ウォレス・ウィルキンソン 政歴

ウォレス・ウィルキンソン

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/10/16 00:34 UTC 版)

政歴

ウィルキンソンはワールド・コール・センターの計画を発表した後、レキシントン市政委員会の会合に顔を出すようになり、その財政上保守的な政治見解を提唱した[6]ロナルド・レーガンの賞賛者ではあったが、レーガンが自分のように民主党員であってくれたらと言っていた[6]。1979年民主党知事予備選挙では、テリー・マクブレイアーのジョン・Y・ブラウン・ジュニアに対抗する運動に関わるようになった[5]。1981年レキシントン市長選挙では、スコッティ・ベイスラーの重要な資金集め係だったが、レキシントンの実業家の多くはベイスラーの対抗馬を応援した[20]。1983年の民主党知事予備選挙では、ハーベイ・スローンの選挙陣営で財務部長を務めた[8]。スローンが現職副知事マーサ・レイン・コリンズとの接戦で落選すると、共和党候補のジム・バニングが、スローンと、ウィルキンソンを含めその支持者の支持を集めようとした[21]。しかし、ウィルキンソンは1か月間熟慮した後、民主党の選挙人名簿全体を支持した[22]。翌年、ウィルキンソンは元州知事ブラウンの短期間に終わった上院議員選挙を管理した[8]。1987年の州知事選挙に出馬する意思のあったウィルキンソンはブラウンを応援して上院議員にしておけば、州知事選挙の対抗馬の可能性を消すことが出来ると期待したが、ブラウンは健康上の理由で早期に撤退した[20]。ウィルキンソンは様々な選挙戦で働いたことを通じて、政治の分野で競うことを楽しむようになっていた[5]。州議会に働きかけて、銀行界者が州内の複数の銀行を所有できるようにする複数銀行保有会社法を通した[4]

1987年民主党予備選挙

1985年4月、ウィルキンソンは1987年知事選挙に先立って選挙委員会を結成した[23]。ウィルキンソンは州内で比較的知名度が低かったので、最初に出馬表明した候補者となった[23]。この予備選挙には、元州知事であるジョン・Y・ブラウン・ジュニアとジュリアン・キャロルの2人、現職副知事のスティーブ・ベッシャー(後に2007年と2011年の州知事選挙で2期連続当選した)、マーサ・レイン・コリンズ州知事の閣僚であるグラディ・スタンボを合わせ、5人が出馬した[5]。この選挙戦初期ではブラウンが有力候補であり、ウィルキンソンは最下位候補だった[24][25]。ウィルキンソンは私財で選挙戦を運営し、選挙参謀のダニー・ブリスコーが選挙コンサルタントを雇って、州の浮動票が大規模に集中する地域を攻めるよう提案した[5]。ウィルキンソンは何人か面接した後にジェイムズ・カービルという当時は無名の政治コンサルタントを雇った。カービルは後にビル・クリントン1992年大統領選挙を取り仕切って成功させた[4][5]

A・B・"ハッピー"・チャンドラー、その支持がウィルキンソンに勢いを与えた

予備選挙で第二位を走っていると見なされたベッシャーは、その選挙運動の多くを使ってブラウンを攻撃し、ブラウンは時間と資源の多くを使ってベッシャーの攻撃に反応した[26]。一方ウィルキンソンは政治の消息通として対抗馬全てを攻撃し、一方で貧乏の中から財政的成功者として立ち上がった自分を宣伝した[24]。現職知事マーサ・レイン・コリンズがトヨタ自動車組立工場を誘致するために提案した包括インセンティブを、ケンタッキー州を「国際的笑い者」にした州の「大きな過ちと恐ろしい取引」だと言った[25]。またブラウンとベッシャーは税を上げるであろうと主張し、自分は高い税金への代案として州営宝くじを提案して、州の金庫に年間7,000万ドルを入れると言った[26][24]。この提案は州北部で特に人気を上げた。そこの住人は隣接するオハイオ州に行って、州営宝くじを買うことが日常化していた[24]。ウィルキンソンはまた教育全体の改革を提案し、ケンタッキー州の子供達は「学習が問題ではなく、学校に問題があるのだ」と語った[27]。過去2期州知事を務めたA・B・"ハッピー"・チャンドラーがウィルキンソンの支持を表明してさらに選挙戦に拍車をつけた[4]

