コロムビア・トップ エピソード

コロムビア・トップ

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/05/31 17:37 UTC 版)

エピソード

  • 1994年3月に当時の細川護煕首相と会食した際、首相が「もう辞めたい」とこぼした事を報道陣に暴露し騒然となる。細川は一ヶ月後退陣に追い込まれた。
  • 一度テレビ番組の企画で同じ政治家の浜田幸一と「コロムビア・トップ・ラスト」で漫才をやった事がある。また、晩年は内海桂子と共に漫才を行うこともあった。
  • 1990年の夏、笑点に出演した時のこと。大喜利の第3問で「田舎にいる母親(司会者)が、息子(大喜利メンバー)へ『お前、帰って来なさいよ』と言うので、答を返す」というお題が出た。このお題に林家こん平が「お母さん。政治家というのはね、夏休みを返上して国民のために働くのが本当の務めなんだよ。笑点に出て、漫談なんかやってちゃ駄目なんだよ」と答えたところ、舞台の袖にいたコロムビア・トップが鬼の形相で飛び出して来た。トップは一拍の間を置いた後、こん平を突き飛ばし、座布団を全部取り上げて下がった。大喜利への乱入という前代未聞の椿事に場内は大爆笑。当時の司会者だった五代目三遊亭圓楽は「よく言った!!こん平さんに座布団5枚!!」と言って締めた。
  • 1990年11月21日に日本コロムビア版の日本語吹き替えとしてビデオで発売された『早射ちマック 昇天ビスケット/他』では、コロムビア・トップがナレーション役を演じた。

  1. ^ a b c d e f g h i j "コロムビア・トップ". 日外アソシエーツ「新撰 芸能人物事典 明治~平成」(2010年刊). コトバンクより2022年6月13日閲覧
  2. ^ a b c コロムビア・トップの解説”. goo人名事典. 2022年1月14日閲覧。
  3. ^ a b c d e f コロムビア・トップ・ライト”. www.manzaikyokai.org. 一般社団法人 漫才協会. 2022年6月13日閲覧。
  4. ^ 「95年秋の叙勲 勲一等・勲二等」『読売新聞』1995年11月3日朝刊


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