ツクヨミ
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/05/28 04:33 UTC 版)
ツクヨミの名義
ツクヨミの神名については、複数の由来説が成り立つ。
まず、最も有力な説として、「月を読む」ことから暦と結びつける由来説がある[3]。上代特殊仮名遣では、「暦や月齢を数える」ことを意味する「読み」の訓字例「余美・餘美」がいずれもヨ乙類・ミ甲類で「月読」と一致していることから、ツクヨミの原義は、日月を数える「読み」から来たものと考えられる。例えば暦=コヨミは、「日を読む」すなわち「日数み(カヨミ)」である[13]のに対して、ツキヨミもまた月を読むことにつながる。
「読む」は、『万葉集』にも「月日を読みて」「月読めば」など時間(日月)を数える意味で使われている例があり、また暦の歴史を見ると、月の満ち欠けや運行が暦の基準として用いられており、世界的に太陰暦が太陽暦に先行して発生した。「一月二月」という日の数え方にもその名残があるように、月と暦は非常に関係が深いつまり、ツクヨミは日月を数えることから、暦を司る神格であろうと解釈されている[3]。
その他にも、海神のワタツミ、山神のオオヤマツミと同じく、「ツクヨのミ」(「ツクヨ」が月で「ミ」は神霊の意)から「月の神」の意とする説がある[14]。
このようにはっきりと甲乙の異なる「ヨ」や、発音の異なる「ユ」の表記が並行して用いられていること、そして『記紀万葉』のみならず『延喜式』などやや後世の文献でも数通りの呼称があり、表記がどれかに収束することなく、ヨの甲乙が異なる「月読」と「月夜見」表記が並行して用いられている。
『万葉集』におけるツクヨミを詠んだ歌
- 巻四・六七〇 月讀の 光に来ませ 足疾(あしひき)の 山寸(やまき)隔(へ)なりて 遠からなくに
- 巻四・六七一 月讀の光は清く 照らせれど 惑へるこころ 思ひあへなくに
- 巻六・九八五 天に座す 月讀壮士 幣(まひ)はせむ 今夜の長さ 五百夜継ぎこそ
- 巻七・一〇七五 海原の 道遠みかも 月讀の 明(ひかり)少なき 夜は更けにつつ
- 巻七・一三七二 み空ゆく 月讀壮士 夕去らず 目には見れども 因るよしもなし
- 巻十三・三二四五 天橋も 長くもがも 高山も 高くもがも 月夜見の 持てる越水(をちみづ) い取り来て 公(きみ)に奉りて をち得てしかも
- 巻十五・三五九九 月余美の 光を清み 神嶋の 磯海の浦ゆ 船出すわれは
- 巻十五・三六二二 月余美の 光を清み 夕凪に 水手(かこ)の声呼び 浦海漕ぐかも
ツクヨミを祭神とする神社
皇大神宮の別宮・月讀宮や[15]、豊受大神宮の別宮・月夜見宮に祀られる[16]。また、京都市の月読神社[注釈 2]は壱岐市の月讀神社から勧請を受けたものである[17]。日本百名山や出羽三山で知られる月山(ガッサン,1984m,山形県)の名称は、山頂に鎮座する神社(月山神社,旧社格:官幣大社)の祭神である月読之命に因んだものとされる。
注釈
出典
- ^ 平藤喜久子 著「スサノオ 建速須佐之男命(記)、素戔嗚尊(紀)」、松村一男ほか 編『神の文化史事典』白水社、2013年2月、285頁。ISBN 978-4-560-08265-2。
- ^ “ツキヨミノミコト(月読尊)”. ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典. コトバンク. 2016年9月18日閲覧。
- ^ a b c d 『八百万の神々 - 日本の神霊たちのプロフィール』103、105頁。
- ^ 『日本神話の起源』126-138頁。
- ^ 『中空構造日本の深層』35-37頁。
- ^ a b 『日本神話事典』211頁。
- ^ 『東洋神名事典』235頁。
- ^ 『日本神話 - 神々の壮麗なるドラマ』44頁。
- ^ 『式内社調査報告』山口麻太郎
- ^ 『古代日本の月信仰と再生思想』276頁。
- ^ 村上健司編著『日本妖怪大事典』角川書店〈Kwai books〉、2005年7月、95頁。ISBN 978-4-04-883926-6。
- ^ 武光誠『出雲王国の正体 - 日本最古の神政国家』PHP研究所、2013年4月、29,32頁。ISBN 978-4-569-81218-2。
- ^ 『神道の本 - 八百万の神々がつどう秘教的祭祀の世界』53頁。
- ^ 『広辞苑』1779頁。
- ^ “月読宮”. 神宮司庁. 2017年6月25日閲覧。
- ^ “月夜見宮”. 神宮司庁. 2017年6月25日閲覧。
- ^ 笠井倭人 「葛野坐月読神社」『式内社調査報告 第1巻』 式内社研究会編、皇學館大学出版部、1979年。
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