コンスタンチン・ツィオルコフスキー 生涯

コンスタンチン・ツィオルコフスキー

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/05/21 15:07 UTC 版)

生涯

1857年9月17日(新暦では9月5日)、モスクワ南東に位置するリャザン州イジェフスクで、ポーランドの革命運動に携わった愛国者の父エドヴァルト・ツィオルコフスキー(Edward Tsiolkovsky)とヴォルガ・タタール人であった母マリア・ユマシェワ(Maria Yumasheva)の間に生まれた。父がポーランド人であったため本来のポーランド語で「Ciołkowski(ツィオウコフスキ)」であったが、ロシアで生まれたことからロシア風に「ツィオルコフスキー」と発音するようになった。

1867年、10歳の時に猩紅熱に罹り、難聴を患うことになる。1870年、13歳の頃に母のマリアが他界。家計が苦しかったり、難聴であったことから小学校中学校へは通わなかった。しかしツィオルコフスキーは自身の障害を生涯に渡って苦に思うことはなく、前向きに考えたとされている。その証拠に初恋の女性に対して「私は偉大な人間だ」と言い放ったという逸話が残っている[11]

1873年、16歳の時にモスクワに出て図書館の蔵書を耽読する。この時、好物であった黒パンを齧りながら独学で数学や物理学、天文学を学んだというこぼれ話も残っている。1876年には数学の教師の資格を取得し、翌年の1877年からボロフスクや故郷のカルーガの中学校で教鞭を執った[4][5]。教師として働く傍ら、『月の上で』(1893年)や『地球と宇宙に関する幻想』(1895年)などのエッセイを書いた[10]

ツィオルコフスキーは自宅の地下室を実験室にして圧縮ガスを使った噴射実験など様々な実験を行い[4][5]、度々モスクワやサンクトペテルブルクの学会へ論文を送ったが、あまり相手にされなかった[8]。なお同国の化学者ドミトリ・メンデレーエフはツィオルコフスキーの業績を評価していたが「この理論(気体の理論)は昔に提唱されている」と返答し、必ずしも絶賛していたわけではなかった[11]

1897年に「噴射ガスの速度が大きく、ロケット点火時と燃焼終了時の質量比が大きい程、より大きな速度を得られる」という「ツィオルコフスキーの公式」を発表。液体燃料固体燃料に比べて遥かに大きな排気速度を出せることを示したのであった。

1903年にツィオルコフスキーの独自のロケット理論を纏めた代表的な論文である『反作用利用装置による宇宙探検(Исследование мировых пространств реактивными приборами)』を完成させる。これは同年に科学雑誌『モスクワ科学評論』にも掲載され、この中で宇宙旅行や軌道エレベータの可能性や液体水素液体酸素を燃料とする流線型のロケットの設計図を発表した[12]。またこの論文の章の題名にもなっている「今日の不可能は、明日可能になる(What is impossible today will become possible tomorrow[13])」は、ツィオルコフスキーの先端技術に対する姿勢を表す言葉として有名である。

ツィオルコフスキーの名言として知られる「地球は人類のゆりかごである。しかし人類はゆりかごにいつまでも留まっていないだろう(Планета есть колыбель разума, но нельзя вечно жить в колыбели)」は、1911年に知人に出した手紙の中に含まれており、後に名言として広まるようになった。

帝政ロシア時代は不遇な扱いを受けていたツィオルコフスキーだが、1917年に起きたロシア革命を機に評価されるようになった。1919年にはソビエト社会主義共和国連邦科学アカデミーの会員となり、ソビエト連邦共産党政府の下でロケット研究に専念した。

1935年9月19日に満78歳で死亡。国葬が執り行われた。死ぬ直前はブースターの可能性を論じていたとされる。


  1. ^ a b コンスタンティン・ツィオルコフスキー」や「コンスタンチン・チオルコフスキー」、「コンスタンティン・チオルコフスキー」などの表記揺れが多数あるが、本記事では「コンスタンチン・ツィオルコフスキー」で統一する。
  2. ^ a b ツィオルコフスキー自身は「多段式ロケット」を「ロケット列車」と呼んでいた。
  3. ^ a b 原題は『月面(На Луне)』。日本では翻訳家の早川光雄によって『月世界到着!』として訳され、1960年に朋文堂から刊行された。
  4. ^ a b c 新羅 1967, p. 375.
  5. ^ a b c 新羅 1975, p. 442.
  6. ^ Aeronautics Learning Laboratory for Science Technology, and Research (ALLSTAR) Network、2016年9月9日閲覧。
  7. ^ コンスタンチン・ツィオルコフスキー - 宇宙情報センター - JAXA、2016年9月9日閲覧。
  8. ^ a b c d e 山崎 1973, p. 391.
  9. ^ 原色学習図解百科 1970, p. 396.
  10. ^ a b 福島 1983, p. 186.
  11. ^ a b ツィオルコフスキー - ロシアNOW、2016年9月9日閲覧。
  12. ^ 藤村 1971, p. 449.
  13. ^ Full text of "Study of outer space by reaction devices"





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