4月下旬、世論調査ではブラウンがまだ20%のリードを保っていた[25]。しかし、ベッシャーが世論調査で落ち始めていたので、ウィルキンソンは上昇傾向にあった[25]メモリアルデイ(5月の最終月曜日)週末までに、2位に上昇していた[24]。ブラウンは投票日の1週間前までほとんどウィルキンソンを無視していたが、ウィルキンソンが州営宝くじで上げると言っていた金額を問題にする広告を打つようになった[25]。開票の結果、ウィルキンソンが総投票数の36%を獲得し、26%のブラウン、18%のベッシャー、12%のスタンボ、6%のキャロルを破って公認指名を勝ち取った[25]。この予備選挙戦全体で、ウィルキンソンは記録破りの400万ドルを使っていた[24]。ケンタッキー州の歴史家トマス・D・クラークは、ウィルキンソンが選挙戦で惜しみなく金を使ったことで、議会が選挙費用改革法を採用することになったと言っている[4]

1987年州知事選挙

ケンタッキー州の有権者登録では民主党が共和党に対して3対1の勢力であり、ウィルキンソンは民主党予備選挙で負け犬になるところだったが、共和党候補、シェパーズビル出身の州下院議員ジョン・ハーパーに対してはかなり優勢だった[24]。共和党予備選挙に向けて準備していたラリー・フォージーが予備選挙前に予想外の撤退を行い、ほとんど無名で資金も無い候補者と言う著しい不利な状況に置かれていた[28]。ハーパーは本選挙のための運動を直ぐに始めたが、ウィルキンソンは資金集めを除いてほとんど公衆の前に姿を現さず、9月の第2週まで来ていた[29]。また現職のマーサ・レイン・コリンズ知事が1985年議会で導いた1億2,500万ドルに昇る教育改革法案の支持を拒否し、ケンタッキー州教育協会の支持を無くした[30]。この協会はハーパーを支持した。歴史上初めて共和党候補を支持したことになったが、副知事選挙では民主党候補のブレレトン・ジョーンズを支持した[31]

ハーパーはウィルキンソンの宝くじ提案を「不思議の国のアリス」経済だと言って攻撃した[24]。さらにハーパーの運動はウィルキンソンの事業に関連して多くの倫理的問題を取り上げた[32]。ウィルキンソンの義兄弟ゲイリー・スタッフォードはウォレスの書店社長を務めており、違法な盗聴と会社自家用車の走行距離計を巻き戻したことで有罪を言われていた[32]。この会社は追徴課税44,641ドルを言い渡されてもいた[32]。さらに共和党州議長のボブ・ゲイブルは、ウィルキンソンがイタリアの実業家がジャーニガン・イクスポート・ティンバーとの合法取引として不動産業者を装うことでイタリア通貨を輸出することを難しくしている法を回避することを助けたかどうかを問題にした[33]。ゲイブルは民間捜査員を雇用し、この虚偽操作がウィルキンソンの共同経営者ジェローム・ジャーニガンを深く巻き込んでいたことを疑う「実質的理由」があると判断した[32]。このゲイブルの申し立てや捜査で明らかになったことにも拘らず、レキシントン警察当局は捜査を再開するだけの理由が無いと語った[34]。ハーパーは選挙資金集めではかなり遅れをとっており、ウィルキンソンが800万ドルを集めたのに対し、僅か225,000ドルだった[35]。このために十分にメディアを活用して、ウィルキンソンに関する倫理的問題を有権者の心に植え付けることができなかった[28]。ウィルキンソンの運動もハーパーの個人生活を調べ上げ、強盗を働こうとして銃で撃たれて殺されたハーパーの息子に関する情報をメディアにこっそりと流させた[36]

