フリークエント・ウィンド作戦 概要

フリークエント・ウィンド作戦

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/12/12 01:20 UTC 版)

概要

海中へ突き落とされる南ベトナム軍のUH-1ヘリコプター

サイゴン陥落直前の1975年4月29日から30日のおよそ24時間の間に、在留アメリカ市民1373名、南ベトナム市民及びその他の国籍者5595名がアメリカ軍及びエア・アメリカヘリコプターにより、南シナ海のアメリカ海軍艦船(空母ミッドウェー、ハンコックなど)に脱出した。南ベトナムの地上において、脱出を守った戦闘部隊は第9海兵両用旅団 (9th MABであり、この旅団には第4海兵連隊第2大隊と第9海兵連隊第2大隊が属していた。

脱出にあたって、アメリカ海軍航空母艦が、艦上にあまりに多数の南ベトナムのヘリを収容しており、新たな機体を着艦させる余地を空けるため、多数のヘリを南シナ海に投棄せざるをえなかった[1]。ヘリコプターが避難民と乗員を米艦に降ろした後、パイロットが海面上空でヘリコプターから脱出し、米艦のボートによって収容されることもあった。

これらの事態により、アメリカ軍は赤十字国際委員会などを通じ、北ベトナム軍のサイゴン市内への突入を遅らせるよう依頼することになり、北ベトナム軍はこれを了承したが、最終的に4月30日の午前中に作戦を終了させることができた。

備考

アメリカ軍によるアメリカ市民を中心とした脱出作戦である本作戦以外にも、南ベトナムからの脱出は様々な形で実施されたことに留意する必要がある。例えばサンパンによる海上を経由しての脱出、サイゴン国際空港からタイウボンなどへの航空機による脱出などがある。

また、南ベトナム海軍艦艇は自国の国旗を掲揚していたが、フィリピンにあるスービック海軍基地に向かう途中、フィリピン政府が「北ベトナムを国家承認し、南ベトナムは国家消滅したので、船舶の寄港は一切認めない」旨を通告したため、南シナ海で南ベトナムの国旗を降ろし、アメリカ国旗である星条旗を掲揚する事態となった[2]

脚注


  1. ^ The fall of Saigon CBC News
  2. ^ "I Had Lost My Beloved Country" American Experience | PBS


「フリークエント・ウィンド作戦」の続きの解説一覧




固有名詞の分類


英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「フリークエント・ウィンド作戦」の関連用語

フリークエント・ウィンド作戦のお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



フリークエント・ウィンド作戦のページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
All text is available under the terms of the GNU Free Documentation License.
この記事は、ウィキペディアのフリークエント・ウィンド作戦 (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。 Weblio辞書に掲載されているウィキペディアの記事も、全てGNU Free Documentation Licenseの元に提供されております。

©2024 GRAS Group, Inc.RSS