アナベル・リー
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/09/09 13:46 UTC 版)
その他の訳
古くは以下のような訳類があることが明らかにされている[4]。
- 大正14年(1915年)に鯖瀬春彦「アナベル・リイ」(『音楽』6巻6、東京音楽学校)(詳細未詳)。
- 大正8年(1919年)4月に片山伸訳「アナベル・リイ」(生田春月編『泰西名詩名訳集』越山堂)、昭和2年10月、畑喜代司著『泰西名詩の味ひ方』(資文堂)所収〔亞米利加詩篇〕に清水暉吉訳「アナベル・リィ」を収録(これは昭和10年に『泰西名詩の鑑賞』として改題・再刊されている)。
- 昭和10年(1935年)『世界文芸大辞典』第一巻(中央公論社)に日夏耿之助が「アナベル・リイ」の項目執筆を行っている。
大江健三郎の小説『﨟(らふ)たしアナベル・リイ総毛立ちつ身まかりつ』(2007年刊)は、2010年、文庫化に際し『美しいアナベル・リイ』に改題されたものであるが、日夏耿之助訳中に「﨟(らふ)たしアナベル・リイ」という表記は第四聯と第六聯に見えるものの、「総毛立ちつ身まかりつ」と直接に連接した表現はみられない。
日夏耿之助訳(創元選書『ポオ詩集』)では七五調を基調としながら、第一聯「わたの水阿(みさき)の里住みの」〜第二聯「わたの水阿のうらかげや」〜第三聯「かかればありしそのかみは」〜第四聯「帝郷の天人ばら天祉(てんし)およばず」〜第四聯「ねびまさりけむひとびと」〜第六聯「月照るなべ」〜「そぎへに居臥す身のすゑかも。」と、最後の「そぎへに居臥す身のすゑかも」を七七調にすることで韻律のうえでも詩に決着をつけて終わる。
一方、加島祥造(岩波文庫『ポー詩集』)では、第一聯「幾年(いくとし)も幾年も前のこと」〜第二聯「この海辺の王国で、ぼくと彼女は子供のように、子供のままに生きていた」〜第三聯「そしてこれが理由となって、ある夜遠いむかし、その海辺の王国に」〜第四聯「天使たちは天国にいてさえぼくたちほど幸せでなかったから」〜「ある夜、雲から風が吹きおりて凍えさせ、殺してしまった、ぼくのアナベル・リーを。」と、四聯に集約している。
ステファヌ・マラルメはポーによる第六聯の詩をフランス語に訳すにあたり、最終第六聯と入れ替えるかたちで、原詩の第五聯を末尾に配するという改竄をおこなっている[5]。
- ^ 日夏訳の文体を選んだ理由を若島正訳、ウラジーミル・ナボコフ『ロリータ』(新潮文庫)の解説で「それは母国の現代語には無知で、家庭の事情から「唐詩選」はじめ漢詩になじんでいたからだ。それを手引にアメリカ文化センターの豪華本で見つけたポーの原詩は、私にいささかも古びたところのない、新しい英語とひとしいものに感じられた。その英詩と日夏訳との間の文体、声の落差がさらにも強く私を魅了したのである。それをきっかけに、これら二つの(時には三つの)言語の間を行き来することであじわいなれた恍惚が、いまも私の文学受容になごりをとどめている」と書いている。
- ^ 渡辺利雄『アメリカ文学に触発された日本の小説』(研究社2014年)pp.27-53。
- ^ 『獄中への手紙』(一九四〇年(昭和十五年)七月十七日付〔巣鴨拘置所の顕治宛 目白より(封書)〕)
- ^ 中村融、1992、「日本でのポー-13-書誌--大正1年~昭和11年(改訂版) (PDF) 」 、『茨城大学教養部紀要』(24号)、茨城大学、NAID 40000136784 pp. 215-231
- ^ “アナベル・リイの主題による変奏”. コミュニケーションギャラリー ふげん社. 2017-66-26時点のオリジナルよりアーカイブ。2019年1月19日閲覧。
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