丁銀
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/11/15 02:26 UTC 版)
丁銀(ちょうぎん)とは、日本国内において主に商取引用として室町時代後期から明治維新まで流通した銀貨である。当時は単に銀と呼ばれ、例えば品位を下げた元禄丁銀は「元字銀」などと称呼された。丁銀という名称は『金銀図録』の記述によれば棒状の銀塊の意味である鋌銀(ちょうぎん)が挺銀(ちょうぎん)を経て変化したものとされる[1][2]。
注釈
- ^ 実際にはその範囲からやや外れたものも見られるが、20匁(74.6g)を切る小型のものや、60匁(223.8g)を超える大型のものは極めて稀である。
- ^ 当時の精錬技術で最上級の純銀とされる南鐐あるいは花降銀。
- ^ 名目上の額面の総額は増加しても、実質上の純銀総使用量は左程増加していない。
- ^ 「一割二歩引ヶ」など銀座関係文書の記録に基く品位であり、分析品位ではない。
出典
- ^ a b 日本の貨幣(1972, 1973).
- ^ 三上(1996), p86.
- ^ a b 久光(1976), p87.
- ^ 小葉田(1958), p125.
- ^ 青山(1982), p116.
- ^ 久光(1976), p106.
- ^ 田谷(1963), p93-94, 185-186.
- ^ 三上(1996), p182-183.
- ^ 三上(1996), p85-86.
- ^ 田谷(1963), p124.
- ^ 田谷(1963), p124-143.
- ^ 三上(1996), p214-219.
- ^ 瀧澤・西脇(1999), p117-118.
- ^ 造幣局(1940), p39.
- ^ 小葉田(1958), p85-86.
- ^ 草間(1815), p555-556.
- ^ 田谷(1963), p83-87.
- ^ 貨幣商組合(1998), p53-54.
- ^ 青山(1982), p86-87.
- ^ 小葉田(1958), p99-102.
- ^ 田谷博吉「江戸時代貨幣表の再検討」『社会経済史学』第39巻第3号、社会経済史学会、1973年、261-279頁、CRID 1390282680076449536、doi:10.20624/sehs.39.3_261、ISSN 00380113、NAID 110001215475。
- ^ 田谷(1963), p107-109.
- ^ 青山(1982), p89.
- ^ 瀧澤・西脇(1999), p108-109.
- ^ 田谷(1963), p115-118.
- ^ 瀧澤・西脇(1999), p111.
- ^ 田谷(1963), p38-40.
- ^ 瀧澤・西脇(1999), p98-99.
- ^ 小葉田(1958), p133.
- ^ 田谷(1963), p145-167.
- ^ 小葉田(1958), p125-144.
- ^ 滝沢(1996), p189-202.
- ^ 田谷(1963), p168-171.
- ^ 滝沢(1996), p204-207.
- ^ 久光(1976), p106-113.
- ^ 貨幣商組合(1998), p79-80.
- ^ 田谷(1963), p269-281.
- ^ 小葉田(1958), p163-179.
- ^ 滝沢(1996), p206-218.
- ^ 瀧澤・西脇(1999), p269-271.
- ^ a b 久光(1976), p159.
- ^ 三上(1996), p230-246.
- ^ 鹿野嘉昭「銭匁勘定と銭遣い : 江戸期幣制の特色を再検討する」『經濟學論叢』第61巻第1号、同志社大學經濟學會、2009年7月、19-60頁、CRID 1390572174867023872、doi:10.14988/pa.2017.0000012474、ISSN 0387-3021、NAID 110008613809。
- ^ 鹿野嘉昭, 〔書評〕藤本隆士『近世匁銭の研究』吉川弘文館、2014年
- ^ 瀧澤・西脇(1999), p154-155.
- ^ a b 大蔵省(1875).
- ^ 青山(1982), p75-77, 86-87.
- ^ 『輝きふたたび 石見銀山展』 島根県立古代出雲歴史博物館 石見銀山資料館、2007年
- ^ 田谷(1963), p41, 170, 269, 287, 388, 402, 443.
- ^ 佐藤治左衛門 『貨幣秘録』 1843年
- ^ 勝海舟 『吹塵録』 1887年
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