ビクトリア・ボルチコワ
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ビクトリア・ボルチコワ Viktoria VOLCHKOVA |
ロシア・ソビエト連邦社会主義共和国、レニングラード
マリーナ・クドリャフツェワ
オレグ・ワシリエフ
アレクサンドル・ズーリン
エレーナ・チャイコフスカヤ
獲得メダル |
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経歴
旧ソビエト連邦のレニングラードで生まれ、6歳のときにスケートを始めた。1997-1998年シーズンより国際大会へデビューを果たし、創設されたばかりのISUジュニアグランプリ(当時の名称はISUジュニアシリーズ)に参戦。ISUジュニアグランプリ2大会で連続優勝し、世界ジュニア選手権では初出場ながら3位となる。翌1998-1999年シーズン、世界ジュニア選手権では2シーズン連続の3位、JGPファイナルでは優勝する。またシニアクラスの欧州選手権にも出場し、初出場で3位となるなど頭角を現した。
1999-2000年シーズンからは本格的にシニアクラスに転向し、ISUグランプリシリーズに参戦。欧州選手権でも4大会連続で銅メダルを獲得したが、世界選手権でのメダル獲得はならなかった。
2002年ソルトレイクシティオリンピックに出場したものの、ショートプログラムから出遅れ12位、フリースケーティングでも10位と巻き返せず、総合9位に終わった。翌2002-2003年シーズン、ロシア杯でISUグランプリシリーズ初優勝を飾り、GPファイナルで3位となり初表彰台に上り、世界選手権では自己最高の5位入賞を果たすも、このシーズン以降は徐々に下降を辿った。
2005-2006年シーズンにはロシア選手権で2位となり、トリノオリンピック女子シングルロシア代表に選出されたが、直前にケガのため棄権・欠場を発表した。[1]翌2006-2007年シーズンのロシア杯に出場したものの精彩を欠き、同シーズン終了後に引退を発表。現在は所属先のスポーツクラブ・モスクビッチでコーチをしている。
人物
アイスホッケー選手のユーリ・ブツァエフと結婚。2012年には長男が誕生した。[2]
- ^ 女子フィギュアのボルチコワが棄権
- ^ Тренер по фигурному катанию Виктория Буцаева-Волчкова родила сына
- ^ 2002/2003 ISUグランプリファイナルはフリー演技を2度行った。
- ^ 順位決定方法については1999/2000 ISUグランプリファイナルを参照のこと。
- 1 ビクトリア・ボルチコワとは
- 2 ビクトリア・ボルチコワの概要
- 3 主な生徒
- 4 外部リンク
固有名詞の分類
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