アポマトックス・コートハウスの戦い 正式な降伏

アポマトックス・コートハウスの戦い

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/04/09 10:19 UTC 版)

正式な降伏

4月10日、リーはその軍隊に告別の挨拶を行った。同じ日に6人の代理人が集まって正式な降伏儀式について話し合った。ただし、南軍の士官は誰もそのような行事に出たいとは思ってもいなかった。その儀式を遂行するために選ばれた北軍の士官はジョシュア・チェンバレン准将であり、彼は後に1865年4月12日に目撃したことを回想し、感動的な賛辞を書いた。

この儀式の重大な意味で私は深く感動した。私はそれを何か認識できる印で残そうと思ったが、それは祝砲以外の何ものでもあり得なかった。請け負った責任を認識し、その後の批判も考えると、結果はそのような種類のものでは少なくとも私を動かし得ないことが分かった。そのような祝砲が南軍の旗が立っている方にではなく、北軍の旗の間に降ろされることに対してなされると提案することで、もし必要ならば弁護されることだろう。しかし、私の主要な理由はそのためにいかなる権威も許しを請うことも求めないということだった。我々の前に誇らしく屈辱の中で立っているのは男らしい者たちそのものであり、その労力や苦しみも、死という事実も、悲惨なことも、希望の無さもその決意を曲げさせることは無かった。今我々の前に立っているのは、痩せ、疲れきり、空腹ではあるが、直立し我々を直視し、他でもない我々と共有する記憶を思い起こしているのであり、そのように試され約束されて連邦に戻ってくるのを歓迎される男達ではないか?指示があり、各師団の長が我々集団の向かい側に並び、ラッパの合図で我々の全線が右から左まで、連隊から連隊と並び、兵士が挨拶を交わし、「立て銃」から「構え銃」まで、祝砲が鳴った。縦隊の先頭にいたゴードンは沈んだ心と伏し目で馬に乗り、武器を渡す音を聞くと、顔を上げてその意味を悟り、華麗に馬を回して自分自身と馬で高揚した姿となり、その剣を長靴のつま先に落とす時に満足げな挨拶をした。続いて部隊の兵士達に向かい、その一連の旅団に同じ位置で我々に渡すよう声をかけた。栄誉が栄誉に答えた。我々の側にはもはやラッパの音も無く、太鼓も、歓声も、言葉も、虚しい栄光の囁きも、整列して立っている兵士の動きもなくなったが、死の時が過ぎるかのように敬虔な静寂さと息を殺したようなものがあった。 — ジョシュア・L・チェンバレン[4]

この日、27,805名の南軍兵が通りその武器を積んだ。


  1. ^ a b Salmon, p. 492.
  2. ^ Korn, p. 137.
  3. ^ Smith, pp. 403-04.
  4. ^ Passing of the Armies, pp. 260-61






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