バスケットボール男子アメリカ合衆国代表
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/04/19 07:10 UTC 版)
ドリームチームIV(2000年シドニー五輪)
1992年のバルセロナ五輪以来、オリンピックでは無敵の存在であり続けた男子アメリカ代表が、初めて窮地に立たされた大会が2000年のシドニーオリンピックだった。この時に参加したチームはドリームチームIVと呼ばれるが、「ドリームチーム」の名に値しないと評する者もいるほど危うい場面に直面したこともあった。
この年のアメリカ代表には、ヴィンス・カーター、ケビン・ガーネット、ジェイソン・キッドなどNBAを代表する選手が加わっていたが、1992年以降のアメリカ五輪代表チームとまず異なる点は、NBAファイナルでの優勝経験者やMVP受賞者がいないことだった。もう一人の有力選手で優勝とMVPの経験を持つティム・ダンカンは、この年のアメリカ大陸予選では活躍したが、オリンピックには怪我で出場できなかった。
もう一つの特徴は、主力選手の平均年齢が低いことだった。前述の3名は20代半ば、あるいは20代前半であり、ベテランの域に達していたティム・ハーダウェイ、アロンゾ・モーニング、ゲイリー・ペイトンはスター選手の座を若手に譲りつつあった。
この年のオリンピックから見られたもう一つの傾向は、リーグのスター選手に五輪出場を辞退する者が増え始めたことだった。オリンピック直前に優勝しMVPを受賞していたシャキール・オニール、同じチームに所属するコービー・ブライアント、リーグで最も人気のある選手の一人アレン・アイバーソンは私的な事情や健康上の理由などで代表チーム招聘を辞退していた。
さらに、12人中ガードの選手が半数の6人となる一方で、センターは、このポジションとしては小柄なアロンゾ・モーニング1人の登録となった。このややいびつなチーム構成は、大会ではインサイドでの弱さというかたちで他国につけこまれ、苦戦の要因となった。
オリンピックに臨んだアメリカ代表は、予選リーグの中国戦、ニュージーランド戦ではそれぞれ40点以上、イタリア戦では30点以上の差をつけて余裕を見せたが、フランス戦では12点差、リトアニア戦では9点差の際どい勝利だった。過去2回のオリンピックでこれほどの僅差で試合を終えたことはなく、リトアニア戦はドリームチームとしては初めての1桁差の勝利だった。
決勝トーナメントに入り、ロシア戦では85対70と15点差の勝利。そして、ドリームチームがあわや敗北かと思われたのが、続く準決勝のリトアニア戦だった。結果は85対83でアメリカの辛勝だったが、リトアニアの選手が試合終了時に放ったスリーポイントシュートが決まっていればアメリカは敗れるところであった。
決勝戦の相手となったのはフランスにも試合終盤に4点差まで詰め寄られたが、アメリカはそこから踏みとどまり結果は85対75で金メダル獲得となった。
予選のフランス戦で、身長215センチのセンター、フレデリック・ワイスをヴィンス・カーターが飛び越えてダンクシュートを決めるという離れ技も見られたものの、このシドニー五輪は諸外国の成長とアメリカの脆さが印象的な大会となった。アメリカ代表が観客にブーイングを受ける場面もあった。特に、リトアニアやフランスを相手にあと一歩のところまで追い詰められたことで、各国がアメリカを「勝てない相手ではない」と認識しはじめたのが、過去2度のオリンピックと異なる点だった。
ドリームチームIV参加者
監督陣
括弧内は当時所属していたチームや大学。
- 監督: ルディ・トムジャノビッチ(ヒューストン・ロケッツ)
- アシスタントコーチ: ラリー・ブラウン(フィラデルフィア・セブンティシクサーズ)、ジーン・キーディ(パデュー大学)、タビー・スミス(ケンタッキー大学)
選手
年齢と所属は当時のもの。
No. | 名前 | ポジション | 年齢 | 所属 | 出場試合/先発 | 平均得点 |
---|---|---|---|---|---|---|
9 | ヴィンス・カーター | ガード/フォワード | 23 | トロント・ラプターズ | 8/5 | 14.8 |
10 | ケビン・ガーネット | フォワード | 25 | ミネソタ・ティンバーウルブズ | 8/5 | 10.8 |
7 | アロンゾ・モーニング | センター | 30 | マイアミ・ヒート | 6/6 | 10.2 |
