オルグ (社会運動) 概要

オルグ (社会運動)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/03/29 16:54 UTC 版)

概要

1960年代から1970年代にかけては、左翼各党派は比較的容易に構成員を獲得することができた。そのため、時間をかけてじっくりと構成員を獲得していくノウハウが各党派間で編み出されていった。平野悠は中央大学に通っていたが、当時の中央大学は過激な学生運動家・複数の派閥の新左翼団体が多数入り乱れていたことで有名だった。彼は高卒直後であったこともあり、大学生入学初期に新左翼団体のオルグを受けて加入している。最初は日本革命的共産主義者同盟革命的マルクス主義派(革マル派)に入ったが、「性に合わなかった」として辞めている。そして、日本革命的共産主義者同盟(第四インターナショナル日本支部)に入った。更には、四トロ時代に学費闘争、「権力との戦い」に参加し、最終的にブント(共産主義者同盟)に入った[6]。ところが1972年にあさま山荘事件とその犯人逮捕から発覚した山岳ベース事件連合赤軍の総括に代表される残虐性や内ゲバが国民全体へ広く知られたことにより、新左翼のイメージは大暴落して新規構成員の獲得どころか組織の維持すら劇的に困難になった。前述の平野も内ゲバで左翼そのものに失望し、学生運動自体をやめている[6]

三里塚闘争(成田闘争)においても中核派など新左翼が空港反対派の農民に対して無償奉仕することで地権者組織に取り込み、構成員や賛同者に仕立てていくオルグ活動をしていた。当初の地権者の大多数が補償地や金を受け取って行く中で、反体制活動や闘争がしたいだけの新左翼の介入のために問題の長期化、主に成田空港建設側に複数の死傷者を出す結果に繋がった[7]


注釈

  1. ^ 特に大学キャンパス内で勧誘活動をするカルト団体の勧誘批判に使われている。

出典

  1. ^ a b 日本大百科全書(ニッポニカ)、デジタル大辞泉、精選版、日本国語大辞典、世界大百科事典内の言及. “オルグ”. コトバンク. 株式会社DIGITALIO. 2023年3月30日閲覧。
  2. ^ a b ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典、精選版 日本国語大辞典、デジタル大辞泉、世界大百科事典 第2版、世界大百科事典内の言及. “オルガナイザー”. コトバンク. 株式会社DIGITALIO. 2023年3月30日閲覧。
  3. ^ 黒井文太郎 (2019年4月24日). “スリランカ連続テロ 地元グループをIS(イスラム国)がオルグか?”. 個人 - Yahoo!ニュース. Yahoo Japan. 2023年3月30日閲覧。
  4. ^ 戦後70年~沖縄(4)】祖国復帰(下) オルグされた教師たち「僕たちは労働者…」 主婦らが政府動かす「私たちこそ沖縄代表!」”. 産経ニュース. 産経新聞社 (2015年6月27日). 2023年3月30日閲覧。
  5. ^ 【法廷から】「日本赤軍に入るつもりなかった」と語った城崎勉被告の真意とは? 「革命用語」飛び交い法廷はまるで歴史教室に…”. 産経ニュース. 産経新聞社 (2016年11月3日). 2023年3月30日閲覧。
  6. ^ a b 村田らむ (2017年8月17日). “トークライブを編み出した元左翼の波瀾曲折”. 東洋経済オンライン. 東洋経済新報社. 2023年3月30日閲覧。
  7. ^ 公安調査庁 編『成田闘争の概要』1993年4月、pp. 1,7-13


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