Machito
マチート
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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/05 02:30 UTC 版)
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マチート(1940年代後半に撮影)
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基本情報 | |
出生名 | Francisco Raúl Gutiérrez Grillo |
生誕 | 1912年2月16日 ![]() |
出身地 | ![]() |
死没 | 1984年4月15日(72歳没) ![]() |
ジャンル | マンボ、アフロ・キューバン・ジャズ/ラテン・ジャズ |
職業 | バンドマスター、マラカス奏者、歌手 |
担当楽器 | マラカス、歌 |
公式サイト | RudySarzo.com |
マチート(Machito, 本名:Francisco Raúl Gutiérrez Grillo, 1912年2月16日 – 1984年4月15日)は、キューバ、ハバナ出身のラテン・ジャズ・ミュージシャンでマラカス奏者、歌手。
アフロ・キューバン・ジャズの源流を作り上げた人物として知られる。マチートとは「小さい子供」の意味で末っ子を示す。実際は妹のグラシェーラがいて、彼女は彼の楽団の歌手を務めていた。
バイオグラフィ
1941年に、マチートがマンボのバンドを始めた時、義理の兄弟であり、ビ・バップのトランペット奏者で編曲家のマリオ・バウサがマンボをジャズに取り入れ、自らのバンドをアフロ・キューバ66ンズと名付けた。これがジャズのインプロヴィゼーションをアフロ・キューバンのリズムに取り入れた最初の試みであった。
1983年にグラミー賞・ベスト・ラテン・レコーディングスを"Machito & His Salsa Big Band '82"名で受賞。
1984年にイギリス、ロンドンのツアー中、ロニー・スコットのクラブにて致命的な卒中により死去した。
1987年に彼のドキュメント映画"Machito: A Latin Jazz Legacy"が発表された。
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