千日デパートビル火災民事訴訟 千日デパートビル火災民事訴訟の概要

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千日デパートビル火災民事訴訟

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/11/12 04:14 UTC 版)

千日デパート火災 > 千日デパートビル火災民事訴訟

概要

千日デパートビル火災では、火災犠牲者遺族や罹災テナントが火災関係各社に対して幾つもの損害賠償請求訴訟を提起した。また、仮処分も多く申請された。本件火災後に提起された民事訴訟や仮処分申請などには、おもに以下のものがあった。

  • 1972年(昭和47年)7月11日、テナント17業者がデパートビル補修のために組まれた足場が「営業妨害に当たる」として、足場を設置した日本ドリーム観光と建設会社を相手取り、営業妨害禁止を求める仮処分を大阪地裁に申請[1]
  • 1972年8月4日、松和会の一部会員が賃借部分の倉庫を日本ドリーム観光が取り壊す恐れが生じたために執行官保菅および現状維持の仮処分を申請[2]
  • 1972年10月11日、被害者遺族が「妻の遺体を身元不明者として無断で解剖したのは許せない」として日本ドリーム観光と大阪府を相手取り、慰謝料など損害賠償請求訴訟を提起[3]
  • 1972年11月15日、千日デパート罹災業者復興対策委員会メンバーの一部テナント団体が日本ドリーム観光に対して賃借権確認訴訟を提起[4]
  • 1972年12月11日、ニチイが日本ドリーム観光を相手取って賃借権妨害予防に関する仮処分を申請[4]
  • 1973年(昭和48年)1月22日、日本ドリーム観光がニチイに対して損害賠償請求訴訟を提起、反訴でニチイが日本ドリーム観光に対して損害賠償請求訴訟を提起[4]
  • 1973年1月19日、火災被害者2遺族が火災関係4社を相手取り損害賠償請求訴訟を提起(個別訴訟)[5][6]
  • 1973年2月3日、火災被害者2遺族7人が火災関係4社を相手取り損害賠償請求訴訟を提起(個別訴訟)[7][8]
  • 1973年2月19日、「千日デパートビル火災遺族の会」の火災被害者52遺族が火災関係4社を相手取り損害賠償請求訴訟を提起(一次訴訟)[9][10]
  • 1973年3月13日、「千日デパートビル火災遺族の会」が千日デパートビルの取り壊しを中止し、ビルの検証を求める証拠保全を申し立て[11]
  • 1973年3月26日、「千日デパートビル火災遺族の会」の火災被害者21遺族が火災関係4社を相手取り損害賠償請求訴訟を提起(二次訴訟)[12]
  • 1973年6月1日、テナント団体「松和会(しょうわかい)」が日本ドリーム観光に対して生活費支払い要求の仮処分を申請[13]
  • 1973年10月11日、松和会が日本ドリーム観光に対して損害賠償請求訴訟を提起[14]
  • 1974年(昭和49年)9月19日、松和会の一部会員が金員の仮払い請求の仮処分を申請[15]
  • 1975年(昭和50年)5月、テナントオーナー2名と業者34名がニチイに対して損害賠償請求と営業再開までの金銭的補償を求めて訴訟を提起[16]
  • 1976年(昭和51年)9月19日、松和会の一部会員が金員の仮払い請求の仮処分を申請[15]
  • 1977年(昭和52年)1月18日、松和会が大阪地裁に千日デパートビル取り壊し禁止を求める仮処分を申請、これに対し日本ドリーム観光は執行停止を申し立て。さらに松和会が現状維持仮処分の執行停止の更正を要求[17]
  • 1980年(昭和55年)9月18日、松和会がニチイに対して損害賠償請求訴訟を提起[18]


