ラムセス2世 家族

ラムセス2世

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/05/04 07:38 UTC 版)

家族

ラムセス2世は生涯に8人の正妃、および多くの側室を娶り、100人以上の子をもうけたとされる。前後して4人の王子を立太子した。

ラムセス2世の家族関係

王太后

トゥヤ英語版
セティ1世の王妃(側室の可能性の説もある)。夫の統治時代にはほとんど記録がなかったが、ラムセス2世即位後は活躍が目立つ。ラムセス2世がラムセウムの中トゥヤの記念堂を設立し、9mの巨像を建立し、墓所の規模もラムセス2世の後宮女性の中で最大(Qv80,壁画は焼失した)。女神官「神后(God's Wife)」の称号を持ち、大きな政治権力を持っていた。ヒッタイトとの平和条約中にも彼女の署名がある。

王妃

ラムセス2世の王妃(正妃)は、ネフェルタリ・メリエンムト(Nefertari-Meritmut)、イシスネフェルト1世(Iset-nofret)、ビントアナト(Bintanath)、ネベイタウェイ(Nebettawy)、メリトアメン(Meritamen)、ヘヌトミラー(Henutmire)、マートネフェルラー英語版(Maathorneferure)、氏名不詳のヒッタイト第二王女の8人。

ラムセス2世の王妃ネフェルタリ
ネフェルタリ
ラムセス2世最初の正妃であり、「世襲貴族女性(Hereditary noblewoman)」「神后(God's Wife)」の称号を持ち、数多いる妃の中で最も有名な妻である。ラムセス2世は即位前にネフェルタリと結婚した。彼女は「王の娘」の称号を持っていないので、王族出身ではなく、エジプト貴族の一員であったらしいということを除いて不明である。また考古学者のティルディスレイはネフェルタリの墓で発見された球飾りの装飾に前王朝のファラオであるアイのカルトゥーシュが用いられていることを根拠に彼女がアイの孫娘だったのではないかという説を唱えている。長男アメンヘルケブシェフが生まれると、彼女は最初の正妃になった。彼女の記録や壁画は上エジプト(旧首都テーベまたアブ・ジンベル神殿の所在地ヌビアなど古代エジプトナイル川上流地区)のみに残っているため、上エジプトの王妃を代表するものと推測される。ラムセス2世はアブ・ジンベル大神殿の隣にネフェルタリと女神ハトホルのための小神殿を建立した。彼女の正妃としての在位期間は25年ほどであるが、在位24年の行事に出席した記録が最後である。その後、在位30年の行事に彼女の記録がないことから、その5年間に亡くなったものとされる。ネフェルタリの墓(QV66)は王妃の谷の中で最も壁画の状態が良く、最も鮮烈で美しい墓である。また、彼女は高度な教育を受けており、王や書記官にのみ許された聖刻文字の読み書きが出来た。ネフェルタリの死後、彼女の娘であるメリトアメンが正妃となった。
ラムセス2世とイシスネフェルト1世王妃の家族
イシスネフェルト1世
