ジョアン・ミル
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/04/28 15:54 UTC 版)
経歴
初期の活動
ミルは6歳の頃、初めて小型オートバイに乗ったが、同世代のライバルたちに比べ、レースキャリアの始まりは遅かった[1]。父親はマヨルカ島でローラースケートショップを営んでおり[1]、ミルの少年時代はローラースケートやスケートボード、キックスクーターと共にあった[2]。やがて、世界GP125ccクラスのライダーだった叔父のジョアン・ペレロに影響され、10歳の頃からレースに取り組むようになった。チーチョ・ロレンソ(ホルヘ・ロレンソの父親)が運営するスクールや、バレアレス・モーターサイクル連盟のスクールでライディングの基礎を学び、バレアレス選手権やバンキアカップで経験を積んだ[2]。
2013年より若手ライダーの登竜門、レッドブルMotoGPルーキーズカップに参戦。2014年は3勝を挙げ、ホルヘ・マルティンに次ぐランキング2位を獲得した。2015年はFIM CEVレプソルMoto3ジュニア世界選手権に参戦し、4勝を挙げてランキング4位。同年のMotoGP第16戦オーストラリアGPに尾野弘樹の代役として出場し、世界選手権Moto3クラスにデビューした[3]。
ロードレース世界選手権参戦
Moto3クラス
2016年、レオパード・レーシングよりMoto3クラスにレギュラー参戦を開始。前半戦は苦戦するも、第10戦オーストリアGPで初ポールポジションからポール・トゥ・ウィンで初優勝。後半戦はコンスタントに上位を走り、2位1回・3位1回を加え年間ランキング5位でルーキー・オブ・ザ・イヤーに選ばれた。
2017年はマシンをKTMからホンダ・NSF250RWにスイッチ。接戦でアクシデントの多いMoto3において全18戦中17戦でポイント獲得、うち優勝10回・2位2回・3位1回という卓越した成績を収め、ランキング2位に93点差をつけMoto3クラスチャンピオンを獲得した[3]。軽量クラスで年間2桁勝利を記録したのは、125 cc時代のバレンティーノ・ロッシ(1997年11勝)とマルク・マルケス(2010年10勝)以来となる。
Moto2クラス
2018年はMoto2クラスにステップアップし、2017年王者フランコ・モルビデリの後継としてマークVDSレーシングチームに加入。4度の表彰台(2位2回・3位2回)、ランキング6位でルーキー・オブ・ザ・イヤーに選ばれた。
シーズン前半の第5戦フランスGP後に、早くも2019年からMotoGPクラスにステップアップすることを発表した[4]。ミルはホンダと仮契約を交わしていたが、スズキから好条件のオファーを受け、Moto2クラスのタイトルを狙うよりも、最高峰のMotoGPクラスにファクトリーライダーとして昇格するチャンスを選択した [5]。
MotoGPクラス
2019年はチーム・スズキ・エクスターへ加入し、アレックス・リンスのチームメイトとしてスズキ・GSX-RRをライディングする[6]。第10戦チェコGP後のブルノテストで転倒し、肺挫傷のため2戦を欠場[7]。復帰後は7戦連続ポイントを獲得し、オーストラリアGPでシーズン最高5位を記録。初年度をランキング12位で終える。2019年のルーキー・オブ・ザ・イヤーにはファビオ・クアルタラロ(ペトロナス・ヤマハSRT)が選ばれ、ミルの3クラス連続受賞はならなかった。
2020年も同じ体制で2年目のシーズンを迎えた。新型コロナウイルス感染症によるカレンダー再編、王者マルク・マルケス(レプソル・ホンダ)の長期欠場という混迷のシーズンにおいて、ミルは優勝争いに浮上する。序盤3戦で2度の転倒リタイアを喫したが、第5戦オーストリアGPで2位初表彰台を獲得。続くスティリアGPではレース中盤までトップを快走するも、赤旗中断・再スタートの時点で新品のフロントタイヤが残っておらず、4位に後退した。その後も表彰台の常連に定着し、アラゴンGP終了時点でクアルタラロを抜きポイントリーダーに立つ。第13戦ヨーロッパGP(バレンシア)ではMotoGPクラス初優勝をリンスとのワンツーフィニッシュで達成[8]。続く第14戦バレンシアGPでシリーズチャンピオン獲得が決定した[9][10]。グランプリレギュラー参戦開始から5年目、23歳75日での最高峰クラス制覇は史上7番目の若さ[11]。また、2000年のGP500 ccクラスのケニー・ロバーツJr.以来20年ぶりにスズキのチャンピオンライダーとなり、同社の創業100周年・世界GP参戦60周年に花を添えた[12]。
