原坦山
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/02/27 14:47 UTC 版)
思想と人格
- 伝統的な漢学を素養として、合理的な知見による科学としての仏教・道義哲学としての仏教を追究した
- 当時の仏教界とくに曹洞宗教団とその僧侶については、かなりはやい段階から批判的な立場に立っていた
- 東西の医学を学んでいたこともあり、実験と実証を重んじ、強烈な自負心にもかかわらず、合理的に誤りがあれば、あえて自説を撤回することも厭わなかった
- 近代的合理性に裏づけられた哲学としての仏教を追究するが、文献の扱いがきわめて厳密であり、伝統的な曹洞宗の宗学にも明るい
- とかく奇行・逸話に富んだ特異な行実が目立つが、その背景には堅固な学問素養にもとづいた自由な教養人の側面もあった[14]
弟子
参考文献
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- クラウタウ・オリオン『近代日本思想としての仏教史学』(法蔵館、2012年)
- 吉永進一「【原著】原坦山の心理学的禅 : その思想と歴史的影響」『人体科学』 2006年 15巻 2号 p.5-13, doi:10.20788/jmbs.15.2_5
- 木村清孝「原坦山と「印度哲学」の誕生-近代日本仏教史の一断面-」『印度學佛教學研究』 2001年 49巻 2号 p.533-541, doi:10.4259/ibk.49.533
- 『禅学大辞典』(大修館書店)p1031
- 柏原祐泉/紀野一義/森竜吉/吉田久一 『求道の人びと 近代仏教百年の歩み』 春秋社 1969.2.10刊 pp.16-20 「原坦山」事項でその行実が比較的正確に紹介されている 原の出家時の師匠を總泉寺の「栄禅」(大中京璨の師匠)としている
- 『担山和尚全集』(釈悟庵編、光融館、1909年) 原坦山の著述・逸話・回想録を含む原資料
外部リンク
- 『担山和尚全集』(釈悟庵編、光融館、1909年)近代デジタルライブラリー
- ^ 坦山の僧名の由来は 自身の詩句「坦平之山 険竒難究」坦平の山 険竒にして究め難し にあると推測可能
- ^ a b “原坦山”. 日本大百科全書(ニッポニカ). コトバンク. 2019年4月22日閲覧。
- ^ 『曹洞宗全書』 大系譜1 曹洞宗宗務庁刊
- ^ 「追慕録」中 (1)原山禅師の遷化を悼む 明教新誌主筆 出典:『担山和尚全集』 光融館、1909年11月13日、394頁 『曹洞宗全書』大系譜1
- ^ a b c d e 酒井大岳『遺偈 遺誡:迷いを超えた名僧 最期のことば』 大法輪閣 1998年、ISBN 4-8046-1146-0 pp.150-153. 原坦山の逸話については、「坦山和尚逸事」として25件があげられている。真偽の程度は不明だが、従来紹介されてきた逸話のほぼすべてはこれによる。 出典:『坦山和尚全集』秋山悟庵篇 第3篇雑部 369~391頁
- ^ 木村清孝「原坦山と「印度哲学」の誕生-近代日本仏教史の一断面-」『印度學佛教學研究』 2001年 49巻 2号 32頁
- ^ 原坦山と「印度哲学」の誕生 木村清孝 印度學仏教學研究第49巻第2号 平成13年3月刊 29頁
- ^ “原坦山”. 精選版 日本国語大辞典. コトバンク. 2019年4月22日閲覧。
- ^ 『担山和尚全集』(釈悟庵編、光融館、1909年)
- ^ 坦山和尚逸事 出典:『坦山和尚全集』 秋山悟庵篇 所載 385頁
- ^ 坦山和尚逸事 所載382頁 『担山和尚全集』(釈悟庵編、光融館、1909年)
- ^ 木村清孝「原坦山と「印度哲学」の誕生-近代日本仏教史の一断面-」『印度學佛教學研究』 2001年 49巻 2号 31頁
- ^ 「原坦山と印度哲学の誕生 -近代日本仏教史の一断面-」 木村清孝 印度學仏教學研究 第49巻第2号 2001年3月 pp.533-541
- ^ 木村清孝 前掲書
- ^ 大内青巒は「覚仙坦山老師碑」(駒澤大学史蹟)に「門下生」と自称しているが 原自身が大内を門下の弟子とみなしていたかは不明
[前の解説]
原坦山と同じ種類の言葉
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