仮名遣い
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語の意識と仮名遣い
「語に随う」
橋本進吉や福田恆存は、仮名遣いの原理を「音にではなく、語に随ふべし」とした[61][62]。仮名は確かに表音文字だが、音韻を単位としてそれに対応するのではなく、表音文字の結合したものを単位として語に対応するとする。つまり音韻と表記は必ずしも一致するものではない[63]。ただし橋本や福田も指摘するように、「現代かなづかい」は完全な音韻対応ではなく、一部に表語機能を残している。また「むかひて」が促音便化して「むかつて」と書かれることは「臨機の処置にすぎぬ」として表語機能の反例にはならないとする[64]。
一方「現代かなづかい」制定側の国語審議会の中でも、完全な表音ではうまくいかないと考え始め、土岐善麿は新仮名遣いも「正書法」であるとすれば説明がつくと考えた[65]。
今野(2014)は「語に随う」と似た概念を、「かつて書いたように仮名を使う」と表現している。そしてこれは必ずしも「語が識別しにくくなるから」ではない[66]。
語源意識
1946年に公布された「現代かなづかい」は「語に随う」面を残したため、語源の認定の仕方によって表記の揺れが起こりうる。当初は表音主義で考え始めたため、基本的に同じ音韻は一通りに書くことを原則としたが、いくつかの例外を設けた。その例外の一つが「じ」「ぢ」「ず」「づ」の使い分けである。
本則は「じ」「ず」を用いるが、「同音の連呼によって生じた」場合と「二語の連合によって生じた」場合には「ぢ」「づ」を用いることとなった。前者は「ちぢむ」「つづく」のようなものである。ただし「いちじく」「いちじるしい」などは本則どおりとされた。後者は「はなぢ(鼻血)」「みかづき(三日月)」などであり、これらは「はな+ち」「みか+つき」と分析できるので、語源となる語を表すこととなった。しかし現代人の意識では2語に分析しにくいものは本則通りとし、例えば「世界中」「稲妻」は「せかいじゅう」「いなずま」とされた。後者の規定は1986年に許容を広げることとなり、「せかいぢゅう」「いなづま」と書くこともできるとされた。このように、「じ」「ぢ」「ず」「づ」の使い分けは、語の意識の有無を判定しなければならない[67][68]。
同様に語源意識が問題となるものに「は」がある。/wa/と発音されるものは「わ」と書くのが本則であるが、助詞の「は」は慣習を残すこととなった。すると「あるいは」「こんにちは」「すわ一大事」などを「は」「わ」どちらにすべきかが問題となる[69]。
和語と漢語
和語と漢語で異なった表記が行われることがある。和語の仮名遣いには歴史的仮名遣いを用い、漢語の仮名遣い(字音仮名遣い)には表音式仮名遣いが主張されることが少なくない[注 10]。「棒引き仮名遣い」においても、長音符「ー」は和語には適用されず漢語のみである[70]。「現代仮名遣い」では和語と漢語を区別しない[71]
外来語の仮名遣い
漢語以外の語彙が日本語の中に流入すると、その表記が問題となる。大航海時代以来、そして文明開化以来、多くの外来語が日本語の語彙として仮名表記されてきたが、その仮名遣いの基準は20世紀末まで持ち越された。国語審議会は1991年に「外来語の表記」を答申、同年告示された。その特徴は、1語に複数の表記を認める、緩やかな「よりどころ」であった[72]。
注釈
- ^ 例えば時枝誠記など。
- ^ a b 大野晋「仮名遣の起原について[19]」による[20]。
- ^ 『古言梯再考増補標註』にある「古言梯のいて来しをり竟宴の哥」に「古言のかけはしとふふみあつめをへたる日よめる」という魚彦の詞書があることから、実際の書名である可能性がある[34]。
- ^ 『古言梯』の「附言」による。
- ^ 清水浜臣「古言梯標註後序」による。なお、春海は1811年(文化8年)に死去している。
- ^ 古田東朔の研究による[39]。
- ^ 古田東朔の説による[40]。
- ^ その際に理由として挙げられる多くは「語源が分からなくなってしまった」や「江戸時代以前の古典文学はもとより、たかだか60年しか経過していない戦前の文学作品でさえ、読むのに難渋するものになってしまった」などである[59]。
- ^ 例えば昭和34年(1959年)に、戦後の国語改革に疑問を有する各界有志160余名の賛同を得て設立された「國語問題協議會」は、現代仮名遣いに対する活発な反対運動を展開している[60]。
- ^ 例えば福田恆存など。
- ^ 例えば前者は山田孝雄、時枝誠記など。後者は山田、岩淵悦太郎など。
- ^ 橋本進吉の説による[80]。
出典
- ^ 蜂谷 清人 (2007).
- ^ a b c d 橋本進吉「仮名遣について」
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- ^ 築島 裕 (1986), p. 12.
- ^ 築島 裕 (1986), pp. 13–14.
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- ^ 小松英雄「藤原定家の文字遣」『日本語書記史原論』笠間書院、1998年。
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- ^ 福田 恆存 (1987), p. 483(初刊新潮社、のちに文春文庫)
- ^ 『声』6号、座談会。福田全集に引用、633-634頁。
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- ^ 白石 良夫 (2008)本節全体は第6章。
- ^ 森田富美子「現代仮名遣い」『講座日本語と日本語教育第8巻 日本語の文字・表記(上)』明治書院、1989年。
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- ^ 築島 裕 (1986), p. 108.
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- ^ 馬淵 和夫 (1971), pp. 86–87.
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- ^ 今野 真二 (2014), pp. 243–245.
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