千葉英二
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来歴・人物
読売ジャイアンツ花の13年組(※1938年=昭和13年入団の選手には後に歴史に名を残す選手が多くいた。)の一人で名二塁手と謳われた千葉茂の実弟。愛媛県立松山商業高等学校を卒業し1955年に中日ドラゴンズに入団するが二軍でもプレーできず1956年に退団。引退後サラリーマン生活を送っていたが1968年セントラル・リーグの関西審判部に入局し審判として球界復帰。1986年まで審判を務めた。
引退後はスポーツ用具メーカーのミズノに入社し勤務していたが1992年1月17日、56歳で急死した。
詳細情報
年度別打撃成績
- 一軍公式戦出場なし
背番号
- 71 (1955年)
- 62 (1956年)
関連項目
固有名詞の分類
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