ヴィト・ダンコーナとは? わかりやすく解説

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ヴィト・ダンコーナ

(Vito D'Ancona から転送)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/06/05 10:21 UTC 版)

ヴィト・ダンコーナ
Vito D'Ancona
生誕1825年8月12日
イタリア,ペーザロ
死没1884年1月9日
イタリア,フィレンツェ
運動・動向マッキア派

ヴィト・ダンコーナ(Vito D'Ancona)として知られるヴィターレ・ダンコーナ(Vitale D'Ancona 、1825年8月12日 - 1884年1月9日)はイタリア画家。「マッキア派」の画家の一人である。

略歴

マルケ州ペーザロに生まれた。裕福なユダヤ系の家族で、兄弟には上院議員になったSansone D'Ancona(1814-1894)や評論家、作家になったAlessandro D'Ancona(1835-1914)がいる。

フィレンツェで版画家のサムエーレ・イェージ(Samuele Jesi)に学んだ後、美術アカデミーに入学し、ジュゼッペ・ベッツォーリに学んだ。学生仲間のセラフィーノ・デ・ティヴォリと友人になり、当時新しい美術の潮流であった「印象派」の絵画への情熱を共有した。

1850年頃にフィレンツェの芸術家たちのたまり場であった「カッフェ・ミケランジョロ」にしばしば通い「マッキア派」の画家、特にテレマコ・シニョリーニと語りあった。シニョリーニからフランスでの新しい美術の動きを学んだ。

1867年にパリに出て、7年ほどパリに滞在した[1]。パリのイタリア人芸術家のコミュニティでセラフィーノ・デ・ティヴォリやジュゼッペ・デ・ニッティスジョヴァンニ・ボルディーニらと活動し、コロークールベといったフランスの指導的な画家たちと交流した。当時フランスで流行していた「ジャポニズム」の影響も受けた。梅毒を患い、イタリアに帰国し、1878年には美術活動を止め[2] [3]、1884年にフィレンツェで亡くなった。

作品

脚注

  1. ^ Broude, N. 1987, p. 111.
  2. ^ Mann et al. 1989, p. 143.
  3. ^ Steingräber, E., & Matteucci, G. 1984, p. 69.

参考文献

  • S. Bietoletti, I macchiaioli, la storia, gli artisti, le opere, Florence, 2001
  • Giuseppe Abbati (1836 - 1868). I macchiaioli a Castiglioncello, catalogue de l'exposition, Turin, 2001
  • Impressionismo Italiano. Mazzotta, Milan, 2002.



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