オリエンタリズム (サイード)
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/04/08 17:09 UTC 版)
内容
オリエンタリズムの定義
サイードは、オリエンタリズムという語に複数の意味を与え、それらは相互依存関係にあるとした。主な意味あいとして、次の3つをあげている。1.学問に関係する意味 2.東洋と西洋とされるものの間に設けられた区分 3.オリエントを支配し再構成し威圧するための西洋の様式
オリエンタリズムの本質を見極める上で、ミシェル・フーコーが用いた言説(ディスクール)の概念が有効だとしている。学術的な言説が帝国的制度と結びつくことを、サイードはナポレオン・ボナパルトのエジプト遠征から現代のアメリカにおける制度化までを例に論じる。
- 戦略的位置選定によるオリエンタリズム
戦略的位置選定とは、著述家が東洋を取り上げた場合に、著述家自身がテクストの中でいかなる位置を占めているかを記述する手法。オリエンタリズムには空間的、現象的、歴史的な多義性があるが、これらの多義性は、著述家が東洋を外在的なものとして語る点で共通しているとする。
- 戦略的編成によるオリエンタリズム
戦略的編成とは、テクストが文化の中で参照能力を増してゆく過程と、テクスト本体との関係を分析する手法。西洋におけるオリエントの社会や文化に対する見解には、後進性についての無意識的な確信があると指摘した。さらに、西洋列強のオリエンタリズムに基づいた学問的・実践的な知識が、権力と密接に関連しながら東洋に対する西洋の支配関係をもたらしていると論じた。
各章の内容
- 第1章 オリエンタリズムの領域
歴史と経験、および哲学的主題と歴史的主題の観点から、オリエンタリズムの範囲を定める。オリエンタリズムが中東とヨーロッパの間に設定されたきっかけとして、ナポレオンのエジプト遠征による『エジプト誌』の誕生をあげ、これがその後の関係に影響を与え続けたとする。そして、ヨーロッパがイスラームに対して自己完結的かつ反経験的で誤解のあるイメージを作り上げた歴史がすでにあったと指摘し、同様の姿勢がオリエンタリズムにもあることを見る。イスラームへの誤解の例として、バルテルミー・デルブロの『東洋全書』や、ダンテの『神曲』におけるムスリムの扱いをあげる。
ここでサイードはアヌワル・アブデル=マレク、R・W・サザーン、ノーマン・ダニエル(Norman Daniel) の研究を肯定的に評価している。また、オリエンタリストを指して、ヴィーコの『新しい学』にある「学者のうぬぼれ」を引いている。
- 第2章 オリエンタリズムの構成と再構成
作家、芸術家、学者たちの著作を見ながら、オリエンタリズムの発展を追う。この章では、次のような人物が論じられている。初期の学問的な定義を行なったシルヴェストル・ド・サシとエルネスト・ルナン。セム語族を後進的と見なしたフリードリヒ・シュレーゲル。オリエントを旅行する際の基準となる著作を書いたエドワード・レインとシャトーブリアン。帝国主義的な紀行を著したラマルティーヌ。『アラビアン・ナイト』を翻訳したリチャード・バートン。オリエント訪問を個人的・審美的に利用しえた作家であるネルヴァルとフローベールなどである。フローベールについては、『ブヴァールとペキュシェ』に見られるように、オリエンタリストを相対化するような視点を持っていたとも論じている。
- 第3章 今日のオリエンタリズム
1870年代のヨーロッパの植民地拡大期から、1970年代のアメリカ主導によるオリエンタリズムまでを論じる。差別的な学説がオリエンタリズムと結びついて植民地支配を正当化したとして、その例にゴビノー、キュヴィエ、ロバート・ノックスらの人種差別思想、ハックスレーらの亜流ダーウィニズム、ランケやシュペングラーのイスラーム観などをあげる。また、イギリスとフランスがオリエンタリズムを主導した時代の人物として、次のような名をあげる。植民地における白人の歩む道を書いたキプリング。アラブの反乱に自己イメージを投影したロレンス。20世紀にオリエンタリズムを包括する著作を生み出したハミルトン・ギブとルイ・マシニョン。
第二次世界大戦とアラブ・イスラエル戦争以降、アメリカによるオリエンタリズムが隆盛をとげ、中でもアラブ・イスラーム研究の分野で著しいとする。その例として、初期のオリエンタリストと同じイスラーム観を説いたグスタフ・E・フォン・グルーネバウムや、イスラームが変化しないと論じたバーナード・ルイスをあげる。そして、オリエンタリズムがアメリカの影響でアラブに拡大し、自らをオリエント化している状況にも触れる。
ここでサイードは、エーリヒ・アウエルバッハ、E・ロジャー・オーウェン、クリフォード・ギアツ、ジャック・ベルク、マクシム・ロダンソン、ジャック・ワールデンブルクの研究を肯定的に評価している。
- 第4章 オリエンタリズム再考
初版の発表後の反響をもとにサイードが書いた論考。
日本語訳の内容
日本語訳では、サイードが原著の刊行後に執筆した論考が第4章として収録された。平凡社ライブラリー版では、「『オリエンタリズム』の波紋」と題して、出版後の反響について述べられている。
平凡社ライブラリー版のカバー画には、ドラクロワの『アルジェの女たち』と、デオダンクの『モロッコの賑やかな街角』が用いられている。装幀は、1986年版が戸田ツトム、1994年版が中垣信夫。
- ^ エドワード・W・サイード『知識人とは何か』(大橋洋一訳)平凡社 1998年初版、2008年11刷 (平凡社ライブラリー 236)13-14頁。ISBN 978-4-582-76236-5.
- ^ サイード - 「オリエンタリズム」新版序文
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