プトレマイオス14世 プトレマイオス14世の概要

プトレマイオス14世

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/08/24 03:49 UTC 版)

ナビゲーションに移動 検索に移動
プトレマイオス14世
Πτολεμαίος ΙΔ΄
古代エジプトファラオ
統治期間 紀元前47年 - 紀元前44年プトレマイオス朝
前王 プトレマイオス13世
次王 プトレマイオス15世
配偶者 クレオパトラ7世
プトレマイオス12世
生誕 紀元前60年
没年 紀元前44年

生涯

プトレマイオス12世の息子で、プトレマイオス13世の弟として生まれた。紀元前47年1月13日にプトレマイオス13世が死去すると、姉でファラオクレオパトラ7世にファラオに推挙された[1]。クレオパトラ7世はプトレマイオス14世と結婚していたが、彼女は共和政ローマの終身独裁官ガイウス・ユリウス・カエサルの愛人であり続けた。またクレオパトラ7世は1人でエジプトを統治し、プトレマイオス14世は名ばかりの統治者だった[1]

紀元前44年3月15日にカエサルがマルクス・ユニウス・ブルトゥスガイウス・カッシウス・ロンギヌスの陰謀により暗殺される英語版と、プトレマイオス14世は後を追うように同年に死去した(実際の日付は不明だが、6月26日時点で生きているとする碑文がある)。また確証はないが、クレオパトラ7世がカエサルとの間の息子カエサリオンをファラオに即位させるためにプトレマイオス14世をトリカブトで毒殺したとされることが多い。

紀元前44年9月2日、クレオパトラ7世の望み通り、カエサリオンがファラオに推挙された[1]




  1. ^ a b c Smith, Mahlon H. (1999年). “Ptolemy XIV Theos Philopator II”. 2017年6月18日閲覧。


「プトレマイオス14世」の続きの解説一覧



英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「プトレマイオス14世」の関連用語

プトレマイオス14世のお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



プトレマイオス14世のページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
All text is available under the terms of the GNU Free Documentation License.
この記事は、ウィキペディアのプトレマイオス14世 (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。 Weblio辞書に掲載されているウィキペディアの記事も、全てGNU Free Documentation Licenseの元に提供されております。

©2024 GRAS Group, Inc.RSS