遺族会統一訴訟は、1975年(昭和50年)12月26日に提起から約3年という短期間で和解に至り、火災関係各社が91遺族に対して補償総額18億5000万円を支払うことで解決した[19][20][21]。これはテナント訴訟のうちの一つである「松和会訴訟」の中間判決において、千日デパートの所有者であり経営者でもある被告の日本ドリーム観光には「テナントに対する保安管理契約の存在および右契約に基づく債務不履行の責任があった」と認められたことにより、火災被害に対する右同社の責任が明確化したことで、被告である火災関係4社の態度が軟化し、遺族会との間で交渉が大きく前進した結果であった[22]

火災関係各社間の訴訟は、おもに日本ドリーム観光とニチイの間で争われ、お互いが火災発生について保安管理や債務不履行の責任を認めようとせず、相互に相手を訴えるという「訴訟合戦」の様相を呈した[9]。最終的には1988年(昭和63年)4月23日に両社間で和解が成立し、ニチイが日本ドリーム観光に対して「解決金」として16億5000万円を小切手で支払うことで決着した[23]

テナント訴訟は、デパートビル内で営業していたテナントが170店舗ほどあったことから、日本ドリーム観光とニチイを提訴するテナントやテナント団体が多く、被告各社が出火責任および債務不履行による責任を認める態度を示さなかったために各訴訟や交渉は難航し、解決までに最長で17年を要した[24]。テナント訴訟において代表的な「松和会訴訟」では、1975年(昭和50年)3月31日の「中間判決」を経て、1980年(昭和55年)1月14日に原告被告間で即決和解が成立した。日本ドリーム観光は松和会各会員に対して仮払金2億5000万円を支払うこと、新ビル入店時の賃借権を旧ビル同様に保証すること、また松和会会員は、日本ドリーム観光がおこなう千日デパートビルの取り壊しを認め、新ビル建設に協力することで双方が合意に達した。1981年(昭和56年)1月26日に終局判決で日本ドリーム観光は松和会各会員に対して総額8億6万4,050円を賠償することが決まった[25]。その後、1989年(平成元年)7月13日に最終覚書を交わして松和会が提起した損害賠償請求訴訟は決着した。またテナント団体の松和会は、ニチイとの間でも損害賠償請求訴訟を提起した。最終的には1985年(昭和60年)11月29日に和解が成立し、ニチイが松和会会員に対して見舞金として1億5000万円を支払うことで決着した[26]

(分割記事のため、ここまで「千日デパート火災#民事訴訟」節の概要部に共通。)

以降、本記事ではおもに「遺族会統一訴訟」について、また被災テナント団体の一つである「松和会」が提起した損害賠償請求訴訟について記す。

遺族会統一訴訟

千日デパートビル火災の被害者遺族は、1972年5月28日に「千日デパートビル火災遺族の会(以下、遺族会と記す)」を発足させ、日本ドリーム観光および千土地観光、ニチイ、O電機商会の右火災関係4社と補償交渉をおこなうことになった[19][27]。14日早朝に日本ドリーム観光・専務取締役の千日デパート店長は、遺族に対し「遺族への補償、葬儀料、負傷者への治療費、見舞金は日本ドリーム観光が責任を持って決める」「合同葬儀を行い、責任の所在をはっきりさせたうえで完全な補償を目標に努力したい」などと表明した[28]。火災関係4社は、話し合いで「千日デパート被災者対策合同本部(以下、対策合同本部と記す)」を設置し[29]、死亡者に対して一時見舞金100万円、負傷者に対して怪我の程度に応じて20万円から30万円の見舞金を支払うことを決めた[30]。ニチイと千土地観光が葬儀料として1遺族あたり20万円を両社で折半して負担することも決められ[31]、5月25日に東本願寺難波別院(南御堂)で合同葬儀も執り行われた[28]。遺族会が発足して以降、補償交渉は本格的に進められた。遺族会側は火災関係4社に対して「団体交渉」を要求したが[32]、4社側からは「ホフマン方式による一対一の個別交渉」を基本方針にする旨が示され[注釈 1]、双方の意見が対立して補償交渉は紛糾した[27][33]。4社は遺族会に対して補償額の試算を提示し、死者1人につき最高で1,000万円程度、最低で400~500万円、総額で8億円程度の補償になる見込みとした[34]。負傷者については、全快の見込みが立たない場合を除き、一人につき5万円(軽傷者)から30万円(重傷者)までの補償額とすることが決められ、15人の負傷者が補償額に了承した[34]

