リシャール・ドゥトルエルとは? わかりやすく解説

リシャール・ドゥトルエル

(Richard Dutruel から転送)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/11/08 00:20 UTC 版)

リシャール・ドゥトルエル
名前
本名 リシャール・フィリップ・ドゥトルエル
Richard Philippe Dutruel
ラテン文字 Richard Dutruel
基本情報
国籍 フランス
生年月日 (1972-12-24) 1972年12月24日(49歳)
出身地 トノン=レ=バン
身長 192cm
体重 86kg
選手情報
ポジション GK
利き足 右足
ユース
CSトノン
クレールフォンテーヌ
パリ・サンジェルマン
クラブ1
クラブ 出場 (得点)
1991-1996 パリ・サンジェルマン 10 (0)
1993-1995 カーン (loan) 68 (0)
1996-2000 セルタ 128 (0)
2000-2002 バルセロナ 15 (0)
2002-2003 アラベス 33 (0)
2003-2005 ストラスブール 24 (0)
通算 278 (0)
代表歴
1990-1991  フランス U-19 2 (0)
1994 フランス B 1 (0)
2000 フランス 1 (0)
1. 国内リーグ戦に限る。
■テンプレート■ノート ■解説■サッカー選手pj

リシャール・フィリップ・ドゥトルエルRichard Philippe Dutruel1972年12月24日 - )は、フランストノン・レ・バン出身の元同国代表サッカー選手。現役時代のポジションはGK

クラブ経歴

パリ・サンジェルマンFCでプロデビューを果たすものの、ジョエル・バツベルナール・ラマという2人のフランス代表の前に出番には恵まれなかった。

1996年スペインセルタ・デ・ビーゴへ移籍。ビクトル・フェルナンデスの攻撃的なサッカーの下、リーグ戦上位に食い込んでいたセルタでレギュラーに定着し、これが転機となって才能が一気に開花。2000年には世界的ビッグクラブであるFCバルセロナへの移籍を果たした。

しかし、バルセロナではロベルト・ボナーノの控えに甘んじ、2002年デポルティーボ・アラベスへ移籍。2003年RCストラスブールにて母国に復帰するも、持病の腰痛2004年に発症。復帰を目指し長期療養していたが、2005年限りで引退した。

現役引退後の2010年5月から、エヴィアン・トノン・ガイヤールFCの副会長を務め、2010-11シーズンにはリーグ・ドゥ優勝を経験した[1]

代表経歴

2000年10月4日、カメルーン代表との親善試合にて、途中交代でフランス代表デビューを果たした[2]

選手経歴

カーン 1993-1995(レンタル移籍

脚注

  1. ^ Dutruel démissionne” (フランス語) (2010年5月27日). 2022年11月8日閲覧。
  2. ^ Regnard, Hélène (2000年10月6日). “A t-on déjà vu un coq manger un lion?¥” (フランス語). Afrik Foot. 2022年11月8日閲覧。

外部リンク





固有名詞の分類


英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「リシャール・ドゥトルエル」の関連用語

リシャール・ドゥトルエルのお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



リシャール・ドゥトルエルのページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
All text is available under the terms of the GNU Free Documentation License.
この記事は、ウィキペディアのリシャール・ドゥトルエル (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。 Weblio辞書に掲載されているウィキペディアの記事も、全てGNU Free Documentation Licenseの元に提供されております。

©2025 GRAS Group, Inc.RSS