関東申次とは? わかりやすく解説

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関東申次

読み方:カントウモウシツギ(kantoumoushitsugi)

鎌倉時代朝廷置かれ職制


関東申次

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2019/11/23 15:17 UTC 版)

関東申次(かんとうもうしつぎ)は、関東執奏(かんとうしっそう)とも言い、鎌倉時代朝廷に設けられた役職で、鎌倉幕府側の六波羅探題とともに朝廷・と幕府の間の連絡・意見調整を行った。


  1. ^ 近年においては関東申次(西園寺家)の政治的影響力を過大視しているとする本郷和人の説も提示されているが、これに対して天皇家などの諸権門が関東申次を無視して使者を鎌倉に派遣することはあっても、鎌倉幕府から朝廷に対して派遣される使者(東使)は一貫して関東申次(西園寺家)に取次を依頼しているとする溝川晃司らによる反論も出されている。また、白根靖大は九条道家の前に近衛家実を関東申次として追加して承久の乱以後、寛元4年の西園寺家の世襲による常設化までは、鎌倉幕府の政治力の増大を背景として、関東申次を摂関が兼務する慣例が存在していたとする説を唱えている。


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