出自は不明。王族や貴族の称号を両方とも持っていないので、軍人の娘、下エジプト貴族の娘、18王朝ファラオホルエムヘブの親族更に平民出身など諸説ある。ネフェルタリに対して、彼女は下エジプト(大都市メンフィスやヘリオポリス、また新首都ペル·ラムセスなど古代エジプトナイル川下流地区)を代表する王妃と推測される。ラムセス2世は即位前に彼女を迎えた。彼女はラムセス2世最初の妃の一人であり、第一王女/正妃ビントアナト、第五王女/正妃ネベイタウェイ、王太子ラムセス、王太子/プタハの最高祭カエムワセトとファラオメルエンプタハの母であり、存在が極めて伝説的な妃。彼女が正妃になった時期は不明である。ネフェルタリの死後、彼女が正妃となった可能性があると言われているが、ネフェルタリとともに立后し、ネフェルタリよりも先に亡くなったとする説もある。イシスネフェルト1世の墓所は未だ明らかでないが、ある金庫保管員墓所中の葬品に彼女の墓所の場所について、暗号らしき物が残っている。この葬品には「王国至高の支配者の側(Near the First Commander of All Land)」「天水の下(From end of water of sky)」記載されているので、彼女の墓所が国王の谷に、息子メルエンプタハや夫ラムセス2世の墓所(KV8とKV7)周辺である可能性が高い(ただし、ほかにはサッカラ地区や王妃の谷近くなど諸説ある)。
ビントアナト王妃
ビントアナト
第一王女。ラムセス2世とイシスネフェルト1世の娘。王子リストと違って、ラムセス2世の王女リストの順位が不定であり、異なるリスト間で順位が違う。ただし、ビンタアナトは常に一番目。彼女はネフェルタリがまだ生きている間(少なくとも王の治世21年前)に正妃となった。最初に父ラムセス2世と結婚した王女であり、唯一ラムセスとの間の子供を産んだ娘でもある。「女性後継者(female heiress)」 「偉大な一番目(the Great First one)」「後宮の主(Chief of the Harem)」の称号を持ち、大臣のような存在であった。カルナック神殿の王妃像で有名であった。墓所は王妃の谷のQV71、壁画は大部分が焼失している。
メリトアメン
第四王女。ラムセス2世とネフェルタリの娘。母ネフェルタリ死後に正妃となった。 王族の女性が担う「アトゥム神の歌姫(songstress of Atum)」の称号を持つ。異母姉ビントアナトと権力を分かち合ったらしいと言われている。美しい像「白い王妃(White Queen)」で有名であった。墓所は王妃の谷のQV68、壁画は大部分が焼失している。
ネベイタウェイ
第五王女。一般的にイシスネフェルト1世の娘と思われているが、 ネフェルタリや他の側妃の娘とする説もある。 姉ビントアナトと一緒にヒッタイト王女マートネフェルラーを迎えた。この時にメリトアメンがいない事を理由に立后したのはメリトアメンの死後だと推測されている。墓所は王妃の谷のQV60、壁画は大部分が焼失している。
ヘヌトミラー
ラムセス2世の同母妹。セティ1世とトゥヤの三番目の王女。
ラムセス2世、マートネフェルラー王妃とヒッタイト王ハットゥシリ3世。ヒッタイトとエジプト両国婚姻記念碑
マートネフェルラー
ヒッタイトの第一王女。ヒッタイト大王ハットゥシリ3世と正妃プドゥヘパの娘。紀元前1245年2月にエジプトに送られ、そしてラムセス2世と結婚した。夫との年齢差は30歳を超えており、ラムセス2世が彼女に一目惚れしたとする伝説が多い。難産で死去。ひとり娘の名前はネフェルラー(Neferure)。

