アポマトックス・コートハウスの戦い
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背景
1865年4月1日、北軍フィリップ・シェリダン少将の騎兵隊はファイブフォークスの戦いでリー軍の右側面に回った。翌日グラント軍はピーターズバーグの防御線を決定的に突破し包囲戦を終わらせた。リーはピーターズバーグとリッチモンドを放棄し、補給列車が待っているはずの西のアポマトックス駅に向かった。そこからは南に動いてノースカロライナ州にいるジョセフ・ジョンストン軍との合流を期待していた。4月8日、アポマトックス駅の戦いで北軍のジョージ・カスター准将の騎兵師団がリー軍を待っていた3編成の補給列車と25門の大砲を捕獲し列車を焼いて、実質的にリー軍の退路を塞いだ。北軍のポトマック軍とジェームズ軍はアポマトックスに集結した。
アポマトックスに至る道
リーはアポマトックスにあった自軍の補給物資を破壊され、このとき他に補給物資が待っているリンチバーグへ向かう鉄道に目を向けた。北軍はリー軍に迫っており、リー軍とリンチバーグの間には北軍騎兵隊がいた。リーは歩兵隊が到着する前に騎兵隊を突破することを望んだ。リーはグラントに伝言を送って、現在は降伏を望んでいないが、グラントの提示する条件がいかに南軍に影響するかを議論する用意があると伝えた。グラントは拍動性の頭痛があり、「リーがまだ戦うと言っているかのようだ」と言った[2]。北軍の歩兵隊は接近していたが、シェリダンの騎兵隊を支援できるだけ近くにいる部隊はジョン・ギボン少将のジェームズ軍第23軍団だけだった。この軍団は21時間で30マイル (50 km)を行軍して騎兵隊の所に到着した。ジェームズ軍指揮官のエドワード・オードは第24軍団と共に午前4時頃に到着し、第5軍団も後方に近付いていた。シェリダンはアポマトックス・コートハウス南西の低い尾根に騎兵3個師団を配置した。
最後の戦闘
4月9日の夜明け、南軍ジョン・B・ゴードン少将の第2軍団はシェリダンの騎兵隊を攻撃し、素早く最初の前線から後退させた。南軍のフィッツヒュー・リー少将の騎兵隊が北軍の側面に回りこんだ。次の前線はラナルド・S・マッケンジーとジョージ・クルック各准将が守っていたが、これも後退した。ゴードン軍団は北軍前線に突撃して尾根を占領したが、その頂部に達した時、北軍第24軍団全軍が第5軍団を右手にして戦闘隊形にあることを見出した。フィッツヒュー・リーの騎兵隊はこれら北軍を見て即座に後退し、リンチバーグ方面に去った。オード軍団がゴードン軍団に向けて前進を開始し、一方北軍の第2軍団が北東にいた南軍ジェイムズ・ロングストリートの軍団に向けてこれも前進を始めた。リーの参謀チャールズ・ベナブル大佐がこの時ゴードンのところに馬で乗りつけ、評価を求めたとき、ゴードンはリーが聞きたくないと分かっていることを答えた。「リー将軍には、私がこの軍団をボロボロになるまで戦わせたこと、今ロングストリートの軍団から十分な支援が得られなければ何もできないと思うと伝えてくれ。」リーはこの答えを聞いて遂に避け難いことを告げた。「それでは私ができることはグラント将軍に会いに行くこと以外残っていない、私は千の死も死のう。」
リーの士官たちの多くはロングストリートを含めて、軍隊が降伏することが残された唯一の選択肢であることに合意した。只一人降伏に反対した高貴な士官はロングストリートの砲兵長エドワード・ポーター・アレクサンダー准将であり、もしリーが降伏すれば「他の南軍も同じ道を辿る」と予言した。午前8時、リーは馬でグラントとの会見に向かい、3人の副官が同行した。ゴードンの前線と、ロングストリート軍団にいまだ前進している北軍散兵の辺りでは銃声が聞こえており、リーはグラントから伝言を受け取った。グラントとリーの間で数時間文書のやり取りがあり、休戦が実現し、グラントはリーの降伏条件を議論したいという要請を受けた。リーの副官チャールズ・マーシャル大佐がグラントとリーの会見場所を探しに行った。マーシャルはウィルマー・マクリーンの家を選択したが、マクリーンは偶然にもこの南北戦争での最初の大会戦である第一次ブルランの戦いのときに南軍P・G・T・ボーリガード将軍が借りた家の持ち主と同じ者だった。
固有名詞の分類
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