本選挙ではウィルキンソン504,674 票対ハーパー 273,141 票で圧勝だった[8]。総投票数の65%を確保し、ジュリアン・キャロルが作った62.8%という記録を上回った[35]。投票率が低かったためにケンタッキー州知事選挙での最高得票にはならなかった。また副知事に当選した民主党候補ブレレトン・ジョーンズと比べても数千票少なかった[35]。ケンタッキー州120郡では115郡を制し、キャロルの99郡という記録を破ったが、居住郡のファイエット郡では破れた[35]。選挙後にルイビルのテレビ局が行った世論調査では、有権者の76%が他に候補者が居ればと考えたとのことだった[28]

1988年州議会

ウィルキンソンは公式に知事に就任する前から、その公的な発言が州議会との関係を悪くするものになっていた。当選の2日後、その政策について議会の承認を得るために知事の「フルパワー」を行使するつもりであり、より良い未来のためにケンタッキー州民で作る政治行動委員会を使って、彼に反対する議員を破るために貢献させるという状況の認識を、記者に語っていた[37]。議会はブラウン知事やコリンズ知事の下で次第に知事とは独立するようになっており、「レキシントン・ヘラルド・リーダー」の記者は下院議長のドン・ブランドフォードと上院議長代行のジョン・"エック"・ローズが、最高行政官に権限を戻すことを躊躇するという意見だった[37]。1988年州議会で、ローズは政治行動委員会が個人の1つの選挙に寄付できる金額の上限を4,000ドルとし、委員会には個人が献金できる上限を2,000ドルとする法案を提案した[38]。1か月後、ウィルキンソンは「言い方を誤った」のであり、政治行動委員会は宝くじ修正を通すために使うと意図しただけだと訂正した[39]。知事の約束があったものの、議会はローズの法案を成立させた[38]

ウィルキンソンと副知事に選ばれたジョーンズは当選後間もなく、緊張関係が持ち上がった[40]。選挙戦中、ジョーンズはマスコミとよりオープンになることについてウィルソンと話をしたと言い、もし当選すれば、ウィルキンソンに対する「イエスマン」にはならないと言ったと報道された[40]。選挙直後の記者会見で、ウィルキンソンは自分の政権でジョーンズがどんな役割を果たすか分からないと発言し、その役割の多くはウィルキンソンの立場全てに合意できないとジョーンズが言ったときに意味したことに依存すると語った[40]。1987年11月下旬、ウィルキンソンは、ジョーンズが政権の農業政策を推進する先頭を切ると発表した[41]。「レキシントン・ヘラルド・リーダー」はこれは政権におけるジョーンズの主要な役割ではなくて、他の具体的役割は与えられていないと報告した[41]

ケンタッキー州憲法で州営宝くじを禁止する条項を外す修正提案は、1970年代半ばから会期毎に提案されてきたが、ウィルキンソンの当選で新たな動機付けとなり、州議会は1988年会期で必要とされる多数で修正提案を通した[42][43]。ウィルキンソンの任期中に成立した別の修正条項は、露天掘りをある土地で始める前に土地所有者の承認を必要とすることだった[43]。この修正は実質的に1956年裁判所裁定を覆すものであり、土地の所有者が採掘権を売りながら、地上の構造物の所有権とその他改良の権利を保持することを認める幅広い形態の権利譲渡証書を発行する慣習を否定するものだった[43]。ウィルキンソンが提案した3つ目の修正条項は、選挙で選ばれる州の役人が続けて選ばれるようにするものだった[8]。州知事選挙中に、そのような修正ができても自分への適用は求めないと主張していたが、当選から間もなく、修正条項の中身を変えて、現職を排除しないことにした[44]。この修正は1988年議会でウィルキンソンの最優先事項の1つとなり、それに反対する議員には脅しを掛けた[44]。議員達は任期継続修正条項に、行政府と立法府の力のバランスを保つために、州議会議員の任期を長くすることも含めるよう提案した。ウィルキンソンは、州議会が「クリーンな」任期継続修正条項、すなわちこの修正が有権者によって承認される可能性を損なう可能性のある他の規定とは無縁なものとするよう固執した[44]。州議会下院は修正条項を通したが、上院は修正圧力をかけ続け、毎年議会を開催することと、知事予備選挙でだれも過半数に達しない場合は決選投票を行うことを義務化することを提案した[44]。ウィルキンソンがどちらの提案も拒否すると、上院指導者達は審議に掛けることも拒んだ[44]。ウィルキンソンが選挙中再選を求めないと公約していたのを逆転させたのもその評判を傷つけた[4]

