) かっさい、一番の薬”. 読売新聞. (2007年7月29日). http://www.yomidr.yomiuri.co.jp/page.jsp?id=24137 2011年3月10日閲覧。 
  12. ^ 総合芸能学院キャメルアカデミー - 練馬区タウン
  13. ^ “坂上二郎、入院していた…盟友・欽ちゃんが明かす” (日本語). スポーツ報知. (2010年10月27日). オリジナルの2010年10月29日時点におけるアーカイブ。. https://web.archive.org/web/20101029194651/http://hochi.yomiuri.co.jp/entertainment/news/20101027-OHT1T00016.htm 2010年10月27日閲覧。 
  14. ^ “二郎さん妻と2人暮らし 自宅はひっそり”. ニッカンスポーツ・コム. 日刊スポーツ新聞社. (2011年3月11日). https://www.nikkansports.com/entertainment/news/p-et-tp0-20110311-747083.html 2019年9月29日閲覧。 
  15. ^ “コント55号の坂上二郎さん脳梗塞で死去”. 読売新聞. (2011年3月10日). オリジナルの2011年3月13日時点におけるアーカイブ。. https://web.archive.org/web/20110313103105/http://www.yomiuri.co.jp/entertainment/news/20110310-OYT1T00694.htm 2011年3月10日閲覧。 
  16. ^ a b 朝日新聞別刷り「Be on Saturday」2011年6月18日付、b9面「順風満帆―萩本欽一(中)」より
  17. ^ 欽ちゃん、二郎さんに「ありがとうしかない」 サンケイスポーツ 2011年3月10日閲覧
  18. ^ “鶴太郎「ずっと二郎さんの背中を追ってきた」”. スポニチ Sponichi Annex. (2011年3月11日). https://www.sponichi.co.jp/entertainment/news/2011/03/11/kiji/K20110311000403090.html 2017年3月21日閲覧。 
  19. ^ “欽ちゃん 二郎さんと最後の別れ” (日本語). 日刊スポーツ. (2011年3月14日). https://www.nikkansports.com/entertainment/news/p-et-tp0-20110314-748106.html 
  20. ^ “欽ちゃん「二郎さん」巡礼の旅番組”. 日刊スポーツ. (2012年5月5日). https://www.nikkansports.com/entertainment/news/p-et-tp0-20120505-945471.html 2017年3月21日閲覧。 
  21. ^ 坂上二郎 - オリコンTV出演情報






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