側妃

ラムセス2世の側妃は100人を超えているが、名前を残す妃がかなり少ない。

ステラーリ(Sutererey)
王子ラムセス·セプター(Remesses-Siptah)の母。
イェ(Iwy)
王女ピプィ(Pypuy)の母。

子供

ラムセス2世には100人以上の子供がいたが、その中で、ネフェルタリとイシスネフェルト1世の子供の記録が比較的多い。

息子

アメンヘルケブシェフ(Amun-her-khepeshef)
第一王子。ラムセス2世とネフェルタリの息子。最初の王太子。アブ・シンベル大神殿や小神殿に展示される。「軍隊の指揮官(Commander of the Troops)」、「有効な親友(Effective Confidant)」、「王の長男(Eldest Son of the King of his Body)」「世襲の王子(Hereditary Prince)」などの称号を持つ傍ら、「王の右手の扇子持ち(Fan-bearer on the King's Right Hand)」や「王家の書記官(Royal Scribe)」等王の側近が持つ称号を他の王子と共有していたようだと言われている。このような彼の称号は、彼が軍で高い地位を占めていた事を示しており、また外交官としてラムセス2世の治世21年のヒッタイトとの平和条約締結後の外交関係に関与している。治世21年ほどにセティヘルケブシェフ(Sethhirkhepeshef)に改名したらしいとされる。治世25年頃に死去。国王の谷の王子合葬墓KV5に埋葬されている。
ラムセス(Remesses)
第二王子。ラムセス2世とイシスネフェルト1世の息子。アブ・シンベル大神殿に展示される。「王の右手の扇子持ち(Fan-bearer on the King's Right Hand)」「王家の書記官(Royal Scribe)」「最高司令( First Generalissimo )」「王の愛する息子(bodily King's Son beloved of him)」「世襲の王子(Hereditary Prince)」などの称号を持つ。軍で重要な役職を持つ反面、聖牛アピスの埋葬などラムセス2世治世初期の宗教的な仕事や宮廷裁判(大臣や王族及びその親族の汚職事件を処分するなど)等の行政的な仕事等に携わっている記録が多い。兄アメンヘルケブシェフの死去後の治世25年から王太子になるが50年頃に死去。国王の谷の王子合葬墓KV5に埋葬されている。
プレヒルウォンメフ(Pre-hirwonmef)
第三王子。ラムセス2世とネフェルタリの息子。アブ・シンベル小神殿に展示される。多くの兄弟と同じく軍人となった。上記の兄たちとは「世襲の王子(Hereditary Prince)」「王の右手の扇子持ち(Fan-bearer on the King's Right Hand)」「王家の書記官(Royal Scribe)」の称号を共有し、異母弟である第五王子モンチュヘルコプシェフ(Montuhirkhopshef)とは「馬事総監(Master of the Horses)」「王の第一騎兵隊長( First charioteer of His Majesty)」の称号を共有していた模様であるとされる。次兄ラムセスの死後に王太子になっていないので治世50年以前に死去しているのではないかと推測されている。
カエムワセト(Kheamwaset)
第四王子。ラムセス2世とイシスネフェルト1世の息子。ラムセス2世数多い子供の中で最も有名な存在、人類史に銘記されている。
メンフィスの主神プタハの最高司祭やメンフィス市長として「世襲の王子(Hereditary Prince)」「両国の領主(Chief over the Two Lands)」「プタハ神のセム神官(Sem Priest of Ptah) 」「神の秘密の根源(Chief of the Secrets in the God's)」「職人達の最高統率者(The Greatest of the Directors of Craftsmanship)」「あらゆる神殿の責任者(Controller of All Temples)」「あらゆる服飾の責任者(Controller of All Clothing)」「ハトホルの息子(Son of Hathor)「オシリスの後継者(Hier of Osiris)」「ホルスの近臣(Counterpart of horus)」「彼の父の一番重要な監督(Chief directing Craftsn of his father)」の称号を持ち、「プタハ神殿の増築」や「聖牛アピスの埋葬及びセラピウムの改築」「セド祭(王位更新祭)の布告」「カエムワセト供養文の創出」等幅広い分野で功績が挙げられる。また有名な業績の一つが「古記念物の調査及び修復活動」である。クフ王のピラミッドやジョセル王のピラミッド、ウナス王のピラミッド等いくつものピラミッドや太陽神殿の化粧石に修復を記念した銘文を刻んだことにより「世界最古のエジプト考古学者」の呼び声が高い。兄ラムセスの死後50年頃王太子に指名されるが55年頃に死去。多くの兄弟が眠るKV5には埋葬されておらず現在も墓は発見されていないが、1991年早稲田大学エジプト調査隊がカエムワセトの葬祭殿を発見している。 
セティ(Sethi)
第九王子。ネフェルタリまたイシスネフェルト1世の息子とされる。「彼の父の一等航海士(First Officer of his father)」の称号を持つ。
メルエンプタハ(Merneptah)
第十三王子。 19王朝四代目のファラオ。 ラムセス2世とイシスネフェルト1世の息子。40年に「軍隊の監督者(Overseer of the Army)」となって、兄ラムセスの死後50年に「司令官(Generalissimo)」の地位を引き継ぎ、兄カエムワセトの死後王55年に後継者に指名された。このときすでに40歳を超えていたが、ラムセス2世はその後さらに20年近く在位したため即位したのは実に60歳を超えてからのことであった。ラムセス2世治世末期に父と国を共同で治めた可能性がある。
メルトアトゥム(Meryatum)
第十六王子。ラムセス2世とネフェルタリの息子。アブ・シンベル小神殿に展示される。治世30年前後にヘリオポリスの主神ラーの大司祭に任命され、その地位を20年間保持していたとされる。主だった称号は「最も偉大なるものを見る者(Greatest of Seers)」「先見者の長(Chief of Seers)」「ベンヌ鳥の家の秘密保持者(Chief of Secrets in the Mansion of the Bennu-bird)」「太陽神ラーの家の純粋な手(pure of hands in the house of Re)」「世襲の王子(Hereditary Prince)」。
セメント(Simentu
第二十三王子。母不明。メンフィスの王立葡萄園の管理者。シリアの船長ベナナス(Benanath)の娘イリエット(Iryet)と結婚した。

ラムセス・セプタハ(Remesses-Siptah)

