ラコニア号事件 事件の影響

ラコニア号事件

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/08/05 09:29 UTC 版)

事件の影響

ラコニア号事件は深刻な影響をもたらした。当時、Uボートが船舶を撃沈した場合、乗組員は生存者に食料や水を提供し、負傷者がいれば応急処置を施した上で、最も近い陸地への方角を伝えることが一般的な対応とされていた[17]。(艦内スペースにはスペースが取れない理由から、生存者を乗艦させることは非常に稀だった)。1942年9月17日、デーニッツ提督は事件を受けていわゆるラコニア指令英語版を発令した。この中でデーニッツはUボート乗組員に対して救助活動を禁止し、生存者は海上に放置せよと命じていた。ただし、その後もこれに反して救助活動を試みたUボート艦長が少なからずいた。

終戦後の1946年、デーニッツはニュルンベルク裁判の中で戦犯容疑者として起訴を受けた。当初はラコニア指令が検察側の示したもののうち最重要の訴因とされていたものの、これが裏目に出ることとなった。弁護側はドイツ潜水艦が長年にわたり示した人道的な振る舞いを証明する多数の事例を挙げると共に、類似の状況で冷淡な態度を示した連合国側の事例と対比した。デーニッツはそうした連合国側の冷淡さと米軍作戦機による救助活動への攻撃の直接の結果としてラコニア指令があったのだと主張する[2]。さらに、アメリカでも参戦直後から類似の命令のもとで無制限潜水艦作戦の訓練が行われていたことが指摘された[18]。デーニッツの裁判に際し、米海軍太平洋艦隊司令長官チェスター・ニミッツ提督はデーニッツの代理人に宛て、米海軍が参戦初日から太平洋で無制限潜水艦作戦を展開していたことを認める証言を提出している。

検察側はデーニッツによる2つの指令、すなわち1939年の戦時指令154号英語版と1942年のいわゆるラコニア指令について多くの証言を紹介した。弁護側はこれらの命令およびそれを裏付ける一連の証拠が示すのは、そうした方針ではなく、むしろその逆を示す多くの証拠をもたらすものと主張した。裁判では、一連の証拠はデーニッツが難破船生存者の殺害を意図的に命じたことを十分証明し得ないと判断した。命令は議論の余地なく曖昧であり、その点は強い非難を受けるに値する。

証拠はまた、救助規定が遂行されなかったこと、被告がそれを遂行するべきではないと命じたことを示した。弁護側は、潜水艦の安全は原則として救助活動において最も重要だが、航空機の発達がこれを阻害し救助を不可能にしたのだと主張した。いずれにせよ、条約が定める規則は明白である。これによれば、艦長が救助を行えないと判断した場合、商船を撃沈することは認められず、安全な通過を認めなければならない。故に、デーニッツによる指令は条約に違反している。

証明されたすべての事実、特に1940年5月8日にイギリス海軍本部より発表された指令、すなわちスカゲラク海峡に侵入する全ての船舶の撃沈を命ずるもの、および太平洋戦争初日からアメリカが太平洋にて無制限潜水艦作戦を展開していたことを認めたチェスター・ニミッツ提督の証言などを踏まえると、デーニッツに対する有罪判決は潜水艦に関する国際法への違反という観点から成されるものではない[19]

『International Law Studies』誌では、戦時における国際法の解釈および当事者らがどのような適用を行ったかを取り上げている。64号9章『The Law of Naval Operations』では、第二次世界大戦中の潜水艦戦に適用される国際法に言及するためラコニア号事件を取り上げている。

攻撃を命じた者と爆撃を実行した機長は、"一見したところでの"戦争犯罪について有罪である。機長は救助活動を目視したに違いないので、彼の判断は決して許されるものではない。そうした活動が行われている間、敵潜水艦は既に合法的な攻撃対象ではない。アメリカ陸軍航空軍がこの事件に関して何ら追求の努力を行わず、当時有効だった国内刑法のもとで裁判を行わなかった事実は、軍法会議が深刻な形で指揮命令系統に組み込まれていることを示している。[11]

  1. ^ Gattridge, Capt. Harry Captain of the Queens. New York: E.P. Dutton & Co., 1956. p. 160
  2. ^ a b c d e f Clay Blair Hitler's U-Boat War: The Hunted 1942–45 Hachette UK 2012 ISBN 9780297866220
  3. ^ a b c La Condanna A Morte Di 1800 Prigionieri Di Guerra Italiani (The death penalty for 1800 Italian prisoners of war) History of Italy. (in Italian)
  4. ^ Alan Bleasdale returns to BBC after long absence BBC January 5, 2011
  5. ^ Doenitz, Grand Admiral Karl Memoirs, Ten Years and Twenty Days: Frontline Books, 1990, p. 255
  6. ^ Amphibian Patrol Squadrons (VP-AM) Histories: VP-AM-1 to VP-AM-5” (PDF). United States Navy (2003年12月). 2006年9月5日閲覧。 According to the official after-action report by the U.S. Navy, all four submarines were present. Survivor accounts in One Common Enemy and The U-Boat Peril say the Italians arrived later.
  7. ^ Origin of the Laconia Order by Dr Maurer Maurer and Lawrence Paszezk, Air University Review, March–April 1964 and The USAF Oral History Interview – Brig-Gen. Robert C. Richardson III (K239.0512-1560) 18–19 May; 14 June 1984, USAF Historical Research Center, Maxwell AFB AL
  8. ^ The Nazi with a heart: U-boat skipper who ruthlessly torpedoed a British ship then defied Hitler to rescue survivors Daily Mail January 6, 2011
  9. ^ Doswald-Beck, Louise. “San Remo Manual on International Law Applicable to Armed Conflict at Sea”. International Committee of the Red Cross. 2015年1月11日閲覧。
  10. ^ The San Remo Manual lists enemy vessels that are specifically exempt from attack or capture, on the basis of either treaty law or customary law: (ii) vessels engaged in humanitarian missions, including vessels carrying supplies indispensable to the survival of the civilian population, and vessels engaged in relief actions and rescue operations;
  11. ^ a b Mallison, Sally & Thomas (1993). “Chapter IX; The Law of Naval Warfare: Targeting Enemy Merchant Shipping”. International Law Studies 64: 53–55 112. https://www.usnwc.edu/Research---Gaming/International-Law/New-International-Law-Studies-(Blue-Book)-Series/International-Law-Blue-Book-Articles.aspx?Volume=65. 
  12. ^ The Laconia Incident Various survivor accounts of the incident.
  13. ^ Laconia Sinking Account Archived 2012-12-24 at Archive.is Merchant Navy Association
  14. ^ [1]
  15. ^ Atlantic Torpedo, pub Victor Gollancz Ltd, London, 1943
  16. ^ Jim McLoughlin One Common Enemy: The Laconia Incident : a Survivor's Memoir Wakefield Press 2006 ISBN 9781862546905
  17. ^ Blair, Clay (1996). Hitler's U-Boat War - The Hunters, 1939-1942. Modern Library. pp. 81, 85–86, 144. ISBN 0-679-64032-0 
  18. ^ Michel Thomas Poirier Results of the German and American Submarine Campaigns of World War II Archived 2008-04-09 at the Wayback Machine. Chief of Naval Operations Submarine Warfare Division 1999
  19. ^ The Avalon Project : Documents in Law, History and Diplomacy”. 2012年8月19日時点のオリジナルよりアーカイブ。2006年3月18日閲覧。


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