チチェスター 人口

チチェスター

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/12/24 06:58 UTC 版)

人口

2001年国勢調査の時点では、チチェスター市の人口は 23,731人、チチェスター・ディストリクトの人口は106,445人であった。人口の年齢階層別構成比を見ると、40歳代以下が英国の平均より低く、50歳代以降で平均より高くなっている[9]。これは、当地の温暖な気候などを求めて、退職後に他地域から移り住んでくる人々が多いためである。

経済

チチェスターは、過去の歴史を活かした観光産業が盛んである[10]

国際的な学術専門出版社 Wiley は、英国法人の主たる拠点をチチェスターに置いている。

見所

11世紀に創建された大聖堂は、三位一体に捧げられ、チチェスターの聖リチャード英語版を祀っている。現在の姿の原型は12世紀末に形づくられたものとされている。尖塔は、地元から産出した軟弱な石を積んだものであったために1861年に突然崩壊し、その後再建されたものである。南側の側廊の床の一部はガラスになっており床下に残されたローマ期の遺跡のモザイク床が見えるようになっている。13世紀に建てられた鐘楼は大聖堂の建物から数メートル離れて独立しており、英国では珍しい形である。大聖堂内には、中世の騎士とその妻の墓があり、フィリップ・ラーキンの「アランデルの墓英語版」のモチーフになったとされている。同様に、当地選出の国会議員で、最初の鉄道轢死者でもあったウィリアム・ハスキソンの精巧な像も安置されている。
教会音楽マドリガル作品の作曲などで知られるトマス・ウィールクスは、17世紀はじめに大聖堂のオルガン奏者兼合唱指導者を永く務めており、堂内には顕彰する碑文がある。また組曲『惑星』などで知られるグスターヴ・ホルストは堂内に埋葬されている[11]レナード・バーンスタインの合唱曲チチェスター詩篇英語版は、大聖堂の委嘱作品である。

大聖堂以外にも、5堂の英国教会と、カトリックの聖リチャード教会、さらに他の宗派の教会9堂がある[12]

チチェスター・クロス

ローマ期の円形劇場の遺跡は、現在は公園になっている場所の地下に埋められているが、円形劇場の傾斜面は、はっきり認識できるようになっており、公園に設置された解説板には、詳しい情報が記されている。

ノース・ストリートにあるバターマーケットは、ジョン・ナッシュの設計によって1808年に食料品市場として開業したものである。1900年には上階が増築され、当初は美術学校がそこに入った。バターマーケットには、現在も様々な小規模事業者が入居しているが、チチェスター市当局は近くこの建物の全面的な改装を予定しており、一部の小売り業者の将来ははっきりしていない[13]

イースト・ストリートにあるコーン・エクスチェンジは、英国でも最も初期の穀物取引所の一つとして1833年に建てられた[14]。商取引における重要性を誇示するかのような、重厚な佇まいの建物である。1883年には、演劇や娯楽にも用いられるようになり、その後は映画館(1923年 - 1984年)やレストランとして使われた後、マクドナルドの店舗が入っていた。現在は、衣類小売りのネクストの店舗が入っている。

チチェスター・クロスは、かつての市場の場所であり、東西南北の街路が集まる市街地の中央に建っている。

交通

鉄道運賃交換所による1914年の地図:廃止されたミッドハーストセルシー方面への路線に注意

チチェスターは主要道路のハブとなっているが、最も重要なのはイーストボーンサウサンプトンを結ぶ、沿岸部の幹線A27である。これに準じてA259が、ケント州フォークストンから当地に至り、西はハヴントまでやはり沿岸部をつないでいる。この東西連絡道路に対して、北方へ延びる道路が3本ある。A29は、ロンドンから来るルートで、市街地の東でA27に合流する。A285は、ペットワースA272に連絡し、A 286は、ギルフォードに向かう道である。

イングランド南東部で長距離バスの運行をしているステージコーチ・サウス・イースト社の本社は、チチェスターにある。

チチェスター駅は、ウェスト・コーストウェイ線の駅で、ブライトンロンドン・ヴィクトリア駅ガトウィック空港経由)、ポーツマスサウサンプトンベイジングストーク行きの列車が定期的に運行されている。かつては北方のミッドハーストまで行く支線があった。また、かつては南方のセルシーまでスティーヴンスが敷設した軽便鉄道であるウェスト・サセックス鉄道が通じていたが、1935年に廃止となった。

チチェスター周辺には、長距離のハイキングやサイクリング、乗馬のためのルートがいくつか設定されている。そのうち、イースト・サセックス州のウェスト・ディーンに至る「センチュリオン・ウェイ the Centurion Way」などは、チチェスターが起点となっている。


  1. ^ もともとは Bishop Otter College という名称であったが、改称を重ね、West Sussex Institute of higher Education、Chichester Institute of Higher Education、University College Chichester を経て現在の名称になった
  1. ^ 2001 Census: West Sussex – Population by Parish”. West Sussex County Council. 2011年6月8日時点のオリジナルよりアーカイブ。2009年4月12日閲覧。
  2. ^ 2011 Census: Chichester (Parish)”. Office for National Statistics. 2015年4月2日時点のオリジナルよりアーカイブ。2020年7月16日閲覧。
  3. ^ BBC - Domesday Reloaded: CHICHESTER-A CICESTRIAN.”. Domesday. 2012年3月20日時点のオリジナルよりアーカイブ。2013年11月16日閲覧。
  4. ^ Chichester City Council
  5. ^ British History Online
  6. ^ Sub-Urban website: River Lavant Archived 2008年5月10日, at the Wayback Machine.
  7. ^ City Wall Walk: 地図あり
  8. ^ Chichester and Langstone Harbours | Ramsar Sites Information Service”. rsis.ramsar.org (1999年1月1日). 2023年4月2日閲覧。
  9. ^ census 2001 Chichester
  10. ^ Chichester Web - The Chichester Guide
  11. ^ FInd A Grave: Gustav Holst
  12. ^ Chichester Web: churches of Chichester
  13. ^ The Buttermarket plans
  14. ^ The Corn Exchange
  15. ^ Chichester Festival
  16. ^ Chichester Festival Theatre
  17. ^ Pallant House gallery
  18. ^ Chichester Cinema At New Park






固有名詞の分類


英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「チチェスター」の関連用語

チチェスターのお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



チチェスターのページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
All text is available under the terms of the GNU Free Documentation License.
この記事は、ウィキペディアのチチェスター (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。 Weblio辞書に掲載されているウィキペディアの記事も、全てGNU Free Documentation Licenseの元に提供されております。

©2024 GRAS Group, Inc.RSS