12 | レイ・アレン | ガード | 25 | ミルウォーキー・バックス | 8/2 | 9.8 |
11 | ヴィン・ベイカー | フォワード | 28 | シアトル・スーパーソニックス | 8/2 | 8.0 |
6 | アラン・ヒューストン | ガード | 29 | ニューヨーク・ニックス | 7/4 | 8.0 |
13 | アントニオ・マクダイス | フォワード | 26 | デンバー・ナゲッツ | 8/2 | 7.6 |
15 | シャリーフ・アブドゥル=ラヒーム | フォワード | 23 | バンクーバー・グリズリーズ | 8/1 | 6.4 |
4 | スティーブ・スミス | ガード | 31 | ポートランド・トレイルブレイザーズ | 8/2 | 6.1 |
5 | ジェイソン・キッド | ガード | 27 | ニュージャージー・ネッツ | 8/4 | 6.0 |
14 | ゲイリー・ペイトン | ガード | 32 | シアトル・スーパーソニックス | 8/6 | 5.5 |
8 | ティム・ハーダウェイ | ガード | 34 | マイアミ・ヒート | 8/1 | 5.5 |
- ^ [1]
- ^ “最新版FIBAランキングが公開…スペインが1.1ポイント差でアメリカを上回ってトップに”. バスケットボールキング. 2022年11月18日閲覧。
- ^ “NBA Stars Locked Out Of Team USA”. CBSスポーツ (1998年7月29日). 2010年11月3日閲覧。
- ^ “THIRTEENTH WORLD CHAMPIONSHIP -- 1998”. バスケットボールアメリカ合衆国代表. 2010年11月3日閲覧。
- ^ [https://olympics.com/ja/topics/2008-us-olympic-basketball-the-redeem-team THE REDEEM TEAM アメリカ、そしてNBAスター選手たちは、どのようにして北京2008 バスケットボール男子で再び頂点に立ったのか。] olympics.com 2024年4月19日閲覧
- ^ 1992年のドリームチームと2008年のリディームチーム、勝つのはどっちだ? olympics.com 2022年10月7日 2024年4月19日閲覧
- ^ “Coach Krzyzewski putting legacy at risk”. ESPN (2009年7月22日). 2010年11月4日閲覧。
- ^ “'08 Olympians to skip basketball worlds”. ESPN (2010年7月11日). 2010年11月4日閲覧。
- ^ SPORTS COMMUNICATIONS - 第179 回 バスケ米国代表“Bチーム”は頂点に立てるか 2010年9月3日付 2011年6月25日閲覧。
- ^ “Durant Lifts Americans Back to Top at Worlds”. ニューヨーク・タイムズ (2010年9月12日). 2010年11月4日閲覧。
- ^ “Team Roster United States”. olympics.com. 2021年7月24日閲覧。
- ^ “U.S. Olympic Men's Team Combined Team Statistics (as of Aug 07, 2021)”. USAB.com (2021年8月21日). 2021年8月7日閲覧。
- 1 バスケットボール男子アメリカ合衆国代表とは
- 2 バスケットボール男子アメリカ合衆国代表の概要
- 3 ドリームチームII(1994年世界選手権)
- 4 ドリームチームIII(1996年アトランタ五輪)
- 5 1998年世界選手権代表チーム
- 6 ドリームチームIV(2000年シドニー五輪)
- 7 2002年世界選手権代表チーム
- 8 2004年アテネ五輪代表チーム
- 9 2006年世界選手権代表チーム
- 10 2008年北京オリンピック代表チーム
- 11 2010年世界選手権代表チーム
- 12 2012年ロンドンオリンピック代表チーム
- 13 2014年世界選手権代表チーム
- 14 2016年リオデジャネイロオリンピック代表チーム
- 15 2020年 東京オリンピック代表チーム
- 16 出典
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