火災関係4社は、出火責任について互いに擦り合いをしており、特に日本ドリーム観光とニチイの間では、ニチイの主張によれば「日本ドリーム観光には、ビルおよびテナントに対する保安管理責任がある」といい、また日本ドリーム観光の主張によれば「ニチイには、出火および工事監督責任がある」というなど、利害対立によって双方が自社の責任を認めようとせず、補償交渉が進展しないなどの影響が出始めていた。「対策合同本部」は、9月20日午後に遺族会に対して具体的な補償額などを提示する約束になっていたが、前日の19日に開かれた「最終4社会談」が補償の分担を巡って決裂したことで遺族会側に「延期」を申し入れてきた。そのことをきっかけに4社間の足並みが乱れ始め、ニチイが「対策合同本部」を脱退することを決めたことで、右本部は内部分裂するに至った[35]。ニチイは遺族に対して単独で補償交渉をおこなうことを決めた[36]。ニチイは、責任の所在が不明確な段階ながらも「企業イメージを損なう観点から、これ以上補償交渉を引き延ばすわけにはいかない」として、とりあえず遺族に対する見舞金として一律300万円、総額3億5,400万円を支払うことを決めた[35]。ニチイはこの他に遺族や負傷者に一時見舞金など1億5,000万円をすでに支払っていた。この動きに対して遺族会側は「誠意が感じられる」として見舞金を受け取る遺族が多くみられた[35]。3階で電気工事を請け負っていた「O電機商会」は、資本金100万円の零細企業で、会社の資産といえば土地と建物以外には僅かな余剰金があるばかりで遺族に対して補償できる能力は無かった[37]。それでも「O電機商会」の社長は、会社を清算したうえで土地建物を売却して、余剰金と合わせて「千日補償基金財団」(1,000万円程度)を作り、補償金に充てるとした[37]。「プレイタウン」を経営する千土地観光は、避難誘導の不手際などの責任を認めて、遺族会に補償額を提示したいとの考えを示したが、右同社との間で具体的な交渉は進まなかった[38]。一方、千日デパートの経営者であり、千日デパートビルの所有者でもある日本ドリーム観光は「出火の責任はニチイにあり、我々こそが最大の被害者だ」「我が社はビルを所有しているだけで遺族への補償責任はない。今後は遺族との補償交渉には応じない」という立場を宣明にし、自社の責任を認めた形での補償交渉を頑なに拒否した[39]。これらのことにより火災関係4社で作る「対策合同本部」は解散同然の状態に追い込まれ、雲散霧消した。遺族会は、補償交渉の窓口を失ったことで解決策を「訴訟」に持ち込まざるを得なくなった[35]

「対策合同本部」解散以降も遺族会に対しては、火災関係4社から誠意ある対応や解決案の提示がなかったことから、遺族会(原告)は1973年(昭和48年)2月19日に火災関係4社(被告)を相手取って大阪地方裁判所に損害賠償請求訴訟を提起した(1次訴訟)[19][40]。原告団のなかには「大阪市消防局に対しても責任を追及すべき」との意見も出された。大阪市の消防行政が本件ビルに警告を出すだけに終わっていて「火災の未然防止が為されなかった」という理由である。しかしながら訴訟の長期化を避ける意味で大阪市への告訴は見送られた[41]。本件遺族会統一訴訟では、当初の原告は52遺族135名で請求額は13億6,750万円だったが[40]、最終的に犠牲者118名の遺族のうち、2次訴訟(同年3月26日提起)を併せて91遺族247名が原告となり、総額約27億6千万円を被告4社に対して請求した[19][41]。なお本件火災では、遺族会訴訟の他にも遺族会を脱退した4遺族14名が個別の損害賠償請求訴訟を提起し、1億8千万円の損害賠償を被告4社に請求した[42][41][5]。遺族会などが提起した損害賠償請求訴訟は、日本の災害関連の民事訴訟の中では最大の集団訴訟となった(当時)[41]