ウィルキンソンが修正条項を提唱したことで、既に1991年の州知事選挙に出馬する意向を表明していたジョーンズ副知事との関係がさらに悪くなった[45]。会期終了後に、ジョーンズはオーエンズボロの大衆に向かって、ウィルキンソンがその教育政策を通すことに固執して特別会期を招集するならば、州議会はおそらく「それを彼の顔に投げ返す」だろうと語った[45]。これに対してウィルキンソンはジョーンズが「過程を変えることに関わるべきであり、何事にも否定的であるべきではない」と言った[45]。「レキシントン・ヘラルド・リーダー」の社説は政権におけるジョーンズの役割に関する記者会見の約束がまだ果たされておらず、「大半の観測者はそれが開かれることはないだろうと考えている」と述べた[45]。二人の関係はその任期を通じて歪んだままであり続けた。ジョーンズはのちにそれを「恐ろしいこと」と語っていた[46]

ケンタッキー州営宝くじの創設

南部バプテスト連盟とユナイテッド・メソジスト教会の指導者達がウィルキンソン政権の修正条項に対する反対運動を行い、州営宝くじに対する反対連合を活動させた[42]。この反対運動にも拘らず、ケンタッキー州民は宝くじ修正条項を1988年11月の住民投票で、賛成694,577 票、反対 446,937 票で可決した[47]。住民投票の後、ウィルキンソンは11月28日に始まる特別会期を招集し、宝くじを実行するための法案を成立させるという声明書に署名した[48]。この招集書はウィルキンソンの宝くじ委員会の推薦に基づく法案を議会が審議するよう求めていた[48]。その推薦には宝くじ理事会の創設と、その理事長と理事は知事が指名し、知事のみが罷免できること、初年の利益を初等教育の計画、高齢者のための計画、さらにはベトナム戦争退役兵の1回きりのボーナスのために均等に割り当てることが含まれていた[48]。議員達は宝くじに関して議会による支配力を強めることに固執し、利益をはっきりと割り当てるのを好まず1990年議会に取っておくことを支持した[48]。また宝くじ理事会が情報公開法の適用を免れるとするのに反対した[48]

会期が招集された直後に、州議会両院の民主党指導者が、宝くじ基金の割当を支持せず、1990年会期までエスクローに蓄積させるつもりだと宣言した[47]。12月14日、議会は8人の理事による宝くじ理事会を創設し、州知事が指名し他の7人の理事が確認する理事長が主宰するという法案を通して休会になった[49]。理事会の7人の理事は半数を定期的に改選し、知事が指名し、上院が確認することとされた[49]。議会は利益を1990年議会まで蓄積し、その利益の最初の使途はベトナム戦争退役兵の1回きりのボーナスに充てることとした[47]。両院の採決では、上院で32票対5票、下院で92票対6票で可決された[49]。共和党のデイビッド・L・ウィリアムズが提案した各郡が宝くじを販売するか否かを決められる地方オプションなど幾つかの修正は、党の勢力通りの票決で否決された[49]。議会は宝くじに関するウィルキンソンの提案全てを実行しなかったが、それでも「大変良い法だ」と賞賛した[49]

教育改革

マーサ・レイン・コリンズ、ケンタッキー州の教育制度を改革するための法廷訴訟は前任者コリンズの任期中に始まった

1988年5月31日、フランクリン郡巡回裁判所判事レイ・コーンズが「より良い教育委員会対コリンズ他事件」の判決で、「ケンタッキー州の教育予算の体系は違憲である」と判断した[50]。この訴訟はウィルキンソンの前任者マーサ・レイン・コリンズおよび州政府のメンバー数人に対してなされたものであり、一群の貧しい教育学区が州内全ての教育学区の予算割当を平等化することを求めたものだった。ウィルキンソンは教育推進者であり、コーンズの判断に対してケンタッキー州最高裁判所に控訴されたときも、知事職の弁護を止め、原告側に加わった[51]。控訴審では、ケンタッキー州の公共教育体系全体が違憲であり、議会がそれを改革することを義務づけた[8]

