三笠宮
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2026/06/22 02:31 UTC 版)
| 三笠宮家 | |
|---|---|
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| 家祖 | 三笠宮崇仁親王 (大正天皇第4皇男子) |
| 種別 | 皇族(宮家) |
| 出身地 | 東京都 |
| 著名な人物 | 三笠宮崇仁親王(初代当主) 三笠宮彬子女王(現当主) 瑶子女王 |
| 支流、分家 | 寬仁親王家 三笠宮寬仁親王妃家 昭和桂宮家 高円宮家 |
| 凡例 / Category:日本の氏族 | |
| 皇室 |
|---|
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歴史
1935年(昭和10年)12月2日、大正天皇の第四皇子である崇仁親王を初代として、成年式当日に創設された。宮号の由来は、阿倍仲麻呂の和歌「天の原 ふりさけみれば 春日なる 三笠の山に いでし月かも」に出てくる奈良の三笠山にちなんだ。
2002年(平成14年)、高円宮を創設していた第三王子の憲仁親王が薨去した。
2012年(平成24年)6月6日、当主位を継承する予定であったため新たに宮号を立てずに独立の生計を営んでいた第一王子の寬仁親王が薨去し、翌2013年(平成25年)には寬仁親王家に属していた信子、彬子女王・瑶子女王の3名が三笠宮家に合流した。2014年には生涯未婚を貫き子女も無かった第二王子の宜仁親王にも先立たれ、三笠宮系の男系男子が崇仁親王自身のみとなった。
初代当主の崇仁親王が2016年(平成28年)10月に薨去。同年11月16日、同妃の百合子が2代目の当主に就任した[* 1]。2024年(令和6年)11月の百合子の薨去に伴い当主が不在になっていたが、2025年(令和7年)9月30日、孫の彬子女王が継承することが決まり、彬子女王の母親の寬仁親王妃信子は「三笠宮寬仁親王妃家」の当主として独立した[* 2]。
寬仁親王に男子が生まれなかったことから、断絶見込み。
構成員
現構成員
| 名 | 名の読み | 性別 | 生年月日 | 年齢 | 皇統 | 続柄 | 概要 |
|---|---|---|---|---|---|---|---|
| 三笠宮彬子女王 | あきこ | 女性 | 1981年12月20日 | 44歳 | 皇統 | 寬仁親王第一王女 | 現当主/2013年寛仁親王家から合流 |
| 瑶子女王 | ようこ | 女性 | 1983年10月25日 | 42歳 | 皇統 | 寬仁親王第二王女 | 2013年寛仁親王家から合流 |
過去の構成員
| 名 | 名の読み | 性別 | 生年月日 | 年齢 | 離脱年 | 離脱事由 | 皇統 | 続柄 | 備考 |
|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
| 三笠宮崇仁親王 | たかひと | 男性 | 1915年12月2日 | 故人 | 2016年 | 薨去 | 皇統 | 大正天皇第四皇子 | 初代当主 |
| 百合子 | ゆりこ | 女性 | 1923年6月4日 | 故人 | 2024年 | 薨去 | 非皇統 | 崇仁親王妃 | 結婚前の名:高木百合子、2代当主 |
| 甯子内親王 | やすこ | 女性 | 1944年4月26日 | 82歳 | 1966年 | 近衞忠煇との婚姻による皇籍離脱 | 皇統 | 崇仁親王第一王女 | 離脱後の名:近衞甯子 |
| 寬仁親王 | ともひと | 男性 | 1946年1月5日 | 故人 | 1980年 | 寬仁親王家として独立 | 皇統 | 崇仁親王第一王子 | 2012年薨去 |
| 信子 | のぶこ | 女性 | 1955年4月9日 | 71歳 | 2025年 | 三笠宮寛仁親王妃家として独立 | 非皇統 | 寬仁親王妃 | 結婚前の名:麻生信子、2013年寛仁親王家から合流 |
| 宜仁親王 | よしひと | 男性 | 1948年2月11日 | 故人 | 1988年 | 昭和桂宮創設 | 皇統 | 崇仁親王第二王子 | 2014年薨去 |
| 容子内親王 | まさこ | 女性 | 1951年10月23日 | 74歳 | 1983年 | 16代千宗室との婚姻による皇籍離脱 | 皇統 | 崇仁親王第二王女 | 離脱後の名:千容子 |
| 憲仁親王 | のりひと | 男性 | 1954年12月29日 | 故人 | 1984年 | 高円宮創設 | 皇統 | 崇仁親王第三王子 | 2002年薨去 |
