パドトロワ
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/09/18 07:03 UTC 版)
戦績
2009年 - 2010年
2009年11月29日の京都芝1600mの新馬戦でデビュー(3着)。12月13日の阪神の未勝利戦芝1200mで2戦目で初勝利。
2010年3月の阪神戦以降1番人気に推され、1着、2着、3着がそれぞれ1回ずつと安定した成績になるも初GIとなったNHKマイルカップは距離が長すぎて16着惨敗となる。以後は1400m戦以下での出走となり、6月の福島のさくらんぼ特別で3勝目をあげる。
2011年
3月の阪神の準オープン心斎橋ステークスで4勝目をあげて、オープン入り。続くオープン特別のオーストラリアトロフィーも勝利し、2連勝を飾る。函館スプリントステークスは6着に敗れるも、同じ函館のUHB杯は人気に応えて6勝目となった。続くスプリンターズステークスは9番人気ながらカレンチャンの2着に健闘する。しかし初の海外重賞出走となった香港スプリントは14着惨敗となった。
2012年
4ヶ月の休み明け以後のオープン戦はそれぞれ7着、6着となり、函館スプリントステークスを4着に敗れて迎えた新潟のアイビスサマーダッシュで重賞初制覇を果たし、続く札幌のキーンランドカップは先行で人気のダッシャーゴーゴーに競り勝ち、レコードタイムで重賞2勝目をあげるとともに2012サマースプリントシリーズのチャンピオンとなった。しかしスプリンターズステークスは先行しながら直線伸びず8着に敗れた。京阪杯はいいところなく15着に敗退。鞍上の安藤勝己はこのレースで「馬を上手く動かせなくなった」と強く感じたため引退を決意し、以降は1度も騎乗することなく翌年1月末に騎手免許を返上している[2][3]。
2013年
休み明けとなった京王杯スプリングカップは先行するも直線失速して14着に敗退。函館スプリントステークスは先行勢にとりついて最後押し切って重賞3勝目を飾った。鞍上の勝浦正樹にとっては2007年の朝日杯フューチュリティステークス以来約5年半ぶりの重賞制覇となった(重賞の連敗は150でストップ)。続くアイビスサマーダッシュ、キーンランドカップと連覇を掛けて挑んだものの、それぞれ10着、14着に敗れた。スプリンターズステークスでは2番手からレースを進めたが直線で失速し15着に敗れた。
2014年
休み明けの阪急杯は先行したものの直線で馬群に飲まれ15着に敗れ、デビュー以来初のダート戦となる東京スプリントにも出走したがこちらも15着に敗れた。その後4走したがいずれも2桁着順に終わり、9月3日付けで競走馬登録を抹消された。引退後はレックススタッドで種牡馬となる[4]。
- ^ “【香港国際競走】〜日本勢3頭 香港到着後の陣営コメント”. ラジオNIKKEI. 2022年6月25日閲覧。
- ^ “パドトロワが引退 安藤勝己氏・現役最後の騎乗馬”. 競馬ラボ. 2022年6月25日閲覧。
- ^ andokatsumiのツイート(331575891849273344)
- ^ “パドトロワ号が競走馬登録抹消”. 日本中央競馬会 (2014年9月3日). 2014年9月3日閲覧。
- ^ パドトロワ 馬・牧場・施設検索 - 競走馬のふるさと案内所、2022年9月29日閲覧
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