州議会は公共教育体系の改革はあまりに大きな問題なので、60日間の通常議会で扱いきれないと判断し、ウィルキンソンにこの問題の検討を行うための特別会期を1990年6月に召集するよう求めたが、ウィルキンソンは通常会期のみで解決することに固執し、特別会期を召集しなければならないのであれば、教育体系の改良資金として増税の検討を認めないと言った[52]。ウィルキンソンはタバコや法人に対する増税と、法律、設計、広告サービスに対する消費税免除の取り下げを含む予算案を議会に提出した[53]。議会はその代わりに消費税を6%に上げる手段を好んだ[8]。会期の大半で、ウィルキンソンは一貫して消費税増税に反対し、それを「死んだ問題」だと言い、成立しても拒否権を使うと脅した[54]。1990年3月9日、ウィルキンソンは選挙戦中に約束していた道路改良資金に、6億ドルの債券発行を議会が認めることと引替えに、税制に対する反対を取り下げると発表した[8][54]。「レキシントン・ヘラルド・リーダー」はこの動きを「驚くべき逆転」と呼び、ウィルキンソンが考えを変えたことについて理由を説明しないと記した[54]。議会とウィルキンソンの間の行き詰まりが解消され、下院議長ドン・ブランドフォードが、会期の残り期間は州予算の承認と、裁判所に義務づけられた教育改革に集中すると発表した。まだ委員会審議段階の法案は採決まで行くことはないと語った[55]。1990年4月11日、議会は州最高裁判所判決に伴うケンタッキー州教育改革法案を成立させた[56]。教育のための予算を増加させることに加えて、成果の上がる手段を義務づけ、学校はそれに見合う責任があるとした[27]。教育者達は、この改革法が国内でも最良の教育改革計画であるとして議会に賞賛を贈った[8]

ケンタッキー州教育改革法が成立した後であっても、ウィルキンソンと議会の意見の不一致が続いた。道路建設のための6億ドル債券発行は、ウィルキンソンが消費税増税を支持することとの引替えであり、どこに道路を建設するか議会が決定できるという条項を加えるよう修正された[57]。ウィルキンソンはこの法案に拒否権を使うと脅し、債券発行には議会の承認を必要としないと主張したが、最終的に自分の署名無しに法制化させる道を選んだ[57]。ウィルキンソンは議会が通した21の法案に拒否権を使ったが、そのうち13件は覆された。近代の単一会期で、知事の拒否権が覆された数としては最大である[58]。覆された法案の多くは、行政府に対して立法府の権限を強化するための法案だった[58]。議会は同様に行政府に対して立法府の権限を強化するための憲法修正案2件を通過させて有権者の批准を求めた[59]。1つは議会自体が会期を招集する権限を与えられるものであり、憲法では知事に認められた権限だった。これには両院議員の3分の2が請願書に署名するという条件がついた[59]。もう1つは議会の委員会が次の通常会期が再招集されるまで、会期の間に行政府による法制化を差し止めておくことを可能にするものだった[59]。ウィルキンソンはその政治活動委員会を通じてその両案に反対しており、どちらも1990年11月の住民投票で否決された[59][60]

ケンタッキー州教育改革法の成立にいたる政治的議論と行動は、ウィルキンソンとジョーンズ副知事の関係を恒久的に破綻させることにもなった。フランクフォートで教員集会があったとき、ウィルキンソンが支持しているよりもさらに多くの教育資金を要求する教師達にジョーンズは同調した[46]。ジョーンズはケンタッキー州会議事堂の外に集まった大衆に対して話しかけることを望んだ[46]。ウィルキンソンは知事である間にジョーンズに対して、大衆に向かって演説するならば、「この事務所に二度と足を踏み入れてはならない」と伝えていた[46]。ジョーンズは教師達に話しかけることでウィルキンソンに抵抗し、ジョーンズの大衆向け新聞編集者ペニー・ミラーに拠れば、その後二度とウィルキンソンの事務所に入ることはなかったとのことである[46]

