ウッチャンナンチャン
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エピソード
コンビ名
「ウッチャンナンチャン」というコンビ名は、南原の思い付きから命名。デビュー当初は「ウッちゃんナンちゃん」表記だった(『森田一義アワー 笑っていいとも!』で発言)。まだコンビ名で迷っていた頃にお笑いスター誕生の収録時、番組スタッフへコンビ名を変更したい旨を告げると「もう『ウッチャンナンチャン』で作ったから(変更できない)」と断られ、そのまま定着してしまった。デビュー前は「ちょうなんず(2人とも長男だったため)」や「かんなビール(南原の家が大工、内村の家が酒店だったため)」、「気合い&楽しく(『ウリナリ』内で候補として内村が出してきたと南原が暴露)」などの候補も考えられていた。
1987年10月28日放送『ウッチャンナンチャンのオールナイトニッポン』では南原が持参してきたコンビ結成直後のネタ帳に2人が考えた芸名が書かれてあり、内村案の「信用金庫(非常階段に対抗)」「新撰組」「ハングリー」。南原案の「おてもやん(内村が熊本出身だったため)」「UN(ウン)」「NAU(ナウ)」「ニキビブラザーズ」「貧乏&貧相」「赤尾さんの犬達」「おあいこポン」「WA・HA・HA・HA・HA」「てる坊&きよ坊」が候補に挙げられていた。
母校の日本映画学校に2人とも講師として赴いた際、当時俳優科の生徒だった狩野英孝に「なぜナンチャンウッチャンではなくウッチャンナンチャンなんですか?」と尋ねられ、南原は「あいうえお順です」と答えた。
その他
- 直接の師弟関係に当たる、所謂「師匠」がいるわけではないが内海桂子・好江は、2人の師匠的な存在。好江からは「何があっても仕事に穴を開けるな」と教えられていたが、好江の葬儀には2人とも仕事の合間を縫って駆け付けた。
- 専門学校時代に2人が仲良くなったきっかけは互いに大林宣彦の映画が好きということで、これが後のコンビ結成に繋がる[11]。『気分は上々。』の第1回では2人の原点の再発見という内容で、大林映画の舞台である尾道への2人旅の模様を放送した[12]。
- 同じ『気分は上々。』内のタイムカプセルを埋めようという企画で、2人が1年後の自分と相方へのビデオレターを撮って1年後にタイムカプセルが掘り起こされるはずだったものの、埋めた場所が更地と化したことで掘り起こせなかった(お互い何を託したのか永遠の謎となってしまう)。
- 専門学校時代は内村は南原を「南原」、南原は内村を「ウッチャン」と呼んでいたがコンビを組む以上立場は対等だと考えた南原は「内村」と呼ぶよう改めた。
- 同じお笑い第三世代であるとんねるずとは、『オールナイトフジ』『夕やけニャンニャン』といった番組で同じレギュラーとして一時期共演していた。
- 『夢で逢えたら』で共演し、ほぼ同期にあたるダウンタウン(ただしダウンタウンは1982年デビューのため先輩)とは、松本人志曰く「戦友」及び「同じ釜の飯を食った仲」と呼ばれる関係。松本曰く「ウンナンが売れて嬉しいことはないが、かといって売れなくなるのは嫌」と語っている。さらに、内村もダウンタウンを「戦友」と語っている。
- デビュー当時は内村が(人見知りで)フリートーク等が苦手であったため、南原が率先して前へ出ることが多かった。そのため、内村は「ウッチャンナンチャンが売れたのは南原のおかげ」と発言している[13]。なお、内村は(デビュー当時の)自分達と似たような関係性のあるコンビの例としてオードリーを挙げている[注 6]。また、勝俣州和も「世間では内Pなどの影響で『ウッチャン=プロデューサー』というイメージかもしれないが、ウッチャンナンチャンの本当のプロデューサーはナンチャン。ウッチャンが今でもテレビの中でプレイヤーとしていられるのはナンチャンのおかげ」と語っている[2](pp68-72)。
- 解散はしていないが、現在はコンビとしての共演はほとんど無く、2人とも「お互いの電話番号を知らない」(当時)、「楽屋は別じゃないと嫌」などと語るため一部では不仲説も流れているが、2人は「本当に仲が悪かったらとっくに解散してる」と否定しており、お互いの出演番組などは常にチェックし、トークライブではお互いに感想を述べたりしている。また、南原の携帯電話に(電話番号を知らないはずの)内村から直接電話がかかってきた際には「(長女が生まれる時期の)嫁さんに緊急事態が起きて相方である俺に連絡してきたと思った。(直後に始まる)生放送をドタキャンしてでも駆けつけるつもりだった」と語っている。なお、内村が電話をかけたのは「松ちゃんが結婚するんだって!」と伝えるためで、番号はマネージャーに教えてもらったという[14]。2019年10月6日放送のスペシャル番組『日テレ系人気番組No.1決定戦』にて共演した際は内村が「南原におやすみのLINEスタンプを送った」と発言しており、現在は連絡先を双方が知っている状態である[15]。
