ドゥビリ橋 ドゥビリ橋の概要

ドゥビリ橋

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/08/15 09:17 UTC 版)

ナビゲーションに移動 検索に移動
ドゥビイ橋
基本情報
フランス
所在地 パリ
交差物件 セーヌ川
設計者
施工者
アメデ・アルビ、アンドレ=ルイ・リオン、ジャン・レサル
建設 1899-1900年
座標 北緯48度51分47秒 東経2度17分47秒 / 北緯48.86306度 東経2.29639度 / 48.86306; 2.29639座標: 北緯48度51分47秒 東経2度17分47秒 / 北緯48.86306度 東経2.29639度 / 48.86306; 2.29639
構造諸元
形式 アーチ橋
材料 鋼鉄
全長 125m
8m
関連項目
橋の一覧 - 各国の橋 - 橋の形式
テンプレートを表示

この橋はもともと1900年のパリ万国博覧会のために一時的な橋として架けられた。同時期に架けられた橋にアレクサンドル3世橋オステルリッツ高架橋がある。橋の名前は軍事博覧会橋、マグデブール橋と転々としたが、第一帝政期の軍人でイエナの戦いで戦死したジャン・ルイ・ドゥビイ (fr) の名を取ってドゥビイ橋と名付けられた。

構造は製の単一アーチで橋脚は石積みである。橋脚には波を思わせる装飾のされた濃い緑色のタイルが貼り付けられている。エッフェル塔と並んでこの時代の建築を物語る建造物といえよう。建築協会の会長に「過ぎ去った祭の忘れられたモニュメント」と呼ばれるなど、ドゥビイ橋は常に消滅の危機にあったが1966年になり歴史的建造物に指定された。1991年には塗り替えが、1997年には踏面の貼替えが行われた。

ベルリンの壁崩壊間近の1989年東ドイツの外交官がこの橋の上で死体で見つかった。冷戦のさなか、この橋は東側のエージェントが秘密の会合をする場所だったのである。この事件はブライアン・デ・パルマ監督がファム・ファタールを製作する一因となった。




「ドゥビリ橋」の続きの解説一覧



英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「ドゥビリ橋」の関連用語

ドゥビリ橋のお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



ドゥビリ橋のページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
All text is available under the terms of the GNU Free Documentation License.
この記事は、ウィキペディアのドゥビリ橋 (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。 Weblio辞書に掲載されているウィキペディアの記事も、全てGNU Free Documentation Licenseの元に提供されております。

©2024 GRAS Group, Inc.RSS