2021年はチャンピオンとして3年目のシーズンを迎えた。第9戦スティリアGPでファステストラップをマークする活躍を見せるが、王者ながらも未勝利のままランキング3位でシーズンを終えた。
2022年も同じ体制で4年目のシーズンを迎えた。しかし、スズキの撤退に伴って来シーズンのシートは不明のままになっていた。第13戦オーストリアGP時点では契約締結は近いと明かしていたが、8月30日にホンダと2年契約締結を発表。ワークスチームであるレプソル・ホンダにマルケスとの体制で戦っていくことが決まった[13]。第14戦サンマリノGPではオーストリア戦の決勝レース時に右足首の距骨の小さな骨折と距骨靭帯を損傷し15日間の安静を要することとなったため欠場。渡辺一樹が代走することが決まった。
- ^ a b c “Joan Mir” (英語). Team SUZUKI. SUZUKI Motor Corporatin (2020年). 2020年11月12日閲覧。
- ^ a b c d “Biography”. MIR36 (2020年). 2020年11月12日閲覧。
- ^ a b “ジョアン・ミル、2017年Moto3クラスチャンピオン”. MotoGP.com (2017年10月22日). 2020年11月12日閲覧。
- ^ “MotoGP:スズキ、未決の1席に2017年Moto3王者ジョアン・ミルの起用を発表。2019年から2年契約結ぶ”. autosport web. (2018年6月11日) 2020年11月12日閲覧。
- ^ “ジョアン・ミル「ホンダよりもスズキのオファーの方が充実していた」”. motorsport.com日本版. (2018年7月12日) 2020年11月12日閲覧。
- ^ “スズキ、MotoGPの2019年シーズン参戦体制を発表”. スズキ (2019年2月4日). 2020年11月12日閲覧。
- ^ “ジョアン・ミル、善戦見せるも裏では“呼吸に苦戦”。完全回復はまだ先?”. motorsport.com日本版. (2019年12月20日) 2020年11月12日閲覧。
- ^ “MotoGP 第13戦 ヨーロッパGP 決勝”. スズキレーシングレポート. スズキ株式会社 (2020年11月8日). 2020年11月18日閲覧。
- ^ “MotoGP 第14戦 バレンシアGP 決勝”. スズキレーシングレポート. スズキ株式会社 (2020年11月15日). 2020年11月18日閲覧。
- ^ “2020年MotoGPチャンピオンシップ優勝 ジョアン・ミル 「スズキでのタイトル獲得は、他のメーカーでのタイトル獲得より価値がある」”. 気になるバイクニュース. (2020年11月16日) 2020年11月18日閲覧。
- ^ a b c “ジョアン・ミルのチャンピオンナンバー”. MotoGP.com (2020年11月15日). 2020年11月18日閲覧。
- ^ “ジョアン・ミルがMotoGPチャンピオンに。スズキ20年ぶりのタイトル”. RIDING SPORT. (2020年11月16日) 2020年11月18日閲覧。
- ^ “ホンダMotoGP、2023年からジョアン・ミルとの2年契約を締結。2020年王者がマルク・マルケスのチームメイトに”. motorsport.com日本版. (2022年8月30日) 2022年8月30日閲覧。
- ^ “HONDA Riders Close UP Moto3 ホアン・ミル Leopard Racing”. 本田技研工業 (2017年). 2020年11月15日閲覧。
- ^ a b “MotoGPライダー ジョアン・ミルInterview 一旗揚げてやるぜ!の気概を感じさせた好青年「ジョアン」ミル選手”. Web Mr.Bike (2019年3月4日). 2020年11月16日閲覧。
- ^ “最高峰クラス参戦2年目にして才能開花。チャンピオンシップをリードするジョアン・ミル/MotoGP第13戦レビュー”. autosport web. (2020年11月11日) 2020年11月16日閲覧。
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