原告側の主張

原告である遺族会側が公判で主張した被告4社の責任となる原因は以下のとおりである[22][5][40][41]

日本ドリーム観光(ビル所有者、千日デパート経営者)

右同社は千日デパートビルの所有者であり、同ビル全体に対する管理責任を持つ。したがって、3階の電気工事に伴う防火および初期消火の責任、延焼拡大防止の責任は、ニチイと共同で負う。多量の煙を7階へ流入させた主な原因は、エレベーター昇降路の施工不良によって生じたと推定される隙間があったこと、空調ダクトの防火ダンパーが不作動だったこと、および2階F階段の横引シャッターが故障していて開放状態だったこと、以上によるものである。それらは民法717条に該当する。また同ビルの共同防火管理体制が全く取られていなかったことにより、火災発見後に保安係員が7階プレイタウンへ何らの通報もせずに放置して、被災者らの早期避難を不可能にした。

千土地観光(プレイタウン経営者)

プレイタウンは、千日デパートビルの7階で風俗営業をおこなっており、避難階段や避難器具の安全確保を図るべきなのに、唯一安全な避難階段である「B階段」の出入口前にクロークを設置して使用困難な状態に置き、唯一の避難器具である「救助袋」も長年にわたり保守管理を怠り、破損箇所を修理せずに放置していた。また日頃からの避難誘導訓練をおこなわず、火災発生後に同店へ煙が流入してきた際に、煙が蔓延するまで数分間の余裕があったにもかかわらず、被災者らに対する適切な避難誘導を怠り、重大な被害結果を招いた。

ニチイ(工事発注者、出火元の店舗経営者)

工事発注者としてデパートビル3階の電気工事に立ち会い、工事中の出火防止に努めるべき義務を果たさなかったこと、3階防火区画シャッターラインの真下に陳列台を置いて同シャッター閉鎖を妨げ、また4階へ通じるエスカレーターのカバーシャッターを閉店後に閉鎖せず、火災拡大防止を怠った。

O電機商会(電気工事請負業者)

千日デパートビル3階の可燃物が多い繊維製品売場において火災発生当夜に電気工事をおこなった際、喫煙場所を定めず、水を入れた容器などを用意して火災発生を未然に防止すべき注意義務に違反して、工事監督が3階売場を不用意に歩きながら喫煙し、火が点いたマッチや煙草を3階出火推定場所に捨てたために繊維製品(夏用洋布団)に引火させ、火災を発生させた重過失ならびに初期消火作業の失敗によって火災の延焼拡大を招いた。

以上の理由により原告は、これら被告4社の共同不法行為(民法719条1項)として被告各社に「連帯して賠償の責任がある」とした[22][41]。損害請求額については、当初は死亡者一人につき最高6,377万円、最低783万円、平均一人あたり2,600万円とした[41]。一律請求方式を採らず、遺失利益および慰謝料の相続分、固有の慰謝料など、従前通常の損害賠償請求方式とした[22]。一律請求にしなかった理由は、本件の被害者全員が有職者であったところ、各人の収入に差が見られたため、その状況で一律請求をおこなうと、認定される額が収入の低い者を基準に算定される恐れがあることを考慮せざるを得ず、実質的な公平という観点を重視したことによる[43]

被告4社の主張

原告側の主張に対し被告4社は見解を答弁書で示し、「原因については今は何も言えない。原告の請求額は認められない」「責任は他社にある」「警察が言う出火原因は間違っている」などと主張して、被告4社はいずれも賠償責任を否定した[44]。O電機商会は、出火原因を否定し、大阪地検の工事監督に対する不起訴処分決定を援用した。ニチイは、工事による出火を否定し、3階の管理責任はすべて日本ドリーム観光にあると主張した。日本ドリーム観光および千土地観光両社は、出火責任はニチイにあると主張し、独自の管理責任ならびに独自の避難誘導責任の有無について争いつつ、不可抗力論を展開する主張をおこなった[22][44]

