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顕如

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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/08/25 14:41 UTC 版)

顕如(けんにょ、正字体顯如)は、戦国時代から安土桃山時代浄土真宗浄土真宗本願寺派第11世宗主・真宗大谷派第11代門主。大坂本願寺住職[1]


注釈

  1. ^ グレゴリオ暦換算。1582年10月14日以前の暦はユリウス暦だが、本願寺派ではグレゴリオ暦で遡った生年を用いていることに準拠。
  2. ^ 庭田重親の母・祐心は、本願寺第8世・蓮如の十女(顕能尼は祐心の孫にあたる)。証如の父母も双方蓮如の孫であるため、顕如は三つの血統から蓮如の血を引く。
  3. ^ 如春尼の実父は三条公頼だが、本願寺との縁戚関係の構築を望む細川晴元の意向により、晴元の猶子となった。その後さらに六角定頼の猶子となっていた。また、顕如の猶父である九条尚通の義父三条西実隆(顕如には義理の外祖父に相当する)は三条家の分家の出身であり、本願寺との縁戚関係の強化を望む九条尚経の関与も指摘されている[2]
  4. ^ 細川晴元は六角定頼の娘婿であり、両者はかつて享禄の錯乱の際に連合して山科本願寺を焼き払った。その後の政情の変化によって本願寺との和解に迫られた両者は、顕如誕生の翌年には証如に縁談を持ちかけており父親の証如を困惑させているが最終的にこれに応じた(『天文日記』天文13年7月26・30日・閏11月7日・天文15年6月22日各条)[3]
  5. ^ 斯波義銀の実弟である蜂屋謙入の誤伝とする説もある[8]
  6. ^ 蓮如十男・実悟の長子。

出典

  1. ^ a b c 顕如』 - コトバンク
  2. ^ a b 水野智之「足利義晴~義昭における摂関家・本願寺と将軍・大名」(初出:『織豊期研究』12号(2010年)/所収:久野雅司 編著『シリーズ・室町幕府の研究 第二巻 足利義昭』(戒光祥出版、2015年)ISBN 978-4-86403-162-2
  3. ^ 水野智之『室町時代公武関係の研究』(吉川弘文館、2005年) ISBN 978-4-642-02847-9 P253-257・320-321)
  4. ^ 太田光俊「本願寺〈門跡成〉と〈准門跡〉本願寺」永村眞 編『中世の門跡と公武権力』(戎光祥出版、2017年) ISBN 978-4-86403-251-3
  5. ^ 『顕如 仏法再興の志を励まれ候べく候』224P
  6. ^ 『完訳フロイス日本史』5 第4章「大坂城と新市街の建設について」
  7. ^ 『完訳フロイス日本史』5 第13章「薩摩国に対抗し、関白が下(しも)の地方へ向かい出発したことについて」
  8. ^ 木下聡「斯波氏の動向と系譜」(所収:木下聡 編著『シリーズ・室町幕府の研究 第一巻 管領斯波氏』(戒光祥出版、2015年)ISBN 978-4-86403-146-2
  9. ^ 鍛代敏雄「摂津中島本願寺寺内町考」(初出:『地方史研究』206号(1987年)/所収:『中世後期の寺社と経済』(思文閣出版、1999年)第二編第四章「寺内町の解体と再編」)


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