ウィルキンソン政権のその他の事項

ウィルキンソンは州内の経済開発も提唱した。その任期中に、デルタ航空シンシナティ・ノーザンケンタッキー国際空港(ケンタッキー州内にある)で雇用する人員の数を2倍にした。ウィルキンソンは同社のジェット燃料消費税負担額を年額400万ドルに制限することに合意することで、拡大を確保した[61]。さらにスコット製紙会社がオーエンズボロ近くに工場を開設し、スペインが所有する製鉄会社ノースアメリカン・ステンレスがキャロルトン近くに工場立地を決めた[27]。ウィルキンソンはその任期中に州間教育委員会、南部成長政策委員会、州政府委員会、南部州エネルギー委員会の委員を務めた[7]。1990年の南部知事会議では議長に選ばれ、州間教育委員会の政策優先事項委員会では委員を務めた[7][62]

ウィルキンソン政権は倫理的問題で躓き、閣僚数人の告発まで進んだ。ウィルキンソンは知事に当選する前にケンタッキー州検事総長に、フランクフォートのホリデーイン・キャピタル・プラザ・ホテルの所有権について裁定してくれるよう依頼した。その裁定ではウィルキンソンがホテルを売るべきであるとしており、1987年11月、州が規制する会社であるケンタッキー州中央生命保険が820万ドルの負債を含め、1,200万ドルでホテルを買収した[63]。ケンタッキー州中央生命保険は1994年に破産し、清算を命じられた。翌年、ケンタッキー州保険コミッショナのジョージ・ニコラス3世が清算を引き受け、この資産は600万ドルの価値しかないと言ってウィルキンソンを訴えた[64]。フランクリン郡巡回裁判所判事アール・オバノンが、ウィルキンソンはケンタッキー州中央生命保険の財政破綻の責任に知らずに関わったのであり、彼のことばでは「政治に臭い」がしたとしてもであるとして、訴訟を却下した[64]。さらにFBI(ボップトロット作戦)によるケンタッキー州議会の捜査により、ウィルキンソンの私設秘書を務めていた甥のブルース・N・ウィルキンソンに及んだ。ブルースは強要で有罪となり、罰金2万ドルを課され、禁固3年間と宣告された[4]。ウォレス・ウィルキンソンは大陪審で捜査されたが、起訴されることはなかった[27] He vehemently denied any wrongdoing.[27]

1990年、ウィルキンソンの妻マーサが、1991年の州知事選挙で民主党の公認を求めると発表した[65]。この動きは一般に代理出馬と見られ、夫が2期連続で政権を継続できるようにするものだった[65]。その対抗馬には副知事のジョーンズ、レキシントン市長のスコッティ・ベイスラー、元ケンタッキー州高規格道路支配人のフロイド・G・プアが居た。世論調査ではウィルキンソン夫人にほとんど支持が集まらないことを示しており、1991年5月に指名争いから撤退した[65]。この年の初期に、ウィルキンソンは非ホジキンリンパ腫の限局期と診断されていた[4]。この診断がウィルキンソン夫人の撤退要因の1つにもなった[65]ミネソタ州ロチェスター市のメイヨー・クリニックで手術を受け、さらにケンタッキー大学で放射線治療を受けた[27]。これらの治療で1993年までに病気の兆候が全てなくなり、医者はウィルキンソンに快復のための良い機会だと伝えた[4][27]

ウィルキンソン知事の任期が終わると、自分自身をケンタッキー大学の6年任期である理事に指名した[4]。この人事は前例のないことであり、ウィルキンソンが学長のチャールズ・T・ウェシントン・ジュニアと不和になったために特に議論を呼んだ[65]。怒った議会はその直後にケンタッキー州の公立大学全ての既存理事会を解散し、独立した審査委員会が推薦する3人の候補者の中から知事が各委員を選別することで、再構成することを義務づける法を通した[66] [4]。ウィルキンソンの跡を継いで知事になったジョーンズは、この法の規定を使ってウィルキンソンを解任し、また大学理事会からの指名者数人も外した[4]


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  66. ^ Miller, p. 17
  67. ^ a b c Noland, p. 71
  68. ^ a b c Noland, p. 72
  69. ^ Burdette, "Guess Where Jim and Tammy Aren't Going"





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