マルシリー=シュル=ウールとは? わかりやすく解説

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マルシリー=シュル=ウール

(Marcilly-sur-Eure から転送)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2018/01/02 13:52 UTC 版)

マルシリー=シュル=ウール
行政
フランス
地域圏 (Région) ノルマンディー地域圏
(département) ウール県
(arrondissement) エヴルー郡
小郡 (canton) サンタンドレ=ド=ルール小郡
INSEEコード 27391
郵便番号 27810
市長任期 クロード・ロワユー
2014年 - 2020年
自治体間連合 (fr) fr:Évreux Portes de Normandie
人口動態
人口 1566人
2015年
人口密度 101人/km2
住民の呼称 Marcilluciens
地理
座標 北緯48度49分38秒 東経1度20分55秒 / 北緯48.8272度 東経1.3485度 / 48.8272; 1.3485座標: 北緯48度49分38秒 東経1度20分55秒 / 北緯48.8272度 東経1.3485度 / 48.8272; 1.3485
標高 最低:65m
最高:141m
面積 15.48km2
マルシリー=シュル=ウール
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マルシリー=シュル=ウール (Marcilly-sur-Eure)は、フランスノルマンディー地域圏ウール県コミューン

地理

その名が示す通り、マルシリーはウール川の近くにある。ドルーからサンタンドレ=ド=ルールへ向かう道、ユダンからドルーの森を通過してダンヴィルへと向かう道が、マルシリーで交差する。

マルシリーはノルマンディーの一部であるが、その位置は行政的にも地理的にも特殊である。3つの異なる地域圏に属する県、ウール県、イヴリーヌ県ウール=エ=ロワール県と接しているのである。

由来

地名は12世紀にMarcilleiumのつづりであったことが証明されている[1]

歴史

1137年前後、ギヨーム・ド・マルシリーとその父フルクは、聖母マリアと洗礼者ジャンを守護聖人とする、シトー会派のブルイユ=ブノワ修道院を創建した。

マルシリー家の後、エストゥートヴィル家、アレグル家、フェイ家、ディエル家と領主が変わった。アントワーヌ・デュ・ボスクが最後の村の領主であった。

1140年、ブルイユの修道院を離れた修道士たちは、ラ・トラップにおいてノートル・ダム修道院を建設した。

人口統計

1962年 1968年 1975年 1982年 1990年 1999年 2005年 2015年
624 565 688 692 1244 1229 1425 1566

参照元:1962年から1999年までは複数コミューンに住所登録をする者の重複分を除いたもの。それ以降は当該コミューンの人口統計によるもの。1999年までEHESS/Cassini[2]、2006年以降INSEE[3][4]

史跡

脚注

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