ビクトリア・ボルチコワ ビクトリア・ボルチコワの概要

ビクトリア・ボルチコワ

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/01/10 21:49 UTC 版)

ビクトリア・ボルチコワ
Viktoria VOLCHKOVA
2011年ロステレコム杯でのボルチコワ
選手情報
生年月日 (1982-07-30) 1982年7月30日(41歳)
出生地 ソビエト連邦
ロシア・ソビエト連邦社会主義共和国レニングラード
身長 168 cm
体重 52 キログラム
元コーチ ヴィクトール・クドリャフツェフ
マリーナ・クドリャフツェワ
オレグ・ワシリエフ
元振付師 ニコライ・モロゾフ
アレクサンドル・ズーリン
エレーナ・チャイコフスカヤ
所属クラブ スポーツクラブ・モスクビッチ
引退 2007年
ISUサイト バイオグラフィ
ISU パーソナルベストスコア
合計スコア 154.16 2004 GP中国杯
ショート 57.08 2006 欧州選手権
フリー 101.02 2004 GP中国杯
獲得メダル
欧州選手権
1999 プラハ 女子シングル
2000 ウィーン 女子シングル
2001 ブラチスラヴァ 女子シングル
2002 ローザンヌ 女子シングル
世界ジュニア選手権
1998 セントジョン 女子シングル
1999 ザグレブ 女子シングル
ジュニアグランプリファイナル
1998 デトロイト 女子シングル
■テンプレート ■選手一覧 ■ポータル ■プロジェクト

経歴

ソビエト連邦レニングラードで生まれ、6歳のときにスケートを始めた。1997-1998年シーズンより国際大会へデビューを果たし、創設されたばかりのISUジュニアグランプリ(当時の名称はISUジュニアシリーズ)に参戦。ISUジュニアグランプリ2大会で連続優勝し、世界ジュニア選手権では初出場ながら3位となる。翌1998-1999年シーズン、世界ジュニア選手権では2シーズン連続の3位、JGPファイナルでは優勝する。またシニアクラスの欧州選手権にも出場し、初出場で3位となるなど頭角を現した。

1999-2000年シーズンからは本格的にシニアクラスに転向し、ISUグランプリシリーズに参戦。欧州選手権でも4大会連続で銅メダルを獲得したが、世界選手権でのメダル獲得はならなかった。

2002年ソルトレイクシティオリンピックに出場したものの、ショートプログラムから出遅れ12位、フリースケーティングでも10位と巻き返せず、総合9位に終わった。翌2002-2003年シーズン、ロシア杯でISUグランプリシリーズ初優勝を飾り、GPファイナルで3位となり初表彰台に上り、世界選手権では自己最高の5位入賞を果たすも、このシーズン以降は徐々に下降を辿った。

2005-2006年シーズンにはロシア選手権で2位となり、トリノオリンピック女子シングルロシア代表に選出されたが、直前にケガのため棄権・欠場を発表した。[1]翌2006-2007年シーズンのロシア杯に出場したものの精彩を欠き、同シーズン終了後に引退を発表。現在は所属先のスポーツクラブ・モスクビッチでコーチをしている。

人物

アイスホッケー選手のユーリ・ブツァエフと結婚。2012年には長男が誕生した。[2]




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