イングランド・フランス二重王国
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イングランドの統治
グロスター公をイングランドの摂政にするというヘンリー5世の望みは論争を引き起こし、イングランドの摂政候補に何人もが名乗り出た。ヘンリー5世がウェストミンスター寺院に埋葬された1422年11月7日、その遺志はグロスター公、ヘンリー・ボーフォート枢機卿、エクセター公を始めとする貴族によって実現された。死んだ王の威光は幾つかの同意の事柄を引き合いにした、しかし全てに至るヘンリー5世の方向性は失われていった。未だにグロスター公に対する反対が存在していたのである。ベッドフォード公は将来フランスの摂政になることが不確かであった頃の11月26日に、グロスター公の統治に対して難色を示したのである。幾人かの統治者はグロスター公の若さと評判を理由に、彼が摂政となる考えを支持したが、大部分の統治者はこの考えを嫌い、1422年に遺言補足書という形でグロスター公に与えられた権限に対して疑念を抱くようになった。
グロスター公は歴史ないしは先例を根拠に考えを実現した。グロスター公は、1216年(ジョン王の死後、未成年のヘンリー3世が即位し、ウィリアム・マーシャルが摂政を務め始めた時代)のことを研究した、つまり、ノルマンコンクエスト以降、最初の未成年の王をイングランドが戴いた年である。グロスター公は若い王に与えられるはずの権威と尊敬とが自分にも与えられることを望んだ。グロスター公は同様の例としてヘンリー3世が未成年の間、ヘンリー3世の導き手となった初代ペンブルック伯(ペンブロークとも)ウィリアム・マーシャルの例を精力的に調査した。貴族たちは、今回採用されなかったこのマーシャルの先例は今の世に適用するにはあまりにも古すぎるものだし、その上リチャード2世が国王として即位していたが未成年であった時、リチャードの叔父であるジョン・オブ・ゴーント(グロスター公の祖父)は顧問会議でいかなる特別な地位も与えられたわけではなかったにもかかわらず、ジェントリたちの一般的な合意により、唯一の導き手などよりも十分に効果的に王国を統治したと論じた。ベッドフォード公はフランスの摂政となった。何故ならばフランスでは、単一の摂政による統治が、顧問会議による(合意形成による)統治より好まれていたからであり、また、この二重王国は、単純に人的結合による同君連合であり、それぞれの王国では固有の慣習と伝統を保つことが許されていた(イングランドとフランスの統治形態が同じでなければならない理由はない)からである。貴族たちはグロスター公が摂政になりたい振りをしている時に、個人的にグロスター公を攻撃したくはなかったし、むしろ摂政を置くというヘンリーの遺志を攻撃した。ヘンリーの意思はローマ法の影響を受けており、イングランド人の考えや伝統にはそぐわないものだった。グロスター公の代理人としての役割はヘンリー5世の死によって喪失したと言われている。
グロスター公は弾き飛ばされ、断続的に開かれる顧問会議と同様に断続的に開かれる議会から許可された事柄に関してのみ行動した。しかしながら、このことはひとつを撤回したわけではない、というのも、ベッドフォード公は、フランスの王位の継承者に指名され、同時にイングランドの王位継承者にも指名されていたが、もし、彼がフランスからもどってきたならば、グロスター公の筆頭摂政としての地位を、顧問会議の許可を受けて、フランスに戻るまで一時的にベッドフォード公が受け継ぐことになっていたからである。グロスター公のイングランドにおける地位は厳密に制限されていたが(ベッドフォード公がイングランドにいない時だけ認められるものであった)、2つの王国はしばらくの間は繁栄を享受した。
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