イタリアの映画
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/03/18 09:20 UTC 版)
初期
イタリアの映画産業は1903年から1908年にかけて、3つの主な映画会社、ローマのチネス社(Cines)、トリノのアレッサンドラ・アンブロシオ社(Alessandra Ambrosio)およびとイタラ・フィルム社(Itala Film)によって形作られた。すぐに他の会社がミラノとナポリで続いた。これら初期の会社は短い時期に良質な作品を製作し、イタリアの映画作品は国内だけでなく海外にも販売されるようになる。
最初にイタリアで製作された映画作品は歴史映画であった。そのジャンルにおける初めての作品は、1905年に撮影されたフィロテオ・アルベリーニ(Filoteo Alberini)の作品『La presa di Roma, XX settembre 1870』であった。他にもネロやメッサリナ、スパルタクスや、ユリウス・カエサルや、マルクス・アントニウス、クレオパトラなどの有名な歴史上の人物を描いた映画が製作された。 1908年製作のアルトゥーロ・アンブロージオの『ポンペイ最後の日 Gli ultimi giorni di Pompei』は急速に有名になり、1913年にマリオ・カゼリーニによってリメイク(『ポンペイ最後の日 Gli ultimi giorni di Pompei』)された。 同1913年、エンリコ・グアッツォーニは広く評判となる『マルクス・アントニウスとクレオパトラ』を監督した。
女優のリダ・ボレッリ、フランチェスカ・ベルティーニ、およびピナ・メニケリは特に悲劇を専門にして、最初の「ディーヴァ (Diva)」(スター)となった。特にベルティーニは映画界で最初のスターとなり、また映画にヌードで登場した初めての女優となった。
他のジャンルの作品には、文学作品に基づく社会的なテーマを特徴としたものがあった。 1916年に舞台女優のエレオノーラ・ドゥーゼ(ガブリエーレ・ダンヌンツィオの恋人として有名)主演で、グラツィア・デレッダの本を原作とする作品『Cenere』が製作された。
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