アユタヤ王朝
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/02/13 09:34 UTC 版)
この記事は検証可能な参考文献や出典が全く示されていないか、不十分です。(2018年4月) |
タイの歴史 |
---|
先史時代 |
古代~中世 (BC3-1238) |
スコータイ王朝 (1238-1448) |
アユタヤ王朝 (1351-1767) |
トンブリー王朝 (1768-1782) |
チャクリー王朝 (1782- ) |
地方の歴史 |
ハリプンチャイ王国 |
ラーンナー王朝 |
タイに起こった各時代の王朝同様、中国とインド、ヨーロッパ方面を結ぶ中間に位置する地の利を生かし、貿易が国の富として重要であった。アユタヤ王朝でも王家を中心として、独占的な貿易が行われた。主に中国への米の輸出で国力を付けたほか、日本、琉球などの東アジア国家、東南アジア島嶼部、アラブ・ペルシア方面や西洋と活発に貿易を行い、莫大な富を蓄えた。この富を背景にアユタヤでは当時繁栄していたクメール文化を吸収しつつ、中国、ヨーロッパ、ペルシャなどの文化の影響を受けた独自の華やかな文化が開花した。
- ^ 柿崎一郎『物語 タイの歴史 微笑みの国の真実』中央公論新社,2007,ISBN 978-4-12-101913-4. pp.53,63-64。
- ^ ワット・プラ・シーサンペット タイ国政府観光庁. 2013年12月6日閲覧
- 1 アユタヤ王朝とは
- 2 アユタヤ王朝の概要
- 3 歴史
- 4 思想
- 5 脚注
- アユタヤ王朝のページへのリンク