加賀藩 藩邸および江戸での菩提寺

加賀藩

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/04/27 17:52 UTC 版)

藩邸および江戸での菩提寺

東京大学に現存する赤門徳川家斉の第二十一女・溶姫が第十三代藩主前田斉泰に輿入れする際に建造された。

江戸藩邸本郷五丁目に上屋敷(現在の東京大学本郷キャンパス)、染井に中屋敷、深川と板橋に下屋敷があった。また、江戸における菩提寺は文京区向丘日蓮宗高耀山長元寺、下谷の臨済宗大徳寺派円満山広徳寺で支藩の富山藩や大聖寺藩はもちろん、会津藩保科松平氏谷田部藩細川氏なども同寺を江戸での菩提寺にしていた。なお、支藩でも七日市藩は諏訪山吉祥寺を江戸における菩提寺としていた。

幕末の領地

上記のほか、明治維新後に北見国礼文郡枝幸郡宗谷郡を管轄した。

脚注

参考文献

関連項目


注釈

  1. ^ 前田利家が織田信長から加賀一国を与えられた際、利家の旧領であった越前府中城は利長に与えられ、利長は秀吉に従うと加賀松任城・越中守山城に移された。利家の監督を受けていたが、利長は独自の家臣団を編成していた。
  2. ^ 新川郡にある白鳥城は、佐々の降伏(富山の役)後に既に、成政に備えるため前田家の城将を置いていた。

出典

  1. ^ 『日本一の大大名と将軍さま 徳川家も気をつかった加賀百万石の江戸時代』
  2. ^ 『藩史大事典』
  3. ^ 岩沢愿彦『前田利家』
  4. ^ 慶長10年(1605)4月8日、利長隠居・利光(のちの利常)宛「領知判物」(「越登賀三州志」高岡市立博物館)
  5. ^ 利常宛て寛永朱印状(「加賀藩文書」前田育徳会など)
  6. ^ 『寛政重修諸家譜』
  7. ^ 村川浩平「前田氏への松平氏下賜」
  8. ^ 『金沢城代と横山家文書の研究』石川県教育委員会金沢城調査研究所。 
  9. ^ a b 令和6年新春展 前田育徳会寄託近世史料展Ⅲ『万石人持組横山家』展示解説資料, 金沢市立玉川図書館近世資料館 
  10. ^ 横山政賢 編『横山氏系図』金沢市立玉川図書館近世資料館所蔵 加越能文庫。 


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