アユタヤ王朝 アユタヤ王朝の概要

アユタヤ王朝

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/02/13 09:34 UTC 版)

アユタヤ王朝
อาณาจักรอยุธยา

1351年 - 1767年
(国旗)

1380年のアユタヤ王朝の版図(薄緑)
公用語 タイ語
首都 アユタヤ
国王
1351 - 1369 ラーマーティボーディー1世
1590 - 1605ナレースワン
1656 - 1688ナーラーイ
1758 - 1767スリヤートアマリン
変遷
ラーマーティボーディー1世、アユタヤ王に 1351年
スコータイ王国との同君連合1468年
第一次アユタヤ陥落1569年
ナレースワンのビルマからの独立宣言1583年
スコータイ王朝の終焉1629年
第二次アユタヤ陥落1767年

タイに起こった各時代の王朝同様、中国とインド、ヨーロッパ方面を結ぶ中間に位置する地の利を生かし、貿易が国の富として重要であった。アユタヤ王朝でも王家を中心として、独占的な貿易が行われた。主に中国への米の輸出で国力を付けたほか、日本、琉球などの東アジア国家、東南アジア島嶼部、アラブ・ペルシア方面や西洋と活発に貿易を行い、莫大な富を蓄えた。この富を背景にアユタヤでは当時繁栄していたクメール文化を吸収しつつ、中国、ヨーロッパ、ペルシャなどの文化の影響を受けた独自の華やかな文化が開花した。


  1. ^ 柿崎一郎『物語 タイの歴史 微笑みの国の真実』中央公論新社,2007,ISBN 978-4-12-101913-4. pp.53,63-64。
  2. ^ ワット・プラ・シーサンペット タイ国政府観光庁. 2013年12月6日閲覧


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