ヘンリー・ケアリー (初代ハンズドン男爵) ヘンリー・ケアリー (初代ハンズドン男爵)の概要

Weblio 辞書 > 辞書・百科事典 > 百科事典 > ヘンリー・ケアリー (初代ハンズドン男爵)の解説 > ヘンリー・ケアリー (初代ハンズドン男爵)の概要 

ヘンリー・ケアリー (初代ハンズドン男爵)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/11/17 13:25 UTC 版)

初代ハンズドン男爵ヘンリー・ケアリー(Steven van Herwijck画、1561年 - 1563年)

生涯

メアリー・ブーリンは1515年からヘンリー8世の愛人となったが、5年後の1520年にお払い箱になりサー・ウィリアム・ケアリーと結婚した。ヘンリー8世は結婚後もメアリーとの関係を続け、ようやく王との関係を解消したメアリーは子供を産んだ。そうして生まれたのが娘キャサリン英語版と息子ヘンリーだが、メアリーの姉妹アン・ブーリンを始めブーリン家は結婚を巡る政争でヘンリー8世に粛清され、メアリー母子しか生き残れなかった[1]

1558年にヘンリー8世とアンの娘で従妹のエリザベス1世が即位すると翌1559年にハンズドン男爵に任じられ、ハートフォードシャーの領地と儀仗衛士隊隊長の地位を与えられた。また姉キャサリンは女官に、その夫フランシス・ノウルズ英語版副宮内長官英語版に、姪エリザベス英語版は侍女に任命され、ブーリン家はヘンリー8世時代の不遇期から立ち直った[2]

1562年、エリザベス1世が重病に倒れると必死の看病で手当てを尽くした。これが効いたのか女王は体調を回復、枢密顧問官に任命された。以後も女王に従い、1569年北部諸侯の乱英語版が発生すると鎮圧軍に加わり、1585年宮内長官英語版(宮内大臣)になった。1588年スペイン無敵艦隊襲来の報せがイングランドに届くと、陸軍総司令官のレスター伯ロバート・ダドリーに命じられ、陸軍副司令官としてロンドンにいる女王の警護に当たった[3]

1594年にイングランド劇団への介入に乗り出し、ダービー伯爵ファーディナンド・スタンリーを亡くして庇護者を失ったストレンジ卿一座英語版のパトロンとなり、宮内大臣一座英語版と改名・再出発した劇団の宿場の興行許可をロンドン市長に求めるなど劇団を後押しした。また婿で海軍卿英語版でもあるエフィンガムのハワード男爵チャールズ・ハワードにも働きかけて海軍大臣一座英語版の強化を図り、宮内大臣一座と並ぶロンドン二大劇団の成長に一役買った。宮内大臣一座に当初から入っていたウィリアム・シェイクスピアは作家として活動を続け、この時期に書かれた『夏の夜の夢』は1596年2月に行われたハンズドン男爵の孫娘(長男ジョージ・ケアリー英語版の娘)エリザベス英語版トマス・バークレー英語版の結婚披露宴で初演が行われたといわれる(異説あり)[4][5]

1596年、70歳で死去。ジョージがハンズドン男爵を継いだが、宮内長官はコバム男爵ウィリアム・ブルック英語版が引き継ぎ、宮内大臣一座は一時ハンズドン卿一座と改名した。コバム男爵は『ヘンリー四世 第1部』の登場人物フォルスタッフに対する扱いに怒ったため劇団とそりが合わなかったが、翌1597年にコバム男爵が亡くなり、後任の宮内長官にジョージが就任したため一座は名を宮内大臣一座に戻しジョージも劇団の庇護を引き継いだ。以後も宮内大臣一座はエリザベス1世が亡くなる1603年まで代々宮内長官の庇護を受け続け、エリザベス1世亡き後に即位したジェームズ1世が新たなパトロンになり国王一座と改名した[4][6]

子女

アン・モーガンと結婚、15人の子を儲けた。

  • ジョージ英語版(1547年 - 1603年) - 第2代ハンスドン男爵
  • ジョン英語版(? - 1617年) - 第3代ハンスドン男爵
  • ヘンリー(生没年不詳) - 庶民院議員
  • トマス - 夭折
  • トマス - 兄の名にちなむ。夭折
  • ウィリアム(生没年不詳)
  • エドマンド英語版(1558年頃 - 1637年) - 庶民院議員
  • ロバート英語版(1560年 - 1639年) - 初代モンマス伯爵
  • ジョーン(生没年不詳)
  • キャサリン(1550年 - 1603年) - 第2代エフィンガムのハワード男爵兼初代ノッティンガム伯爵チャールズ・ハワードと結婚
  • フィラデルフィア(生没年不詳) - 第10代ボルトンのスコープ男爵トマス・スコープ英語版と結婚
  • エリザベス(生没年不詳) - エドワード・ホビー英語版と結婚
  • アン(生没年不詳)
  • エレノア(生没年不詳)
  • マティルダ(生没年不詳)

庶子にヴァレンタイン英語版(? - 1626年)がおり、エクセター司教に就任した。

また、エミリア・ラニエ英語版という愛人がいたが、シェイクスピアのソネット集に登場する黒い肌の女性ではないかと推定されている[7]


  1. ^ 石井、P30、P49 - P50。
  2. ^ 石井、P227。
  3. ^ 高橋、P554、石井、P319 - P320、P358、P457。
  4. ^ a b 河合、P42。
  5. ^ 高橋、P554 - P555、結城、P127 - P128、P136 - P137、河合、P47。
  6. ^ 高橋、P555、結城、P142、P166、P211 - P212、河合、P73。
  7. ^ 結城、P152 - P155。


「ヘンリー・ケアリー (初代ハンズドン男爵)」の続きの解説一覧



英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「ヘンリー・ケアリー (初代ハンズドン男爵)」の関連用語

ヘンリー・ケアリー (初代ハンズドン男爵)のお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



ヘンリー・ケアリー (初代ハンズドン男爵)のページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
All text is available under the terms of the GNU Free Documentation License.
この記事は、ウィキペディアのヘンリー・ケアリー (初代ハンズドン男爵) (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。 Weblio辞書に掲載されているウィキペディアの記事も、全てGNU Free Documentation Licenseの元に提供されております。

©2024 GRAS Group, Inc.RSS