系図
歴代当主
| 代 | 名 | 名の読み | 就任事由 | 就任日 | 退任日 | 退任事由 | 在任期間 | 皇統 | 続柄 | 備考 |
|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
| 1 | 崇仁親王 | たかひと | 成年による創設 | 1935年(昭和10年)12月2日[1] | 2016年(平成28年)10月27日 | 薨去 | 29551日(80年331日) | 皇統 | 大正天皇第四皇子 | |
| 2 | 百合子 | ゆりこ | 皇室会議 | 2016年(平成28年)11月16日[* 1] | 2024年(令和6年)11月15日 | 薨去 | 2922日(8年0日) | 非皇統 | 崇仁親王妃 | 子爵高木正得次女 |
| 3 | 彬子女王 | あきこ | 皇室会議 | 2025年(令和7年)9月30日[* 2] | (在任中) | 皇統 | 寬仁親王第一王女 | |||
分家
三笠宮家より分かれ皇室内で独立した生計を営む家について説明する。
寬仁親王家
三笠宮の長男で、継嗣であった寬仁親王は1980年(昭和55年)11月7日、婚姻を機に生計を独自に営むことになり、新たに「寛仁親王家」を立てた(三笠宮を継承予定であったため、宮号創設はなし)。しかし2012年(平成24年)6月6日、寛仁親王は後継者たる男子不在のまま、父の崇仁親王に先立ち薨去。寛仁親王家の当主は不在のままであったが、翌2013年(平成25年)6月10日、寬仁親王の薨去時にさかのぼって寬仁親王家が廃されたものとして扱い、同家の成員については職員や皇族費はそのままで三笠宮家に合流することが宮内庁から発表された。同年7月31日には、当主のいなくなった寬仁親王邸を「三笠宮東邸」に改めることになった。
過去の構成員
| 名 | 名の読み | 性別 | 生年月日 | 年齢 | 離脱年 | 理由 | 皇統 | 続柄 | 備考 |
|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
| 寬仁親王 | ともひと | 男性 | 1946年1月5日 | 故人 | 2012年 | 薨去 | 皇統 | 崇仁親王第一王子 | 三笠宮継承予定につき宮号を冠せず |
| 信子 | のぶこ | 女性 | 1955年4月9日 | 71歳 | 2013年 | 当主薨去に伴う三笠宮家への合流 | 非皇統 | 寬仁親王妃 | |
| 彬子女王 | あきこ | 女性 | 1981年12月20日 | 44歳 | 2013年 | 当主薨去に伴う三笠宮家への合流 | 皇統 | 寬仁親王第一王女 | 三笠宮家3代当主 |
| 瑶子女王 | ようこ | 女性 | 1983年10月25日 | 42歳 | 2013年 | 当主薨去に伴う三笠宮家への合流 | 皇統 | 寬仁親王第二王女 |
三笠宮寬仁親王妃家
2024年(令和6年)11月に崇仁親王妃百合子が薨去したため三笠宮家は当主不在となっていたが、2025年(令和7年)9月30日より彬子女王を新たな当主として三笠宮家が存続されることとなった。これを機に、三笠宮家の構成員であった寛仁親王妃信子は三笠宮家を離れ、「三笠宮寛仁親王妃家」として独立の生計を営むことになった。
- 現構成員
| 名 | 名の読み | 性別 | 生年月日 | 年齢 | 皇統 | 続柄 | 備考 |
|---|---|---|---|---|---|---|---|
| 寬仁親王妃信子 | のぶこ | 女性 | 1955年4月9日 | 71歳 | 非皇統 | 寬仁親王妃 | 2025年に三笠宮家から独立 |
桂宮家
高円宮家
脚注
書籍出典
- ↑ 『昭和天皇実録』第六, p. 843, 昭和十年十二月二日条.
ニュースサイト出典
- 1 2 「百合子さまが三笠宮家当主に」『産経NEWS』2016年11月16日。オリジナルの2026年4月28日時点におけるアーカイブ。2026年4月28日閲覧。
- 1 2 「不在だった三笠宮家当主に彬子さま…信子さまは「寛仁親王妃家」として独立、35年ぶりの宮家新設」『読売新聞オンライン』2025年9月30日。オリジナルの2026年4月11日時点におけるアーカイブ。2025年9月30日閲覧。
参考文献
- 『昭和天皇実録』第六、東京書籍、2016年3月30日。ISBN 978-4-487-74406-0。
関連項目
外部リンク
三笠宮と同じ種類の言葉
固有名詞の分類
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