バフェティンビ・ゴミス
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/05/13 01:18 UTC 版)
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スウォンジー・シティAFC時代(2015年) | ||||||
名前 | ||||||
本名 |
バフェティンビ・フレディウス・ゴミス Bafétimbi Fredius Gomis | |||||
愛称 | バフェ、ライオン | |||||
カタカナ | バフェティンビ ゴミス | |||||
ラテン文字 | Bafétimbi GOMIS | |||||
基本情報 | ||||||
国籍 |
フランス セネガル | |||||
生年月日 | 1985年8月6日(38歳) | |||||
出身地 | フランス・ラ・セーヌ=シュル=メール | |||||
身長 | 184cm | |||||
体重 | 77kg | |||||
選手情報 | ||||||
在籍チーム | 川崎フロンターレ | |||||
ポジション | FW(CF) | |||||
背番号 | 18 | |||||
利き足 | 右足 | |||||
ユース | ||||||
2001-2004 | ASサンテティエンヌ | |||||
クラブ1 | ||||||
年 | クラブ | 出場 | (得点) | |||
2004-2009 | ASサンテティエンヌ | 142 | (40) | |||
2005 | → トロワAC(loan) | 13 | (6) | |||
2009-2014 | オリンピック・リヨン | 178 | (64) | |||
2014-2017 | スウォンジー・シティAFC | 64 | (13) | |||
2016-2017 | → オリンピック・マルセイユ(loan) | 31 | (20) | |||
2017-2018 | ガラタサライSK | 34 | (29) | |||
2018-2022 | アル・ヒラル | 106 | (81) | |||
2022-2023 | ガラタサライSK | 37 | (14) | |||
2023- | 川崎フロンターレ | 8 | (0) | |||
代表歴 | ||||||
2008-2013 | フランス | 12 | (3) | |||
1. 国内リーグ戦に限る。2024年1月2日現在。 ■テンプレート(■ノート ■解説)■サッカー選手pj |
セネガル出身の両親を持つ。2017-18シーズンのトルコ1部リーグ得点王、最優秀選手。2020-21シーズンのサウジアラビア1部リーグ得点王。
経歴
クラブ
2007-08シーズンのリーグ・アンで得点ランキング3位タイの16ゴールを挙げて注目された。2008-09シーズンは9得点したが、初得点が第8節と遅く、ウィンターブレークまでに4得点しか決められず期待を裏切った。最終節のヴァランシエンヌFC戦では2得点し、17位での残留に貢献した。2009年7月、移籍金1300万ユーロでオリンピック・リヨンへ移籍した。
2014年6月27日、スウォンジー・シティAFCへ4年契約で移籍[1]。2015-16シーズンには開幕戦のチェルシー戦から第4節のマンチェスター・ユナイテッド戦まで4試合連続ゴールを記録するなど好調を維持していたが、2016年1月にフランチェスコ・グイドリンが監督に就任すると出場機会が減少した。
2016年7月29日、オリンピック・マルセイユへレンタル移籍[2]。8月26日のロリアン戦でゴールを決めるとそれを皮切りに得点を量産し、2017年1月27日のモンペリエ戦ではハットトリックを記録。最終的にはキャリアハイとなる20得点を挙げた。
2017年6月29日、ガラタサライSKへ3年契約で完全移籍を果たした[3]。
2018年8月23日、アル・ヒラルへ2年契約で完全移籍[4]。加入後はチームの絶対的エースとして活躍。2019年のACLでは、得点王と最優秀選手を受賞したり、決勝の浦和レッズとの試合で埼玉スタジアムでゴールを決めたりなどとアジア王者に相応しい功績を見せた。しかし2021年になると、ルシアーノ・ビエットやムサ・マレガといった実力者が加入し、出場機会が前年に比べ減少した。
2022年2月2日、古巣のガラタサライに復帰することが発表された[5]。
2023年8月8日、J1リーグの川崎フロンターレと契約合意に至ったことが発表された[6]。背番号はかつて三笘薫などが付けていた18。同年のリーグ戦でアシストはあったが、無得点に終わった。
2024年、第13節の北海道コンサドーレ札幌戦(5月11日、Uvanceとどろきスタジアム by Fujitsu)の前半30分に移籍後初ゴールを決めると、その後も2得点を挙げてハットトリックを達成した[7]。
代表
代表未経験ながらEURO2008に向けた代表候補メンバー30人に選出され、2008年5月27日に行われたエクアドルとの強化試合でフランス代表デビューを飾り、2得点を挙げた(フランス代表デビュー戦で2得点を挙げたのは、1994年のジネディーヌ・ジダンに次ぐ史上2人目の快挙)。翌日、EURO2008の本選出場選手23人に選出された。第1戦のルーマニア戦ではニコラ・アネルカに代わって72分から途中出場、オランダ戦ではフローラン・マルダに代わって途中出場した。
人物・エピソード
- 血管迷走神経反射性失神の症状を持ち、リヨン時代に3度倒れている。スウォンジーに所属していた2015年3月4日のトッテナム戦では試合途中に突然意識を失い倒れ、酸素マスクを付けられ退場した。チームや本人もその症状がある事を把握した上で「健康上問題ない」としてメディカルチェックも受けている[8]。
- サッカー選手のナンパリス・メンディはいとこ[9]。
- 2008年12月21日、バカンスに向かう途中のリヨン・サン=テグジュペリ国際空港で総額1万ユーロ(約126万円)相当の所持品とパスポートなどの置き引きの被害に遭った[10]。
- ^ スウォンジー、ゴミス獲得を発表 - Goal.com 2014年6月28日
- ^ スウォンジーFWゴミス、マルセイユにレンタル 酒井宏樹と同僚に - Goal.com 2016年7月29日
- ^ 酒井同僚のゴミス、ガラタサライ移籍が決定…今季マルセイユで21ゴール - サッカーキング 2017年6月30日
- ^ Mercato Galatasaray: Gomis s'engage à Al Hilal - beIN SPORTS 2018年8月27日
- ^ Bafetimbi Gomis yeniden Galatasaray'da! - galatasaray.org 2022年2月22日
- ^ 『バフェティンビ ゴミス選手 契約合意のお知らせ』(プレスリリース)川崎フロンターレ、2023年8月8日 。2023年8月8日閲覧。
- ^ “【川崎F】不屈のライオン魂 FWゴミスが来日初得点&ハット「謙虚に日本文化を学んできた」”. 日刊スポーツ (2024年5月11日). 2024年5月11日閲覧。
- ^ スウォンジーFWゴミスが試合中に突然失神、場内一時騒然…現在は回復 - サッカーキング 2015年3月5日
- ^ “Alexandre et Nampalys Mendy, une histoire de famille dans le mercato bordelais ?”. girondins33.com. 2021年7月10日閲覧。
- ^ 松井のチームメイト、ゴミスが盗難に - livedoorスポーツ 2008年12月26日
- 1 バフェティンビ・ゴミスとは
- 2 バフェティンビ・ゴミスの概要
- 3 所属クラブ
- 4 タイトル
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