訴訟の主な争点に対する原告側の見解

本件火災によって甚大な人的被害を出した責任と問題点がどこにあるのか、原告団(遺族会)は法律上の観点から見解を示した。複合用途に供される商業ビルにおいて共同防火管理が欠如していた点、防火管理責任の所在の曖昧さ、ビル滞在者に対する安全確保と避難誘導の意識欠如、デパートビルの設備について保守点検を怠っていたことなどを指摘し、被告各社の責任を追及した[45]。原告の見解の要約を以下に引用する。

複合用途ビルにおける共同防火管理体制の欠如
本件ビルは、複合用途の建物であり、複数の管理権原者が売場を管理している。日本ドリーム観光は地下1階から6階までを、ニチイは3階および4階を、千土地観光は7階をそれぞれ別個に防火管理者を選任して防火管理にあたっていた。したがって、消防法令で規定されている共同防火管理体制を取ることが義務付けられている。ところが本件ビルは、その体制が取られていなかったために火災発生や火災状況などが7階プレイタウンに伝達されず、適切かつ迅速な避難誘導がなされなかったことで多数の犠牲者を出すに至っている。その意味で共同防火管理体制が欠如していたことは、防災義務を怠った法令違反として被告人らの懈怠(過失)を為すものといえる[42]
遺族会原告団代理人、ジュリスト1976(609)
管理責任の所在
本件ビルは、建物全体を一つのテナントが賃借して使用する場合とは異なり、売り場を細分化して多くのテナントに賃借して営業しており、日本ドリーム観光は、ビルの所有者として同ビルを防災上の観点から全体を統一的に管理する義務がある。しかしながら、各テナントにおいても防災義務があることは否定されず、売り場の使用形態からして独自の防災義務が発生するとみるべきである。ニチイの場合、3階および4階のフロア2つ分をほぼ独占的に賃借して営業していたのであり、同ビルの外に看板を設置していることからも営業形態は同ビルの中では独立的かつ中心的である。また同社は営業時間中に独自の保安員を置き、閉店後においては23時まではデパート管理部に届け出なしで残業をおこなうことが認められていた[42]。同社が賃借する各フロアに面した階段やエスカレーターの防火シャッターなどを閉店時に閉鎖することも同管理部から任されていたのであり、ニチイにも保安管理義務があったと解釈できる[45]。このことによりニチイにおいても、自社の売場に対して独自の防災義務が発生するといわなければならず、したがって第三者に対する関係においては、被告両社の防災義務は競合する[46]
遺族会原告団代理人、ジュリスト1976(609)

保安管理義務の有無については、日本ドリーム観光とニチイの間で主張が対立した[42]

