グアダレーテ河畔の戦い
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/05/24 21:03 UTC 版)
その後
西ゴート軍を破ったウマイヤ朝軍は、西ゴート王国の首都トレドを陥落させ、多くの西ゴート貴族を処刑した。ムーサーは1万8千のウマイヤ朝軍と共にイベリア半島に上陸し、ムスリム勢力は716年までに半島のほとんどを征服した。西ゴート王国は急速に崩壊し、一部の残党が抵抗を続けたが718年に滅亡した。同年、西ゴート王国の貴族ペラーヨはイベリア半島北西部に逃れて現地のアストゥリアス人勢力と結び、アストゥリアス王国を建国。この年がキリスト教徒によるレコンキスタ(国土回復運動)の始まりとする説もある。
伝説
ロデリックとグアダレーテ河畔の戦いを巡る伝承として有名なのが、セウタ総督ユリアヌスの娘の伝説である。セウタを守る西ゴート貴族ユリアヌス(スペイン語名はフリアン)には娘のフロリンダがおり、当時のしきたりに従い、教育と花婿探しのために首都トレドの宮廷に送っていた。ロデリックは彼女の美しさに目をつけ、彼女を無理やり陵辱した。ユリアヌスはこれに憤激し、復讐のためにムスリム軍を呼び込んで西ゴート王国を攻撃させようとした。ターリクはこの誘いに乗り、ユリアヌスは多数所有していた商船にターリクの軍勢を乗せてジブラルタル海峡を渡したという。
この伝説は、ウォルター・スコットの『ドン・ロデリックの幻想』(1811年)、ウォルター・サヴェイジ・ランドーの『フリアン伯爵』(1812年)、ロバート・サウジーの『ゴート族最後の王ロデリック』(1814年)など、後世の文学的題材になった。また、ヘンデルの『ロドリーゴ』、アルベルト・ヒナステラの『ドン・ロドリーゴ』など、オペラのモチーフにもなった。
脚注
関連項目
- ^ Norman Roth, Jewish Social Studies (Spring 1976), The Jews and the Muslim Conquest of Spain (Indiana University Press), Vol. 38, No. 2 pp. 145-158
- ^ Bernard F. Reilly (1993), The Medieval Spains (Cambridge: Cambridge University Press), 49–50.
- ^ Roger Collins (1986), The Basques (Londong: Blackwell Publishing), 97. The most specific accounts place Roderic in the vicinity of Pamplona (Shaw, 223).
- ^ E. A. Thompson (1969), The Goths in Spain (Oxford: Clarendon Press), 250–51.
- ^ Glick, 32, notes that an army of 10–15,000 would have required more than three months to ferry across the straits, thus explaining the delay between Ṭāriq's reported landing and his march north in the traditional accounts.
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