ランビール・シングとは? わかりやすく解説

Weblio 辞書 > 辞書・百科事典 > 百科事典 > ランビール・シングの意味・解説 

ランビール・シング

(Ranbir Singh から転送)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2016/11/05 07:20 UTC 版)

ランビール・シング

ランビール・シング(Ranbir Singh, 1830年8月 - 1885年9月12日)は、北インドジャンムー・カシュミール藩王国の君主(在位:1856年 - 1885年)。

生涯

1830年8月、ランビール・シングはジャンムーを支配していたドーグラー朝の君主グラーブ・シングの息子として、ラームガルで生まれた[1]

1856年2月20日ジャンムー・カシュミール藩王となっていた父グラーブ・シングが退位し、藩王位は息子のランビール・シングが継承した[1]

1857年5月インド大反乱が北インド一帯で勃発していたが、ランビール・シングはイギリスに協力し、その鎮圧に努力した。同年6月30日に父グラーブ・シングが死亡した[1]

その治世、ランビール・シングはシュリーナガルを夏季の首都、ジャンムーを冬季の首都とすることを定めた。これは現在に至るまでインドで続いている。

1885年9月12日、ランビール・シングはジャンムーで死亡し、息子のプラタープ・シングが継承した[1]

出典・脚注

関連項目




英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「ランビール・シング」の関連用語

ランビール・シングのお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



ランビール・シングのページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
All text is available under the terms of the GNU Free Documentation License.
この記事は、ウィキペディアのランビール・シング (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。 Weblio辞書に掲載されているウィキペディアの記事も、全てGNU Free Documentation Licenseの元に提供されております。

©2025 GRAS Group, Inc.RSS