自衛論および不可抗力について
日本ドリーム観光と千土地観光が主張するところによると「両社には火災発生そのものについては責任がなく、7階プレイタウン滞在者らに対する避難誘導の義務は元々なく、もし仮にその義務があったとしても、客に対する義務があるのみで、従業員は避難誘導の補助履行者であるからその対象ではない」という。しかしながら、プレイタウンは高層ビルの7階最上階で風俗店を経営しているのであり、同店に在店する者全員について安全確保義務があるのは当然である。また火災発生と被害発生とを同一視している点で主張が誤っているといえる。すなわち人的被害の拡大は、新たな要因が加わって起こっているのであり、火災発生の責任とは別の次元で考えるべきである。したがって火災発生の責任が無いからといって人的被害拡大の要因を作り出した者らの責任が阻却されることはない。従業員に対しては避難誘導義務はないと主張する点についても、日常的な防火管理体制における労働者の安全確保義務という観点を欠落させていることから、そのような主張は非難を免れない[46]
右被告両社は「本件においては煙の回りが非常に早く、有効な避難誘導をおこなう時間的な余裕がなかった」として「不可抗力論」を主張した。元々、火災発生によって避難する場合は、迅速に行動することが要求されるのであって、そのために日常的に十分な防火管理体制が要求される。本件のような煙によって被害が拡大した火災の場合、日頃から建物の構造を把握し、管理上の問題点を洗い出して、万が一の火災に備えた措置を講じておくべきであった。ところが本件においては、日常的な防災および避難誘導体制が全く欠落していたために甚大な被害が発生したものであるから、十分な体制が取られていれば、避難誘導に対する時間的余裕は当然あったと考えられる。またプレイタウン支配人やリーダー格の従業員などの店内構造を熟知していた者は、その多くが避難に成功して助かっているが、その反面、客やホステスあるいはアルバイト従業員などの店内に詳しくない者は、死亡率が高いことを考えると、不可抗力論は成り立たない[46]
遺族会原告団代理人、ジュリスト1976(609)
失火責任法および民法第717条の適用について
日本ドリーム観光および千土地観光は「失火責任法の適用がある」と主張した。しかしながら同法は、火災を発生させた者の責任を規定した法律であり、右両被告は防火管理業務を怠ったことによって火災を発生させ、被害を拡大させたことによる責任を追及されているのであるから、同法の適用はあり得ない[46]
遺族会原告団代理人、ジュリスト1976(609)

原告側は、本件火災によって発生した多量の煙が7階プレイタウンに流入し被害を拡大させた主要因について、エレベーターシャフトに欠損部分があったこと、空調ダクト内の防火ダンパーが作動しなかったことなどが挙げられることから、民法第717条による被告の責任を追及した[46]

刑事訴訟およびテナント訴訟からの影響

本件火災の刑事訴訟においては、千日デパートビルおよびプレイタウンの防火管理責任者ら計4名が業務上過失致死傷罪で起訴され(1973年8月10日)、出火の原因を作ったとされる工事監督は証拠不十分により起訴されなかった(同日)。出火責任よりもビルの保安管理責任に対して公判が付されたことは、当時としては極めてまれなことであったために、本件訴訟における司法判断にも大きな影響を及ぼした。一方、テナント訴訟において中間判決が出され(1975年3月31日)、被告となっていた日本ドリーム観光には「各テナントに対する保安管理契約に基づく債務不履行の責任がある」と認められた。工事立会いおよび防火区画シャッター閉鎖の義務が現に日本ドリーム観光にあり、ニチイも工事発注者として監督責任を履行すべきであったが、ビル所有者である被告同社がニチイへの指導を放置していたことは指揮監督上の違反であり、ニチイの不手際は結局のところ日本ドリーム観光の不手際に他ならない、と判断された点は、遺族会損害賠償請求訴訟の判断にも大きな影響を与えた[22]

和解

本件遺族会統一訴訟は、1975年(昭和50年)10月31日の口頭弁論ですべての証拠調べが終了した。同年8月に大阪地裁より当事者双方に和解の打診があり、同年9月以降、裁判と並行して8回に亘り交渉が重ねられた結果、同年12月26日に大阪地裁民事三部(裁判長裁判官・黒川正明)で開かれた「第9回和解交渉」で原告、被告双方が合意に達し、和解が成立するに至った[22][47][48]

和解条項は以下のとおりである[49][48]

  1. 損害額の総額は、91遺族で18億5,000万円とし、その額から既払金を差し引いた残額11億8,000万円を被告は支払う。
  2. 右損害額の被告間の負担割合は、ニチイ「4」(=7億4,000万円)、千土地観光ならびに日本ドリーム観光「6」(=11億1,000万円)とする[注釈 2]
  3. 1および2の支払金につき、ニチイについては同年12月27日までに全額を、千土地観光ならびに日本ドリーム観光は、その一部を右同日に支払い(3社で5億5,780万円)、残額6億2,220万円を1976年(昭和51年)9月末日までの分割として支払う。
  4. 原告は、その余の請求を放棄し、被告ら相互間でも、本件について互いに求償しない。

