ぴったし カン・カン
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/04/21 06:55 UTC 版)
番組のスタイル
坂上の「キュー!」 (Cue) の掛け声と久米のタイトルコールで番組はスタート。久米は「ぴっ……たしカン・カン!」と、タイトルコールに多少の「ため」を入れるのが恒例であった[注 1][注 2]。その後、オープニングBGMに合わせ、久米と解答者全体(ここで番組のタイトルロゴ表示)、会場観覧者 → ぴったしチーム → カン・カンチーム → 久米のアップの順に映像が切り替わり、久米が挨拶をした。
久米の挨拶の後、ぴったしチームの自己紹介、カン・カンチームの自己紹介がある。自己紹介の際は、ちょっとしたコメント(各者共通のキーワードを含めている)を申し述べてから自分の名前を言うのが決まりであり、ぴったしチーム4枠目の藤村俊二はここのコメントで必ずスタジオの笑いを誘うのがお約束だった。カン・カンチームは、まず一人一人が自己紹介した後、萩本の「では、チームの名前は?」の声とともに3人がアクション付きでチーム名を紹介していた。
司会席後方には2枚パネルがあり、番組を始める時は両方閉じた状態→フィルム(ビデオ)問題の時は左側のパネルを開け(ゲストの歌コーナーをVTRで披露する場合も再度開けていた)、「1枚の写真」に入ると左のパネルを閉じる代わりに右に掲げられたゲストの思い出の写真が開く。「1枚の写真」で正解すると直ちにゲストが登場し、以後番組終了まで、このゲストの思い出の写真をオープンした状態のままクイズが進んでいった。
尚、ステレオ放送になってからは、司会者と「1枚の写真」のゲストは中央に、ぴったしチームが左側から、カン・カンチームが右側からそれぞれ音が出る定位を取り、会場観覧者の声はそのままステレオ音声で放送していた。
注釈
- ^ ただし毎回そうしているわけではなく、ためを入れないでそのままストレートにタイトルコールするケースも多々あった。
- ^ のちに久米は『ニュースステーション』でも、『プロ野球1分勝負』のタイトルコール時に「プロ野球いっ……ぷん勝負!」と当番組と同じようにためを入れる演出を加えていた。
- ^ 久米司会・モノラル音声時代はボブ佐久間の作曲バージョンを使用したが、ステレオ化に伴い土持のアレンジ版に変更された。小島時代になってからは安川に交替、吉田時代の音楽は不明。
- ^ 安川は後に、同じくTBSで放送された「クイズ100人に聞きました」の末期のテーマ音楽も担当した。
- ^ リメイク版の『ぴったんこカン・カン』はテレビユー山形で放送。
出典
- ^ a b 朝日新聞 1980年4月8日 朝刊 P.24 テレビ欄(朝日新聞クロスサーチにて閲覧)
- ^ 「〈折り込み〉週間番組表と番組ガイド」『財界ふくしま』第12巻第11号、行政問題研究所、1983年11月10日、89頁、NDLJP:2832618/47。
- ^ 『昭和のテレビあるある』TOブックス、2016年、173頁。
- ^ a b c d 『久米宏です。 ニュースステーションはザ・ベストテンだった』世界文化社、2017年、71-72頁。
- ^ “クイズ・ゲーム高世帯視聴率番組 | ビデオリサーチ”. ビデオリサーチ. 2016年11月9日閲覧。
- ^ 商標照会(特許情報プラットホーム)]
- ^ “萩本欽一のTV出演情報 18ページ目 | ORICON STYLE”. oricon ME. 2016年11月9日閲覧。
- ^ “坂上二郎のTV出演情報 6ページ目 | ORICON STYLE”. oricon ME. 2016年11月9日閲覧。
- ^ “藤村俊二のTV出演情報 77ページ目 | ORICON STYLE”. oricon ME. 2016年11月9日閲覧。
- ^ 『山形新聞』1979年12月31日付朝刊テレビ欄より。
- ^ 『北國新聞』1984年7月11日付朝刊テレビ欄より。
- ^ 『四国新聞』1979年3月31日付朝刊テレビ欄より。
- ^ 『四国新聞』1982年12月1日付朝刊テレビ欄より。
- ^ 『週刊TVガイド』岡山・四国版1985年10月28日 - 11月3日号より。
固有名詞の分類
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