ボケ山古墳
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/08/22 23:13 UTC 版)
ナビゲーションに移動 検索に移動実際の被葬者は明らかでないが、宮内庁により「埴生坂本陵(はにゅうのさかもとのみささぎ)」として第24代仁賢天皇の陵に治定されている。
概要
ボケ山古墳は、墳丘の長さ122メートル、前方部の幅107メートル・高さ13メートル、後円部は直径65メートル・高さ11.5メートルの前方後円墳である。
南東のくびれ部に造出があり、周囲は濠で囲まれている。
1975年と1979年の大阪府教育委員会による外堤調査により、後円部北東側の堤と前方部北西側の堤で円筒埴輪列が発見された。 また、1981年の羽曳野市教育委員会による外堤調査により、前方部北西側の堤に接する斜面で2基の埴輪窯が発見された。
出土した円筒埴輪などの特徴から、6世紀前半に築造されたものと考えられている。
宮内庁によって仁賢天皇陵に治定されており、拝所が前方部正面の濠の外にある。
仁賢天皇埴生坂本陵 拝所
外部リンク
- 埴生坂本陵 - 宮内庁
座標: 北緯34度33分23.15秒 東経135度35分47.40秒 / 北緯34.5564306度 東経135.5965000度
- 1 ボケ山古墳とは
- 2 ボケ山古墳の概要
固有名詞の分類
- ボケ山古墳のページへのリンク