第二十五王子。ラムセス2世と側妃ステラーリ息子。ルクソール神殿には彼の像がある。彼の死者の書はフロレンサ博物館に保存されている。

ビントアナト(Bint- anath)
第一王女。正妃。ラムセス2世とイシスネフェルト1世の娘。アブ・シンベル大神殿に展示される。父との間に名前不明の娘がいる。この娘はメルエンプタハの正妃ビントアナト2世の説がある。メルエンプタハの治世下で亡くなっており数少ない父より長生きしたと確認できる子供の一人である。(ただし後期の王妃「ビントアナト」もともと同名の娘ビンタアナト2世だったという説もある)
バークムト(Bakemut)
第二王女。母不明。アブ・シンベル大神殿に展示される。
ネフェルタリ(Nefertari)
第三王女。ネフェルタリの娘の可能性が高い。アブ・シンベル大神殿に展示される。長兄であり王太子でもあったアメンヘルケブシェフの妻になり息子セティを産んだとされる。ただし、「ネフェルタリ」という名前は当時非常にありふれた名前ので、その「セティ」はアメンヘルケブシェフの子ではなく、ラムセス2世と「ネフェルタリ」という側室の間の息子の説もある。
メリトアメン(Meritamen)
第四王女。正妃。ラムセス2世とネフェルタリの娘。アブ・シンベル大神殿や小神殿に展示される。
ネベイタウェイ(Nebettawy)
第五王女。正妃。ラムセス2世とネフェルタリまたはイシスネフェルト1世の娘とされる。アブ・シンベル大神殿に展示される。
イシス・ネフェルト(Isetnofret)
第六王女。イシスネフェルト1世の娘の可能性が高いとされている。イシスネフェルト2世メルエンプタハの正妃)本人の可能性や(ただしメルエンプタハの正妃は下記にある孫娘イシスネフェルト1世の可能性も高いと言う説もある)、次兄ラムセスと結婚の可能性もあるとも言われている。ラムセス2世治世初期に2人の女神官が手紙で彼女の体の状況を聞いたことがあった。アブ・シンベル大神殿に展示される。
へヌタウェイ(Henuttawy)
第七王女。ラムセス2世とネフェルタリの娘。アブ・シンベル小神殿に展示される。

注釈

出典

  1. ^ a b Tyldesley 2001, p. xxiv.
  2. ^ a b Clayton 1994, p. 146.
  3. ^ 吉村作治 『古代エジプト女王伝』 新潮選書、1983年、p. 131
  4. ^ a b 笈川 2014, p. 228.
  5. ^ 笈川 2014, p. 223.
  6. ^ 笈川 2014, p. 227.
  7. ^ Manley, Bill (1995), "The Penguin Historical Atlas of Ancient Egypt" (Penguin, Harmondsworth)
  8. ^ Farnsworth, Clyde H. (1976年9月28日). “Paris Mounts Honor Guard For a Mummy”. New York Times: p. 5. https://www.nytimes.com/1976/09/28/archives/paris-mounts-honor-guard-for-a-mummy.html 2019年10月31日閲覧。 
  9. ^ Stephanie Pain. “Ramesses rides again”. New Scientist. 2014年8月15日時点のオリジナルよりアーカイブ。2013年12月13日閲覧。
  10. ^ Was the great Pharaoh Ramesses II a true redhead?”. The University of Manchester (2010年2月3日). 2020年9月12日閲覧。
  11. ^ Karen Gardiner (2018年10月31日). “ミイラやネコも? パスポートの意外なトリビア”. natgeo.nikkeibp.co.jp. 2020年9月12日閲覧。
  12. ^ In 1974, the Mummy of Pharaoh Ramesses II Was Issued a Valid Egyptian Passport So That He Could Fly to Paris!” (英語). 2020年2月19日時点のオリジナルよりアーカイブ。2020年5月14日閲覧。
  13. ^ Podcasts - Ramses II. erhielt 1974 einen ägyptischen Reisepass”. webcache.googleusercontent.com. 2020年2月19日閲覧。
  14. ^ a b In 1974, the Mummy of Pharaoh Ramesses II Was Issued a Valid Egyptian Passport So That He Could Fly to Paris!” (英語). 2020年2月19日時点のオリジナルよりアーカイブ。2020年5月14日閲覧。
  15. ^ a b “三千年前の「高貴な女性」の墓、早大チームがエジプトで発掘”. AFP通信. (2009年3月4日). https://www.afpbb.com/articles/-/2577965?pid=3877065 2011年2月15日閲覧。 
  16. ^ 岡沢秋. “新王国時代 第19王朝 ラメセス2世”. 無限∞空間. 2008年9月23日閲覧。
  17. ^ (4416) Ramses = 1979 TP1 = 1981 EX47 = 4530 P-L = PLS4530”. MPC. 2021年10月8日閲覧。






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