原告側が和解に応じた理由は、すでに火災事故から3年余りが経過し(1975年)、遺族の窮状からすれば迅速な救済を実現することが必要であったこと、提示された和解額は、一律の慰謝料900万円を含んで1遺族当たり約1,400万円から3,200万円、平均すると2,040万円弱で、当初の請求額(総額約27億6千万円、平均2,600万円)からすればかなり低い額であったが、被告側からの当初回答額1,000万円からすれば相当な前進であり、大阪地裁が提示した和解額17億5,000万円に被告各社が1億円を上乗せしたことから和解の糸口に繋がったこと、判決文または和解条項において、責任問題については触れられなかったが、実質的には被告各社にその責任を認めさせたことなどを評価した結果によるものである[42][48]

和解に際して、公判中に原告が被告から受けた心無い発言「逃げなかった犠牲者にも落ち度がある」に対しては被告側から陳謝の言葉があったものの、記者会見の席で日本ドリーム観光関係者が「まだまだ主張したいことはあるが、遺族のことを考えると和解するのが得策だ」などと発言したことで弁護団や遺族の間からは「裁判官の前で被告らが誓った心ある解決とは言い分が違う」と怒りの声が上がった[48]。結局、原告被告双方の間で心情的に歩み寄ることはなく訴訟は終了した。その後に弁護団は声明を出し「被告各社は被害者の早期救済を怠り、互いに責任を転嫁した。今回の和解は補償額としては不十分だが、迅速な救済と企業の社会的責任を認めさせることができた」と締めくくった[48]


注釈

  1. ^ ホフマン方式とは、対人賠償事故の際に被害者の遺失利益を算出するために用いられる計算方法である。被害者の推定年間収入や生活費など、就労可能年数で算出する。他の算出方法として新ホフマン方式、ライプニッツ方式がある。
  2. ^ 被告4社のうちの1社である「O電機商会(失火の当事者)」については、賠償責任能力(支払い能力)がないとして免責された。
  3. ^ 1972年8月29日、大阪府警捜査四課は、7月1日夜に千日デパート店長監禁に関わった主犯格の男を不法逮捕監禁の容疑で逮捕状を取り、追及する方針を固めた。
  4. ^ 損害賠償請求事件 大阪地裁 昭和48年(ワ)4673号
  5. ^ a b 「抗弁」とは、相手の主張に対して自己の立場を保ちつつ反論すること。また「仮定抗弁」とは、民事訴訟において抗弁が否定される場合に備えて予備的におこなう抗弁のこと。
  6. ^ 酸塩基指示薬。無色透明。アルカリ性の検出に用いられる。酸性または中性だと無色透明のままで、アルカリ性だと赤色に変化する。コンクリートは大気中などに含まれる二酸化炭素と反応すると水酸化ナトリウムが失われ炭酸カルシウムを生成して酸性へと変化して劣化する。それをコンクリート中性化という。
  7. ^ 被告(日本ドリーム観光)の営業子会社が経営する「奈良ドリームランド」の敷地内へ運び出したとされる。
  8. ^ 1988年4月23日に最終的な和解が成立し、ニチイが日本ドリーム観光に対して1988年5月末までに小切手で約16億5千万円を支払うことで決着した。

出典

  1. ^ 「サンケイ新聞」1972年7月12日 大阪本社版朝刊14面
  2. ^ 中坊 2006, p. 231.
  3. ^ 「サンケイ新聞」1975年10月11日 大阪本社版朝刊14面
  4. ^ a b c d 中坊 2006, p. 81.
  5. ^ a b c “千日デパートビル火災:「初の賠償請求へ」 2遺族7人が一両日中に 関係4社相手取り”. サンケイ新聞・大阪本社版朝刊: pp. 15. (1973年1月17日) 
  6. ^ 「毎日新聞」1973年1月19日 大阪本社版夕刊8面
  7. ^ 「サンケイ新聞」1973年2月3日 大阪本社版夕刊9面
  8. ^ 「毎日新聞」1973年2月4日 大阪本社版朝刊23面
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