- デビューした年(1984年)は持ちネタが少なく、夏祭りの営業で30分間のステージのうちの最後の5分間の尺が余ったため、サザンオールスターズの「ミス・ブランニュー・デイ」をものまねもせず普通に歌って乗り切った逸話が存在する[16]。
注釈
- ^ 『ウッチャンナンチャンのオールナイトニッポン』の企画でリスナーに配布した「裏カセット2」に、この当時の漫才が収録されている。なお、司会者からは「ナンチャンウッチャンのおあずけブラザーズ」と紹介されており、名前の並びが現在と逆だった。
- ^ そのため、金曜日に東京ドームの巨人戦が組まれていた場合は巨人戦を優先し番組を休止していたが、消化試合の際は番組を優先した。
- ^ 2022年のコンビでのテレビ出演は、12月8日放送の『あなたは知ってる?知らない? 超レア映像遺産ショー〜日本テレビ70年の映像から大捜索!』(日本テレビ系列)での司会が唯一だった[4]。
- ^ M-1グランプリの審査員は漫才だけでなく、コントや落語をメインに活躍した人物も選出されている(例:ラサール石井、大竹まこと、春風亭小朝など)。
- ^ 例として「ファミリーレストラン」のウェイター編では「内村がツッコミ、南原がボケ」であるが、ウェイトレス編では「内村がボケ、南原がツッコミ」になる。また、地下鉄のネタのように「ダブルボケ・ダブルツッコミ」の場合もある(「笑う犬の冒険」内のコント「ハチ」での内村の発言より)
- ^ ただし、南原は全面に出て仕切ってくれるが、春日は「トゥース!」と立っているだけと評している。
- ^ 当初は2011年3月11日に放送予定だったが、東日本大震災に伴う『NNN緊急特番 宮城・茨城沖大地震』のため、放送延期となっていた。
出典
- ^ 『コントに捧げた内村光良の怒り』コアマガジン、2015年、18-20頁。ISBN 978-4-86436-794-3。
- ^ a b c d e 『Quick Japan』 88巻、太田出版、2010年。ISBN 978-4-7783-1207-7。
- ^ a b 僕の「日本人の笑い」再発見 狂言でござる ボケとツッコミには600年の歴史があった(祥伝社、2010年)
- ^ “ウッチャンナンチャン「今年、最初で最後」の共演にネット騒然「ダウンタウンよりレア」”. 東スポWeb. (2022年12月8日) 2022年12月14日閲覧。
- ^ a b 集英社「週刊プレイボーイ」2020年2月24日号No.8 157頁
- ^ 大阪ゲラゲラ学会編『もうひとつの上方演芸』、たちばな出版、1997。
- ^ 『ブラマヨとゆかいな仲間たち アツアツっ!』(2013年4月20日放送、テレビ朝日)
- ^ “ウンナンはお笑いの“共通ワード”を2つも生み出していた”. 日刊ゲンダイDIGITAL (株式会社日刊現代). (2021年3月16日) 2021年3月16日閲覧。
- ^ 『いろもん』(1998年、日本テレビ)出演時のトークより。
- ^ 内村さまぁ〜ず「潰しが効く男たち」にて発言。司会でも内村が右側にいた当初、しばらく「ナンチャン」と呼ばれていたとのこと。
- ^ 大林宣彦監督、峰岸徹さんの撮影エピソードを明かす ニュース-ORICON 、その日のまえに | WOWOWオンライン、大林宣彦監督「あの日のまえに」尾道上映舞台挨拶
- ^ ウンナンの気分は上々。 | Aniplex | アニプレックス オフィシャルサイト
- ^ 『内村さまぁ〜ず』♯135「ちょいと一杯ひっかけたい男達!!」より
- ^ ウッチャンナンチャン トークライブ「立ち話」より。
- ^ ウンナン久々の共演、LINEやり取りが話題 「実質解散説」ソロ活動が多かった事情とはリアルライブ 2019年10月19日配信 2020年12月4日閲覧
- ^ 内村光良「地方営業でサザンの曲を歌って30分もたせたことも」SmartFLASH 2018年8月5日配信 2023年11月16日閲覧
- ^ 「受け継がれゆく遺伝子 ウンナン内村光良の「終わらないコント愛」」株式会社サイゾー、2009年11月2日
- ^ いろもん(1998年)出演時のトークより
- ^ ぴあMOOK『内村光良ぴあ』(ぴあ株式会社、2016年)
- ^ “ウンナンはお笑いの“共通ワード”を2つも生み出していた”. 日刊ゲンダイDIGITAL] (株式会社日刊現代). (2021年3月16日) 2021年3月16日閲覧。
- ^ “南原清隆、内村光良に内緒で“サプライズ” “ドーベルマン南原”として熱演”. ORICON NEWS. 2023年10月28日閲覧。
- ^ “日本旅行の「赤い風船」 20年迎えさらに飛躍 新キャラはウッチャンナンチャン”. 交通新聞 (交通新聞社): p. 2. (1992年1月22日)
- ^ “ウッチャンナンチャン「20年ぶりくらい」CM共演で息ぴったり!“ウリナリ”メンバーとの週イチ焼肉の思い出話も披露(めざましmedia)”. Yahoo!ニュース. 2024年3月28日閲覧。
固有名詞の分類
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