アポマトックス・コートハウスの戦い 戦闘の後

アポマトックス・コートハウスの戦い

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/04/09 10:19 UTC 版)

戦闘の後

このとき国中では175,000名の南軍兵が残っていた。南軍のポーター・アレクサンダーがまさに予測していたように、他の南軍が降伏を始めるのは時間の問題だった。リー降伏の報せが広まると、他の南軍指揮官達は南軍が死に体以外の何者でもないことを悟り、自分達も武器を置くことにした。リーが合流を望んでいたノース・カロライナ州のジョセフ・ジョンストン軍は4月26日ウィリアム・シャーマン少将に対して降伏した。エドマンド・カービー・スミス将軍は5月にそのミシシッピ流域軍を降伏し、スタンド・ワティー准将は6月23日に最後の軍勢のある組織化された南軍として降伏した。

この降伏後にも幾つかの小さな戦闘が起こり、パルメット農場の戦いは南軍最後の軍事行動として広く知られている。

リーは降伏の時のグラントの寛大さを忘れることはなく、その残りの人生を通じて自分の前でグラントについて言われたぶしつけな言葉を容赦しなかった。同様にゴードン将軍はその降伏する軍隊に敬意を表するチェンバレンの単純な行動を胸にしまっておき、「騎士の誉れ」の例としてチェンバレンのことを引き合いに出した。

関連項目

参考文献


  1. ^ a b Salmon, p. 492.
  2. ^ Korn, p. 137.
  3. ^ Smith, pp. 403-04.
  4. ^ Passing of the Armies, pp. 260-61






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